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末寺の末事 123

 言うのはタダだから、思いつくままに有ったら良いなを挙げてみたが、先立つものはない。夢は夢。

 それに、そもそも僕自身は、これからの信仰にハコモノは無用だと思っている。寺や境内、仏具その他諸々の備品による信仰教化効果を、否定する気はサラサラない。特に過去に於いては効果的であったと思う。問題視するのは、あくまでもこれから。

 護寺維持能力は老化の一途を辿る。衰退、廃退は必至必定。これからとは末事のことだ。どのように始末を付けるのか。
 どうせ失くなるなら、何もしない。というのも立派な選択のひとつだと思う、宗教や信仰心さえ必要としないのならだが。その辺はきっと上手くは伝わらない。

 そういった感覚が著しく育てられてきていないのは、封建的文化教育の賜物だろう。親がしてた事をやれる範囲だけ何となく受け継ぐ機能を果たしてきた。もはやそれも風前の灯火だけどね。

 問題はこれからだ。

to be continued



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