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電気老人計画

 実は、これって僕が本格的に坊主をやるより前の話しで、20年以上前に高齢者介護福祉業界に携わっていた時から、ずーっと提唱している一種の優国論みたいなものなんですが、未だにその兆しすら伺えないところを見ると、いくら有能な人材が集結する、テクノロジーが整った日本国であったとしても、実現不可能な要素を孕んだファンタジックなプラン、ということになるんでしょーな。

 つまりは、至って単純明快シンプル爽快な話で、増え続ける高齢者に発電してもらうだけ。
名付けて『電気老人計画』。

 介護保険法の始動当初から、いわゆる達者なお年寄り『元気老人』こそが正義と推奨される法整備の流れが目立っていた。当然、法制度を支える資金源の若年層が減っていくのだから、大盤振る舞いはできない。その出し渋りの流れは、現在も『フレイル予防』なんていうハイソでキャッチーなネーミングで踏襲されている。
 しかし人間がいつまでも介護の必要もなく、元気で充実した生活を送り続けることができたら、お釈迦さまの説かれた四苦も三苦になってしまう。老いない老人なんてバカげた話だってガキでもわかる。

 この国の政治が老人のモノである象徴的事例だと思う。老いることを認めるワケにいかないのだ。発展途上状態から国と共に上り詰めて、その豊かさを満喫し贅を極め、今まさに国と共に滅びようとしている現実を、認めるワケにはいかない。そんな事実が、もしも若人に知られて、その若人が政治権力を握ったら…「年寄りなんてイッパイいんじゃん、その辺に放っとけよー、多少死んだって、誰もかまわねぇよー、そもそもこの国の、この状態って、アイツらがしでかしてきたことだし、自業自得じゃん。」なんてことになりかねない。…超ヤバい

 冗談ですよ、ははははは。


 当時、そういう介護業界の真っ只中で働いていた僕は、例えば健康器具メーカーなんかと、リハビリ用のルームランナーとかエアロバイクに発電・蓄電システムを備えた器具が共同開発できないものか真面目に考えていた。
 小集団、一企業レベルでやっても大したことにはならないけど、これを国家レベルで考えたなら、どうだろう?
 家族とは暮らせない社会の実現を、無意識で肯定・受諾してきた老いない老人たちは、今や若者が減ってサビれきったパチンコ屋やゲームセンターに、持て余した虚無感と年金を抱えて高級電動自転車で通っていたりする。その電力の殆どは限りある化石燃料であり、それが枯渇する頃まで生きて、今度は死ねない死人となるのだろうか。バイオハザード日本。

 冗談ですよ、ははははは。


 老人が発電すると、介護予防やエコロジーの観点だけでなく、天下りや再雇用、非正規雇用や若年層の労働環境、他にも発電量に応じ年金ポイント付与など、様々な政策に発展しそうな臭いをプンプン感じる。
 だいたいエネルギー資源の少ない島国日本が、アメリカもビックリの世界水準の資源国になれるかもしれない。なんたって『元気老人』こと老いない老人がウジャウジャなんだから。これで死ななくなったら、ある意味永久機関。

 冗談ですよ、ははははは。


 「高齢者を何だと思っているんだ!」とか、「死ぬまで働かせる気かっ!」とか、「年寄り笑うな行く道じゃ!」とか、言われる方もあるかもしれませんが、でもね、期待される役割りと使命感って、生き甲斐そのもの。これって、長寿の秘訣なんじゃないっすかね?
 特に、これから長寿ゾーンにめり込んで行く団塊の世代以降の人たちは、前の世代から引き継いだものを、自分たちだけで使い尽くして、次世代にマトモな形で遺せなかった世代です。
 この国で人間が生き残る為のエネルギー資源は必要不可欠であり、また解決が強く望まれる人類史上永遠の難題でもあります。それが自分たちの力で供給できる手応え、自分たちの存在が無駄ではないという実感。その人生に於いて味わったことのない世代が、いま老人(資源)になれる可能性を秘めています。
 この国のこれからの為の礎となる達成感たるや!人生の最後にして最高の至福なのではないでしょうか!娘や孫や人類や地球を救う為に、小惑星に突っ込むパパのような気分で、映画『アルマゲドン』の主題歌、エアロスミスの『ミス・ア・シング』をBGMに、ぜひアナタも発電してみませんか!

 冗談ですよ、ははははは。


 なんてね、令和の平賀源内が現れないかなぁ~とか、政界にも日本エレキテル党とかできたら投票するのになぁ~とか、とか、ね。真顔でどうでもいいこと考えてる僕なのです。

 う~ん、キテレツゥ~

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