学びのノートvol.2 見えない権力を乗り越える 思想の冒険 / 社会学 講師:大澤真幸氏
はじめに
こんにちわ、タイジです!
人生2回目のnote投稿ということで、今回は「社会学」について学んだ内容を記していきたいと思います。
私自身、今ちょうどプレイヤーからマネジメントへのキャリアチェンジを考えるタイミングに差し掛かっていて、自分のキャリアについて考える時間が多くなりました。そしてその中で、「自分自身が本当にそうなりたいのか?」と、「自分はなにかにそうすべきと駆り立てられているのでは?」といった葛藤が生じていることを実感しています。
前回リベラルアーツの目的は現代的な呪いからの解放であると学びましたが、社会学を学ぶ中では呪いの正体をより具体的に「社会」「見えない権力」として深堀りして学ぶことができました。
社会から会社という組織、さらに小さい単位にまで落とし込んで考えることで、前段で私の感じている葛藤が何なのか?なぜ生じているのか?これからさらに考えていく中でのヒントがここにあるような気がしています。
このnoteは私が学習を習慣づけるための仕組みとして、学習の軌跡を残す事を目的の1つとしています。
内容は主に、LIBERARYという動画コンテンツからの学びや気づきを、メモや備忘録として私自身見返せるようにしていきたいと考えています。
とりとめの内容となってしまうかと思いますが、よろしければお付き合いくださいませ。
第1章 社会学の始まり
社会学の始まり
19世紀、フランス革命によって封建社会から新しい社会、人々の社会について考えるようになり、その中で自然と社会学的な発想が出てきた
それ以前の社会学
社会学的なもの:古代ギリシャのアリストテレス(倫理学、政治学、友愛)
社会学の夜明け:社会契約論の系譜 ホッブズ、ロック、ルソー
19世紀最初の社会学者 コント(フランス)
一人目の重要な社会学者:マルクス
マルクス経済学は、現代の経済学からすると非常に幅広い
なぜならば、経済的な現象を広く人間の社会的あるいは精神的な現象の一部であり「資本主義というのは、一種の宗教的な現象に近い」と捉えていたから
「貨幣は神に近く資本は神の働き、それに我々は規定されていく」
いわば資本主義はキリスト教的な現象と捉えていた
そしてダーウィンの進化論が、そこに時間という概念を付け加えた
まとめ
・社会学は実際の社会秩序がなぜ成立しているか?を考える学問
・マルクスは経済を人間の社会的精神的な現象の一部であると考えた
・ダーウィンの進化論によって、学問に時間的な概念が生まれた
第2章 社会学の発展期
いまにも通ずる20世紀に出てきた新しい社会学
もう一人の重要な社会学者:フロイト
フロイトは無意識が持っている法則性を発見した
「無意識とは、あなたが思考しているにもかかわらず自分のものと思えないもの、私の思考が私の外にあるものであると感じるもの」
デュルケーム
初めて大学教授になった社会学者
社会とは個人と独立して動いているものということを意識
どうして自殺率の高い地域と低い地域があるのか?を研究した
カトリックは集団的vsプロテスタントは内省的
カトリック地域は連帯の強度が高く、そのほうが自殺率が低くなる
プロテスタント地域のほうが人々の連帯感が薄く、自殺率が高い
このことを個人として考えると無意識、集合的に考えると社会という現象になっていくと考えた
フロイト:意識と無意識
デュルケーム:個人と社会
ジンメル
分離⇔結合、橋と扉の観察
分離しているから結合させる、結合しているから分離させる
ウェーバー
マルクスとの共通点:経済は宗教的な行動として分析しなければならない
なぜ西欧で資本主義が発達していったか?
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の倫理
プロテスタンティズムのもと、日常的な仕事そのものが宗教的な意味(情熱や必要性)を持つようになる
さらに予定説、天国に行くか地獄に行くかすでに決まっている説がでてきて極端に禁欲的で勤勉な資本主義的マインドが生まれてきた
なぜ予定説がそのようなマインドを生むのか?
▶神は全知、つまりすべてを知っている上で決定しているから
ヘーゲル
19世紀、第一次世界大戦に向かいヨーロッパ的なものの黄昏
「ミネルヴァの梟(知恵の神)は迫り来る黄昏に飛び立つ」
20世紀前半の社会学最大の成果
「部分最適は全体最適ならず」
個人の意識が社会にもたらす「逆説」の発見
まとめ
・フロイトの無意識はデュルケムの自殺の分析につながる
・ウェーバーは宗教現象こそ社会現象の根幹であると、マルクスに共通する指摘
・20世紀の社会学では社会と個人の鋭利な対立があると明らかにされた
第3章 現代社会学のツインピークス
20世紀後半に重要な二人の学者
1.ミシェル・フーコー(仏)
3つの時代における言説=ディスコース(考え方やパターン)を権力と結び付けて考え、権力という概念を新しいものに変えた
内発的な力=ある方向に駆り立てる衝動=権力とした
人間の意識を背後から駆り立てるものが権力
2.ニクラス・ルーマン(独)
社会システムの要素は人間の目的を持った行為でなく、ルーマンは行為ではなくコミュニケーションであるとした
社会システム理論:社会とは行為ではなくコミュニケーションの集まり
システムの中で必要なコミュニケーションはシステムの中で生産されていく
個人の意識には回収されない外からのダイナミックな要素
フーコー:意識の背後にある権力
ルーマン:自己生成されるコミュニケーション
大澤氏の考える社会学のこれから
人間はこの体を持って生きている、このことの意味が秘密の核であると感じている
我々は社会のどこかに埋め込まれているという現実と、それを外から見るかのような視点の両方を持っている
ダンバー数=大脳皮質の大きさと集団の大きさに相関関係があるとする
人間は脳のサイズ的には150人ぐらいの集団がちょうどいいにもかかわらず、大きな社会を見るという視点も持っているところを一つの着眼点としている
人類において一つだけ確実な法則は集団の規模がだんだん大きくなる傾向があるが、いまはそこにブレーキがかかっている感じがある
19世紀になって国民国家という集団のリアリティが出てきたことが社会学にとって大きい
国民という境界を越えた連帯についてはいまだに苦戦している、これを乗り越えることができるのか?は今後の社会学にとっての重要な使命になる
おわりに
社会学の内容では学校で社会、歴史、倫理、もしくは政治経済という科目で習った学者の名前が多数出てきて、あぁそんなこと習ったなぁ・・・と昔に思いをはせることもできました。
高校までに学校で習う学習内容はそれぞれの科目ごとに分かれていて、その相関性を学ぶことはありませんでしたが、実際には哲学・宗教・心理・経済などほかのさまざまな学問や学説を関連づけることによって社会学は発展してきたということを知り、「リベラルアーツとしての社会学は、社会学全体とほぼ一致すると考えられる」ということに対して理解が深まりました。
そして社会学を学んだことで、私という一個人のキャリアにおける葛藤についても、社会(や会社組織)が及ぼす無意識の要素に、私自身が意識を向けることで生じていると再認識することができました。
その葛藤に現時点できれいに折り合いをつけることはまだ難しそうですが、着実に前進したという実感は得ることができました。
引き続きリベラルアーツを学んでいく中で知識をただため込むだけではなく、自分の立場に置き換えて考え、よりよい方法を見つけるための道具として活用できるようになる、ということを意識して継続していきたいと思います。
長文お付き合いいただきありがとうございました。