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天海祐希主演 舞台『桜の園』を観た
★ストーリー
名家の没落に直面する、名家の人々の悲喜劇。チェーホフ原作。
★推し場面
▷変わりゆく負の感情
天海祐希の失望から絶望へ堕ちゆく表情と、刹那の怒りから悔しさと悲しみが入り混じる涙。
この場面はほとんどを双眼鏡で見ていた、失望は体の力が抜ける、絶望は気が抜けていく。もう阿呆になった天海祐希がいた。そこから、ほんの一瞬だが、表情を怒りに変えるのだが、すぐに泣き崩れる。その怒りの顔が凄まじかった。
★女優
天海祐希
▷曇りのち雨ときどき晴れ
天海祐希は、僕が生の舞台を観てきたなかで、マイケルジャクソンと双璧の恒星だ。まだ『薔薇サム』と『レイディマクベス』の2作品しか見ていないが、その光度は、どんな場面にも燦々と眩いばかりだった。天海祐希は晴れ。しかも、ほとんど快晴の太陽だった。
しかし今作は、先の2作とは少々違う。
天気は曇りや雨のときもある。でも太陽は存在している。今回の天海祐希は、太陽は顔をのぞかせなくても、たしかに太陽は昇っている、朝や昼のような恒星としての光を放っていた。
★長澤まさみ研究
▷〝日中の太陽〟は天海祐希に先んじたか⁉︎
恒星を見るのは、長澤まさみを学ぶ上では最高の教材だ。
天海祐希から『エンターテイナーは〝星〟か〝地球〟(自然)である』ことを学ばせてくれた人だ。それは〝薔薇サム〟の天海祐希の光度が凄まじく、その光の表現を探して、ようやく出会えた言葉が〝恒星〟だった。ちなみにそれまで光星とばかり思っていた(笑)僕の人生において、それまでに、それと同じかそれ以上の光を浴びせてくれたのは、マイケルジャクソンと長澤まさみだけだ。マドンナもローリングストーンズも生で観たが、恒星ではあっても、何か人工的な物をどこかに感じさせた。
前回『正三角関係』で共演した松本潤は、〝真夏の太陽〟だった。そして、太陽(恒星)に種類があることは、松潤から学んだ。
天海祐希はこれまで2回観たなかで〝快晴の太陽〟だった。人の営みに最も心地よく快適さを届けてくれていた。
長澤まさみの『正三角関係』で魅せた光は、〝真夏〟でも〝快晴〟でもなかった。
どんな場面でも長澤まさみはいる、と思わせる〝日中の太陽〟だった。分厚い雲が立ちこもうとも、激しい雨が降ろうとも、雷鳴が荒ぶろうとも、光源としての太陽が、その遥か上空にあるように、長澤まさみは〝日中の太陽〟になっていた。
長澤まさみの舞台における光度は、正直、『THEBEE』の段階では、天海祐希にまだ及ばないと見ていた。
長澤まさみは闇は作れるのだが、天海祐希は黒い光を作る。そのテクニカルな部分にまだ差を感じていたが、僕に〝日中の太陽〟を魅せてくれたのは、長澤まさみが先だった。
日中の太陽とて、元々、天海祐希は持ち得ていた光の可能性は十分にある。作品により高度を操作出来て不思議はない。でも、恒星であること、その光源の質は、本来は持って生まれたもののような気がする。
だから、長澤まさみの〝日中の太陽〟は先天的なもので、天海祐希の〝日中の太陽〟は後天的なものではなかろうか。
★パンフレット
チェーホフは名前くらいはうる覚えだけど聞いたことはある。とはいえ、チェーなのか、チャーなのか、ほふなのかコフなのか?未だに正解は分からぬままに書いている。でも、ウィキペディアより簡単にチェーホフがわかるし、俳優がそれぞれにチェーホフ観を語っている。とても面白く読めた。
★まとめ
▷演劇の凄さが凝縮!
天海祐希の存在は、是非一度観てほしい。「これぞ、スーパースター」という圧倒的存在感がある。
ただ今回、いやぁ驚くほどの名優揃いではあるのだけど、特に目立ったのはおふたり。緒川たまきは、天海祐希と並びたっていても、その佇まいの凛々しさは、一歩もヒケを取らなかった。天海祐希を隣にして、「カッコいい」と思わせる人類は、そうはいない。
もうおひとり、浅野和之だ。
その存在感は、名優を超えて怪優と表現した方が適していると思う。舞台は見たことないが、少し昔の柄本明を彷彿とさせる。映像では遅咲きの俳優という認識だが、これから見る目がガラリと変わりそう。早く映像で浅野和之さんを見たくなった。
ちなみに、こうした文学的作品に多数出演している宮沢りえと天海祐希の比較でいえば、演技は繊細なのに、弾力性のある柔らかな宮沢りえが断然上手い。だけど、舞台という場所において、特にホールが大きくなるほどに、天海祐希のスケールは、2階席で観ていようとも満足させてくれる。
このスケールは、やはりマイケルジャクソン級の壮大さがある。