褒められメモ(移植前日、前処置終了)
現状報告
先週病室引っ越しし、窓が大きい部屋になり、前より少し快適です。タワマンええなぁです。
昨日、26日土曜日に移植の前処置が終了しました。
6日間のきつい抗がん剤投薬でしたが、今は、なんとか体だるいな程度に治っています。
初回の移植の時は、前処置3日目から吐き気が凄すぎて、何も食べれなくなり、
そこから2週間ぐらいはゼリーだけ食べてました。
今回は、前回と違う薬で、それがたまたま僕には合っていたのか、
3日目と4日目に強い吐き気がきたもののそれほど引きずらず、今も普通にご飯を食べれています。(とはいえ雑炊とかうどんです。)
正直、前回の前処置はマジで辛かったです。
最終日の薬のアレルギーが爆発して、
熱39度以上の中、全身放射線治療(部屋真っ暗、身動き禁止、瞬きはいいけど長時間目瞑るの禁止)40分受けないといけなくなり、
精魂尽き果て、、
その後も熱下がらず、今寝たら死ぬかも、、とマジで思ったぐらいでした。
(39度の熱+放射線だけで切り抜いたらそないやろと思うかもですが、
そのもっと前からずっと健康体ではないし基礎体力の衰えエグいから笑)
なので、今回もめちゃくちゃビビってましたが、
前回より全然楽だったので、めちゃくちゃ嬉しいです。
全身放射線も今回はなしです。
強いていえば、口内の粘膜障害予防として、
クライオセラピーという1時間半ぐらい氷を口に含めてつづけないといけないのが2日間あり、辛かったです。。。
2日間連続、
コンビニに売ってるグラスに入った氷を、2パック舐め切りました。
ただ、ここから抗がん剤の副作用が前回よりも強く出てくるらしく、
これから長期間の粘膜障害との戦いになるらしいです。
喉イガイガからはじまり、喉痛すぎて水飲めなくなったり、
口に傷でもできようものなら口内炎、そこからさらに口内炎広がり口全体に、、
食道等々の腸が荒れて、下痢・嘔吐
けつあなも粘膜なので腫れる+下痢やから痔になりやすい
とかとか、、、
自己修復力が一旦0になるので、一度できた粘膜の傷はなかなか治らなくなります。
今後も安心できない日々ではありますが、
何はともあれ無事、明日の臍帯血移植の輸注に臨めるので、ラッキーです。
なんとかなるだろうと思っています。
結構勘違いされてる方多いみたいですが、
移植自体は、輸血とか点滴みたいなもので、入れるのは一瞬です。
それ自体に失敗はまずあり得ません。
大事なのは、その後の生着です。(入れた細胞と自分の体の適合的な)
臍帯血移植は生着まで、大体3週間かかります。
なので、勝負は、明日ではなく、
明日〜3週間ぐらいまでが目安です。
その生着までの期間に、
抗がん剤の副作用+移植した細胞の副作用が重なるので、
その地獄の期間が3週間目安って感じです。
しかも生着不全というのもあり得るという、、
とにかく生着を祈ります。できれば一緒に祈ってください。
今いまの体調的には、まぁ無理したら元気ですと言えそうです笑
余談:はじめに
今回も、直近の出来事からこれまでの自分を少し掘り下げて、自分語りを書いていきたいと思います。
自分では前々から思っていたことですし、
僕と関係の深い人なら前からそういう人だと知ってた。という話な気もしますが、
いざわざわざ曝け出して書くとなると少し小っ恥ずかしい気持ちと、
みんなに自分を知ってもらいたいという、なんか説明のつかない感情です笑
後述で、自尊心低いとか書いてますが、
自尊心低い代わりに、
承認欲求と自己顕示欲が強く、目立ちたがり屋の要素が
半分社会と隔絶されているような長期の入院期間で爆発しているのかなとも思います。笑
ネガティブ自己肯定感ひくひく人間
変数に対するネガティブ
前回の「俺が運がいい」の話までは、
めちゃくちゃポジティブ野郎と思われてるかもしれませんが、
全てにおいてそういうわけではなく、変数に対してはかなりネガティブです。
(逆に、前回書いている通り、定数にポジティブです。)
自分の努力や能力で、結果が変わることに対してはネガティブで、
新しい案件とかプレゼンとか、めちゃくちゃ不安でめちゃくちゃ緊張もします。
ネガティブというと曲解されそうですが、新しいことをするのは大好きです。
でも、何か新しいことをする場合、入念に用意したいタイプです。
挑戦したくないとか、できないことから目を背けるということではなく、
上手くいかないのではないかという不安が山のように溢れ出てくる感じです。
そして、完璧主義です。
例えば、
仕事で、提案したいサービスがあったとすると、細かいことまで気になってしまうので、
提案するサービスの細かい仕様やオプション、サービスを提案する裏側の意味(なぜそのサービスができたのか、等)やなぜそのサービスをこのお客さんに提案するのかを
頭に入れて、簡単に説明できる準備をしてからでないと、なかなか持っていく気になれません。
気になりはじめたら止まらなくなり、仕様書を読んだり、
プロダクト担当者を捕まえ質問責めにします。
とりあえず提案・紹介してみるとかめちゃくちゃ嫌いです。
(あと前職でよく言われてた「聞くだけタダ」って言葉も嫌いでした笑
いやタダちゃうやろと、空気読めやと思われることもあるやろと。
まぁそんなこと織り込み済みで、
その言葉を使っていることぐらいはわかってますが、
言葉そのままの意味で捉えると嫌いです。)
なので、もしかしたら僕と関わりがまだそれほど深くない人からは、
見た目とか、振る舞い?とかから
「考える前に行動」派と思われてるかもですが、
全然そんなことなく「行動の前に考えたい」派です。
足りない点や疑問点を考えて、それを潰す、
を繰り返して、繰り返して
納得いくまで本意気で取り組めません。
そんなこと考えてる暇あったら早よやれやと自分でも思います。
考えがまとまるまでに時間がかかるので、
資料作ったりするのとかも遅いです。
資料の話の展開とかスライド順とか考えすぎて、取り掛かるまでがとにかく遅い。
典型的な仕事遅い人間です、、
このように、
自分が今から取り掛かることが、
自分の能力・才能・努力でのちの結果が変わる可能性が高いものに関しては、
自分で納得いくまで準備できている状況にしないと、
先に進めないほどネガティブです。
(そして、その準備や想定に甘さと、抜け漏れがあるのがクソなところです。)
その不安ゆえ、細かいところまで準備したり、細かい抜け漏れチェックが得意なのかと思われそうですが、
注意散漫で、おまけにベースが怠惰なので、
細かい見積作ったり、資料の体裁整えるのとかめちゃくちゃ苦手です。
(ダブルチェックとかほんまに苦手、
めんどくさい作業も嫌いなので営業の数字管理のシステム入力とか後回しにするし、そういうところでも迷惑かけ続けてきた社会人人生です。)
あと、仕事がスムーズに流れている時は、
かなり忙しくても精神的ストレスはあまり感じませんが、
自分のミスや自分で仕事が止まってしまっていることがあると、
それが頭につっかえて、
他の関係ない案件にも波及するほど集中力を失ったり、
モチベーションが下がってしまったりします。
これぞ!という、完璧主義の傾向です。
とはいえ、この辺は転職してすぐに
何も分からないながらも厳つい量の仕事をもらっていたおかげで、
取り掛かるまでの遅さとか、完璧主義は改善されてきたかなとおもいます。
すぐ自分がやる or すぐ相談する
のどちらか以外は、死という環境だったので特効薬でした笑
転職あるあるなんじゃないかと思いますが、
転職してすぐは、業務フローの全体と完了までの工数(日数)の感覚がほとんど掴めてないので、
自分が長期間タスク持つことへの恐怖感が半端ないです。
(自分で分からないことは、5分も持っていたくない笑)
SB時代は色々とわかっていくうちに最悪頼み込んだらいけるっしょという甘えがありましたが、
CA入社後はそんな怖い賭けができるはずもなく、
結果、間に合わないより、
まだやらんでよかったのにと言われる方が100倍いいので。
現実では、まだやらんでよかったのになんて悠長な仕事はない訳ですが笑
それに加えて、まだ入社したてで分からないことだらけという仕方のない前提があり、
とにかく何でも相談できる環境でしたので、
完璧主義もかなり改善されたような気がします。
これはあの時の自分と、
全悩める若手サラリーマンに言いたいですが、
ちょっと考えて分からんかったら、はよ相談せえ。笑
お前ごときが値打ちこいて一人で悩むな。
努力すれば大抵のことできるが、それは全員そう
変数に対するネガティブと同じ感じで、もう一つ常々思っていることがあります。
表現が難しいのですが、自分の能力に対して、
「自信がありつつも、自信ない」という感覚を持っています。
「自分は、並以上の能力(ポテンシャル)があり、努力すれば大抵のことができる」と本気で思いながらも、
「自分にできることは誰にでもできること」と思っています。
逆をいえば、「あの人ができることは、努力すれば自分もできる」とも思っています。
(ここで言う、誰にでも=自分が所属しているコミュニティの人のことですので、あくまで自分がそのときに対峙している競争相手(同僚や上司)のことです。)
一見、自己肯定感の高い、良さげな考え方に見えますが、
実はそうではなく、マイナスに働いていることが多いです。
上に書いた文章は、少し自己肯定感高そうな感じで書いてますが、
実際に自分の脳みそで文章を変換してみると、なかなか悲惨です。
「自分ができることは、他人にも簡単にできる」
「他人ができることは、自分は努力しないとできない」
これはネガティブというより
自尊心とか自己肯定感の低さな気もしますが、
自分の能力やポテンシャルは、自分が属しているコミュニティの中では陳腐だと思っています。
とはいえ、全くできないわけではないと思っているので、
わかりやすく、勉強に例えると、
「アホよりは賢いけど、賢い人よりはアホ」
という偏差値55〜58ぐらいのイメージです。
そして、今まで属してきたコミュニティの中にいる人は、
自分より能力のある人だらけだと思っています。
そんな考え方なので、
自分が上手くいったことは運よかった(自分じゃなくてもできる)と思い、
逆に悪いことが起こった場合は、自分の努力や能力不足のせいにしがちです。
(冗談で自分の実力だった、と言うこともありますが、本心で言ったのはごく僅かだと思います笑)
これはあくまで自分に向ける考え方なので、他人に対してこんなことは一切思いません。
他人がうまく行ったことは素直にすごいなと思いますし、賞賛できます。
逆に、自分が褒められたりしても、
他人がやっても同じ結果やろうなとか、
その能力、大体みんなあるでしょ(やったらできるでしょ)
と思います。
病院の臨床心理士と週1〜2回面談があり、
闘病でメンタル病んでたりするとそれについて相談をしますが、
特に病んでないので、自分の考え方とかについてよく話を聞いてもらっています。
(カウンセリングとか受けたことなかったし、少し効果を舐めてましたが、
心理士さんはフラットな目線で質問してきてくれるから思考の解像度上がって、いいかもです。
精神的に追い込まれてからいくところというイメージがあるかもですが、合いの手がうまくて、質問で深ぼってくれる感じで楽しいです笑)
前は、漠然と上記の考え方をしていましたが、
会話していくにつれて自分の考えていることを少し深掘りできてきました。
簡単に言うと、
いろんな人のいいところだけを集めた、実際には存在しないスーパー人間と、
自分を比べて、俺はなんて無能なんだと思ってしまっているようです笑
通常、他人と自分を1対1で比較する場合、
それぞれ長所短所でてくると思いますが、
僕の場合は、他人の長所と自分の短所だけを比べているみたいです。
そしてなぜか、自分の長所?というか、自分のできることは、他人にとってもやればできることと思っているようです。
書きながらですが、
自分のできること=他人にもできること
と思っているのは、
自分の努力や積み重ねで得た能力を過小評価しているのかなと考えられそうです。
例えば、料理とかでも、
僕は結構料理得意ですが、正味料理なんか誰でもできると思っています。
でも、やらなければ(やってこなかったら)できないことは理解できています。
細かく言うと、
今の自分の包丁さばきは、包丁をほとんど触ったことない人にはなかなか難しいはずです。
でも、これまでにやってたら誰にでもできることです。
そこから、
料理=やったら誰でもできること
⇨自分のできること=他人のできること
と言う変換が、僕の脳の中で起こります笑
自分と同じ包丁さばきを得ようと思ったら、
自分と同じぐらいの量、包丁を握る必要があるはずなのに、
自分のこれまでの努力(積み重ね)を一才無視しています。
なぜなのかはわかりません笑
そもそも、他人と比較するのは不幸。過去の自分と比較するべし。
とよく言われてますが、なぜそこまで他人と比較したがるのか、
なぜ過去の自分と比較できないのか、までは理解できてません。
他人と自分を比較して、
自己肯定感・自尊心が低く、
しかし承認欲求は高め、
そのくせに褒められても「別に俺じゃなくても、、」と言う
クソめんどくさい人間に自ら成り下がろうとしている訳です。
なので、自己肯定感・自尊心を高めていくことを意識していきたいです。
褒められメモ
意識していきたいです。と言う頭の悪い感想文のような終わり方で、
自己肯定感が上がれば何の苦労もないわけで、、
心理士におすすめされた「褒められメモ」をつけてみることにしました。
目的としては、自分の長所を文字起こししてちゃんと真に受けよう。です。
(僕に圧倒的に足りないのは真に受け力のようです。)
ルールは簡単です。
どんな些細な褒め言葉でもメモる
誰から言われことでもメモる
思い出したこともメモる
これに付け足して、独自ルールとして
褒められたこと+誰から、大体いつ頃かを併記しています。
できる限り、古い記憶を引っ張り出そうと思い、
すぐに見つかったのは、小4か5ぐらいの調理実習の時だったと思いますが、
先生から
「料理得意って言ってる子結構おるけど、文野くんだけずば抜けて手際がいいね」
と言われました。
この時は素直に嬉しかったので、真に受け力があったようです笑
そこから、学生時代は「面白い・ムードメーカー」的な言葉が多く、
社会人になってからは、意外と賢い・本質捉えるのが早い・端的な説明がうまい・言語化能力高いとかそんな感じでした。
真に受けてみると、
自分の思っていた通り、考える前に行動派ではなく考えてから行動派っぽい感じがします笑
あと、大体、賢い系のワードの前に「意外と」とついています笑
見た目とかから
ちょっとアホで、体育会ノリの気合と根性タイプやと思われやすいのかなと思います。
そのほうが賢さのハードル下がってていいかもです笑
言われた通り、褒められたことを文字に起こしてみると、
ほとんどの褒め言葉は、複数人に言われていることばかりなので
真に受けて良さそうな気もしてきます。
真に受けると、
僕は、
ムードメーカーで
面白くて
賢くて
本質を捉えて
端的に説明できる
言語化能力高い
人間なようです。
嬉し、気持ち良しです笑
でも、そういえば、森岡毅は「憧れる人は自分にない能力を持っている人だ」と言っていました。
確かにそうです。
歌手で言うと、トータス松本とかサンボマスター好きですし、
ああいう愚直で一本気で分かりやすく熱い人間に憧れます。
2人とも即興性高そうですし、メッセージもストレートに響いてきます。
サンボ山口のライブMCで言う「みんな生きていてくれてありがとう」とか「愛と平和」なんて、
ただただ熱い言葉は全くもって思いつく気がしません。
憧れれば憧れるほど、
地味で根暗でごちゃごちゃ考えてしまって動けない保険を張りたがる、
実際の自分と乖離があることが分かります笑
これからも褒められメモ貯めていこうと思います。
ちなみに直近の褒め言葉は、
昨日前処置終えてから
おかんに言われた「治療耐えて、えらいね」でした。涙
「耐えることは赤ちゃんにもできる。」
と少し尖ろうと思いましたが、堪えて適当なスタンプで返しました笑
おわりに
タイムリーに自己肯定感・自尊心について
Youtubeの動画があって、見ながら書いていたので貼っときます。
小さいころは、嫉妬心もあったように思いますが、
今は羨ましいと思うことはあっても、嫉妬ってあまり感じないかなと思いつつ見てました。
闘病生活真っ只中ですが、健康への羨ましさはあるものの、他の健康的な誰かになりたいと思うこともないですし、自分のことはそれなりに好きです。
特に目新しい発見があるわけでもなかったですが、
若新さんの自分の思考の解像度と言語化能力の高さに憧れます。
賢い人は抽象化と具体化のどっちも上手くて、腹落ちしやすくて話聞いてて気持ちいいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?