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映画『ジョーカー〜フォリアドゥ』を観た。

★ストーリー
ジョーカーのラブストーリー。

★女優
レディガガ
観ていて強く思ったのは「マドンナを超えた」だった。
マドンナは〝エビータ〟てゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞していて、それを超える評価を得るかはわからないが、役の持っている変質性や影、とはいえ、異性としての美しさや許容、母性といったものも必要とされるなかで、見事に演じきり、歌うのではなく、台詞として歌で演じきっていた。

★長澤まさみ研究
ジョーカー(ホアキンフェニックス)とレディガガのダンスシーンを観て、〝スオミの話をしよう〟のエンディングを思い出していた。
もちろんレディガガはパリ五輪でもパフォーマンスを披露するのだから、世界の超一流で、ダンスの上手い下手を論じるのは、ガガにも長澤まさみにも失礼だ。しかし、長澤まさみの手足の長さは、ガガを圧倒していて、優雅さや、一コマ一場面での美しさ、そしてシルエットとして観たときに、長澤まさみは「世界クラスだなぁ」と思う。三谷幸喜が「ミュージカルにも出てほしい」とコメントしているが、僕も『ジョーカー』のガガを観て、強くそう思った。
ただ、ガガはやはりソロの舞台人であり、もちろん、世界の恒星だから、自身の光度は相当強い。例えば、法廷の傍聴席にいても、ガガの居場所はすぐに分かる。まして、生業が舞台の人だから、自分の光だけではなく、光の浴び方も知っていて、ガガに光が集まっていく。だから、ガガはいつも浮き彫りな感じがする。俳優の恒星として必要不可欠な、光度の調整がまだ出来ていないのかもしれない。
長澤まさみは、この点の引き出しが、今どんどん増えている。

★パンフレット
絵になるのかならんのか分からんけど、ジョーカーファンには、写真もふんだんに使われていて、見応えのあるパンフレットになっている。読み物としてもボリュームもある。

★まとめ
レディガガの光中毒的な存在が、眩しすぎなかったのはホアキンフェニックスの力の賜物だ。とにかく光に照らされようが、暗闇に身を置こうが、どんな過酷な状況にも、自らの存在意義だけは決して見失わない。もうサボテン俳優だ。すごい。
映画自体は、幻をおいつづけた者(ジョーカー)と幻を信じた者(ガガ)の儚い物語だった。
最後の面会人は誰だったのか。もしかしたら、誰もいなかったのかも…

あと、サントラが欲しくなる映画だった。

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