末寺の末事 264
臨床に関わる。末寺の末事も一大事、念仏も大事、聞法も大事、煩悩も、だけど生涯一僧侶として、まさに今『答え』と向き合ってる人に寄り添えなきゃ、何のための末寺か?念仏か?聞法か?
こりゃ、もー宗教家としてのライフワークですな。そーやって考えてみると実に不甲斐ない自分が痛々しい。常に怠惰に逃げ回って、何も役に立つようなものを持ち合わせてはいない。
勉強しなくてはならない。また…。でも、何も持っていない自分だから、というか、持ってしまったら、自分ではなかったのではないのだろうか、だったら、…そのまま。
知識や経験のないまま、そうして、不安から知識や経験を得たいとアタフタするまま、今、持っていたり欲しいと願うもの、ひっくるめて全部、…そのまま。
臨場に赴く。それが、たぶん自分の信仰だと思う。人の救いになったりはしないけど、僕が救われる。それが人の救いになればいいけど。
to be continued
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