末寺の末事 308
認め難い真実、信じ難い真理でしょうなぁ、バラバラ社会にとって、『倶会一処』や『悪人正機』なんてのは、建前には成り得ても、本音とは言えない。旧態依然とした解釈では、成立しない。
何をしても同じなんだから。共産主義のパラドックスみたいになっちゃう。頑張ったって、頑張らなくたって、どーせ同じなら、頑張ったって無駄じゃん。って理屈になる。そーいった無秩序に対して絶対的封建的権力者である神仏が現れると、宗教が阿片と並列しだす。
共同体が主義化するまでなら、集まる場所の有り無しや集まる個々の善し悪しも、気にしたでしょーが、今やバラバラだもの。そんなの、どーでもいい、些末なこと。
その立ち位置を誤魔化さずに、そこから出発しないと、「なぜ今この私に、宗教が必要なのか?」という問いに応えられる活動など、具体化できないだろうな。今までみたく、見て見ぬフリは通用しなくなったのだ。
to be continued
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