読む長澤まさみ講談『天地逆〜ビューティフルマインド』
『天地逆』
「懐かしくない?」
妻が突然、鏡を取り出してきて、自分を下からあおるように上に向けた。
「何が」
妻は何も答えずに部屋を歩き出した。部屋の敷居のところで躊躇している。
「何してんの」
「ここにほら、鴨居があるから…」
「敷居な」
「鴨居」
「敷居は下の溝。鴨居は上」
「だから鴨居」
そこで妻の言っている意味がようやく分かった。上に向けた鏡に写る天井を見ながら歩いているのだ。
「ね、昔よくやったでしょ」
よくやったかどうかは別にして、僕もやった記憶がたしかにある。いい歳して、今さら何をやっているのかと半ば呆れていたが、記憶の彼方に葬っていた、子どものころのことが、突如として思い出された。
まだ小学校に行くか、行かないときのことだ。隣に住んでいた〝花ちゃん〟という女の子とよく遊んでいた。ある日、花ちゃんが、手鏡を持ち出してきて、顔の下から天井を写すようにして、部屋のなかを歩きはじめた。まったく別世界が広がったような心地になり、僕と花ちゃんは、気づいたら表に出ていた。
「お空を歩いてる」
花ちゃんは、ふわふわと浮かんでいるようや歩き方をして楽しんでいた。
「代わって」
僕が言っても、
「もうちょっと」
と言って花ちゃんは代わってくれなかった。僕たちはいつの間にか、道向こうの公園に来ていた。そこには数段の階段があった。花ちゃんはそんなことを知らずに、キャッキャと笑って楽しそうだ。落ちれば交代できる。そんな思いが過ったときだった。花ちゃんは、階段を一歩踏み出すと、そのまんまゴロゴロゴロゴロと転がり落ちた。僕は花ちゃんに駆け寄ると、花ちゃんの横に粉々に割れた鏡を見て、
「ちぇっ」
と舌打ちをした。幸い、花ちゃんは大事に至らず、脳震盪程度で済んだはずだが、僕は自分に潜む悪魔のような心を、子どもながらに気づいてしまい、その気持ちを記憶の奥底に仕舞い込んだのだ。
「ねぇ、やってみる」
妻が僕に鏡を渡そうとしたとき、僕はこれまで使ったことのないキツイ言葉で、
「そんなくだらないこと、止めろよ。やるわけねぇだろ。糞が」
と妻を罵倒していた。まるで人格が入れ替わったようだった。
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