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カラ元気だって立派な元気なんだぜ(声は重要かもという話)

こちら広島の日曜日はとっても良いお天気で、ひなたはポカポカ、犬はトコトコ、運動会もチラホラ。
道行く人々も明るくて、金木犀の香りがする風に乗って、あちこちから笑い声が聞こえてきました。


声と言えば、
僕の声は1981年のテレビドラマ「北の国から」の純くんみたいだそうです。
しゃべり方もそうなわけで。
お父さんの五郎のほうじゃないですよ。


みなさんは自分の声が好きですか?
僕は自分の声があまり好きではありません。
何だか卑屈な感じがするんです。

「僕は君より弱いから傷つけないように気をつけてね、嫌いにならないでね」って懇願するような声なんです。幼少期から。
低めの声で、たのむぜ!、なら、おう!、まかせとけってなりそうだけど。
ならんのだ。


ん-とね、例えば「海賊王におれはなる」のルフィは、ふざけてる時は高い声だけど、真剣な時ほど落ち着いた低い声になりますよね。
オンオフがはっきりしています。
これって、鬱やHSPで悩む僕らにとって、大切なことのような気がしてならんのです。

自分の体から、口から、心から出す「声」が落ち着いているか否かで、元気が出るか出ないかが決まっちゃうよ!ってことが言いたいのです。

もっと言うと、話(言葉)の中身はどうだってかまわない、だってしゃべる行為でバレちゃうんだもん。面白いにこしたことはないけれど。

あるじゃないですか、
「てめえなんかゴミ以下なんだよ」って凄んでる人に電話がかかってきて、
「あ~、先日はどーーもでしたぁ、ひゃ~」
なんてシーン。

なのでこれは、音程を1オクターブ上げれば良いという問題ではありません。
僕なんかは、世間体や同調圧力を全く気にしなくていいプライベートでリラックスしている時でさえ、落ち着いた声が出せません。
(リラックス出来てねーな)
これをカタカタ書いてる心の声だって、落ち着いてないですもん。
外国を旅していても、犬と散歩をしていても、何だかそわそわしています。
呼吸が浅いのが分かります。



自分の声って、それこそ一生付き合わなくてはなりません。
だったら僕は、自分の声が嫌いじゃなくなるように、少しでも好きになれるように頑張ってみようって決めたんです。勝手に。
びくびくして生きたって、自分も誰もハッピーになれないもんな。

具体的にはー、そうですね、
心の中に限りますと、ジブリ作品「紅の豚」のポルコのようなくっそ低い渋い声でしゃべることにします。
落ち着き払って腹の底から声出します。
「飛ばねえ豚はただの豚だ」
なかなか難しいんだなこれが。
練習してれば、そのうち実践(実戦)でも使用可能になるでしょう。
(なったらいいな)


もし、僕のように自己肯定感と無縁の方がいらっしゃれば、「声」をきっかけに、突破口を見つけてみませんか。性別は関係ないですよ。
カラ元気だって立派な元気なんだぜ!