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末寺の末事 152

 これまではそれでも良かった。問題はここからだ。過去と現在のホツレ、このホコロビをどうしたものか。

 尼講といっても、べつに直接的に仏婦の運営に口を出すとか手を出すとかって事じゃない。そこにその存在が在るということが、これまでこうしてきたという呪縛的意味を持っているだけだ。

 ここがすんなり飲み込める人とそうでない人と混在する仏婦。と言っても、仏婦もそこそこお婆ちゃん集団なのだ。何せ高齢化著しい過疎集落、現にお孫さんがおられる方もそこそこおられる。つまり尼講なんて、秒読み集団でもある。何れもご本人たちには言えない表現。

 尼講(実際は母)がしてきたことは、してきたこととして敬い、レジェンドとしての立ち位置を用意して、そこに理想の終活像を結び付けていくというのはどうだろう?

 うまくいくかどうかは解らないが、理解は得られそうな気がする気がしている。たぶん…、知らんけどw

to be continued



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