夕方のかおり
日が短くなった秋のとある日。
仕事が終わり、駅からとぼとぼ歩く。
片手にはねぎの頭が出たビニール袋。
ふと気の向くまま、近道を求めて細い路地裏を進む。
両手を広げれば軒先に引っかかってしまいそうなほど狭い道。
あたりは街灯の一つもなく、迷い込んでしまったような錯覚におちいる。
小窓からは夕方のにおいがする。
お風呂の石鹸のいい香り。焼き魚の焦げたにおい。線香のたなびく煙。
「そうだ、僕はこのかおりを知っている」
そして、記憶がフラッシュバックする。
中学生の頃だ。グランドで砂まみれ、汗まみれになり、残るかすかな体力を振り絞り、大きすぎるエナメル鞄を左右に揺らしていた。
家々は夕方の準備に忙しく、小窓から幸せな香りを流していた。
優しく、あたたかな、誰かを想う所作から生まれた香り。
そういうものを一身に浴び流しながら、歩みを止めずに家に帰っていた。
そんな過去が少しの香りで、色鮮やかに思い起こされる。
思い出すのはおおそれた出来事ではない。
むしろ何でもないような日常のワンシーンだ。
来年になれば忘れそうだと思っていた日ばかりだ。
あれから10年くらいたった。
僕はいまだにそうした香りをぼんやりと思い出す。
あの時はドラマチックなこととは微塵も関りのない、平凡な日々だと思っていた。だから、面白いことや、人と違うことを探して、何者かになりたいとあがいていた。
しかし、今こうして、ふと思い出す「あの日」は、
何でもないような、ぼーっとしていたら輪郭が溶けて、なくなってしまいそうな、透明に近い日々だった。
目を凝らさなければ、思わず見逃してしまうような、何の変哲もない、淡い輪郭の日々。それは、時間を経て、忘れられないような思い出の上澄みに昇華されるのかもしれない。時間の流れはいつだって予想外だ。
そんなことを、夕方のにおいにつられて考えた。
片手にはねぎの頭が出たビニール袋。
家までもう少し、
あともう少しだけ歩いていこう。