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末寺の末事 231

 集団であらねばならない理由などない。かのお釈迦さまも、妻を捨て、子を捨て、城や国を捨てて、独りで修行した。

 さとりをひらいたら仏に成って、仏に成ったら人をすくわなきゃいられなくなっちゃって、人に説いたら集まってきちゃって、気付いたら集団化してて。…いや、コイツらに説いても、こーなるんだろーなーって薄々わかってたよ。だから嫌だって言ったんだよ、だけど、梵天のヤツがゴチャゴチャ五月蝿くてウザくてさー、って話だ。

 本質を忘れて、集団化することに意義と旨味を見出だした一部の宗教家にとっては、伝道は洗脳であって、組織の縮小・解体なんて不利益極まりない、勘弁願いたい話だろう。

 けど、そんなの関係ねぇw

 はい、個々人が『答え』を持てばいいよ。宗教に価値はない、集団である必要もない。それでも自分の中心に据える意味は何か、自分で自分に『答え』るだけ。

 それが『ジブンの宗教』。

to be continued



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