映画『フェラーリ』を観た
★ストーリー
フェラーリの創設者エンツォフェラーリの半生、ではなく、1957年のわずか4ヶ月を激動を描く。
★女優
ペネロペクルス
▷〝とにかくペネロペの存在感が、劇中すべてに潜んでいる〟
この女優、僕の初見はトムクルーズと共演した『バニラスカイ』だったと記憶するけど、たしかに可憐さと妖艶さを合わせ持った容姿は目を奪われたけど、その後のキャリアはスキャンダル先行的な印象で、演技派女優のカテゴリで観たことがなかった。
いやぁ、このペネロペは、そのイメージを完全払拭したし、近作から遡りながら、出演作を見直したくなった。
▷〝こんなペネロペ見たことない⁉︎〟
ペネロペはフェラーリの妻を演じるが、ひとり息子は病で早逝、夫は愛人を作り、夫婦としては完全に破綻していた。これだけなら、ま、どこにでも描かれているような夫婦関係だが、ふたりはビジネスパートナーとしても強固な絆がある。まして、ペネロペは、朝のコーヒーを一緒に飲む約束を守らなかっただけで、発砲するような狂気の女だ。とは言っても、ペネロペも最初からヤバい女だったわけではない。息子の幼い時代の回想場面がワンシーンあるが、このときのペネロペは、これまで僕らの知っているペネロペクルスだ。華があり、快活で太陽のような笑顔を見せている。しかし、今(1957)は華は枯れ、快活さは失せてしまい、光の届かない独房で過ごしているかの陰気さの中に居る。その陰気、憂鬱、無気力さを、恐怖に近い存在感として漂わせるペネロペの演技は圧巻だった。その存在感は劇中、ペネロペとは無関係な場面でも、観客はペネロペのことが気になってしまう。ペネロペがこのまま大人しくしているわけがない…
★長澤まさみ研究
ペネロペクルスのここまでの過程をあまり知らないが、この映画で観たペネロペは、以前の印象とのギャップに、少し長澤まさみに似た〝化けた〟感があった。とはいえ、ペネロペも50歳なんやなぁ。
だけど、この映画だけのイメージだと、質感的にペネロペは、長澤まさみよりも、宮沢りえ的な方向性、他では大竹しのぶのような大女優路線を進んでいるように見えた。
長澤まさみももちろん、大女優路線も可能だが、個人的には、ここまで積み上げてきたキャリアのまま大スター路線を歩んでほしいと思う。
例えば大女優といえば、日本なら大竹しのぶ、世界ではジョディフォスター。
大スターは日本なら天海祐希、世界ではオードリーヘップバーンだけど、現役では誰かな?今は不在かも…
★パンフレット
横組、読みづらさを除けば、内容的には良いパンフレットだと思う。主演、監督へのインタビュアーも記名の日本人で、このパンフレットのオリジナリティが出ている。
ま、華のあるパンフレットではないけど、映画パンフレットの王道の創りだ。
★まとめ
重厚感のある良い映画だった。
振り返ると意外と車(カーレース)系の映画を見ているけど、車体が古くて、人間への安全対策がほぼされていないところが、より臨場感があり、迫力を感じさせた。
米国は戦闘機でさえ、後ろからの攻撃に備えて、操縦席を鉄板で防御していたらしいから、それと比較すれば、この時代のレースカーは無防備すぎる。
その迫真のレース場面の最中でも、気になるのよ。ペネロペはこれからどうするのか⁉︎って動向が…それくらいペネロペの存在感が根底に潜みつづけた映画だった。
そうこれはフェラーリ夫婦の映画でもある。