映画『私の大嫌いな弟へ』を観た
『プロヴァンスの贈り物』を観たときの衝撃は忘れられない。
田舎でレストランを営む女を演じたマリオンコティヤールの存在感は、僕を一気に虜にさせた。
その後、『エディットピアフ』でアカデミー賞主演女優賞を取るが、あれは女優魂で取ったようなもので、あれなら長澤まさみの『MOTHER』の方が、芝居力なら勝っていたと思う。
マリオンコティヤールの凄さは、プロヴァンスや『サンドラの休日』、この『私の大嫌いな弟へ』のような日常の困難に立ち向かうときだ。
あの美しい容姿に凄い陰がさす。
そして、間。台詞がなくても表情が喋っている。
ストーリーは幾つか解釈があったりするだろうが、結局は〝嫉妬〟に繋がる。人間に一番厄介な感情で、それがこじれてしまうと、なかなか元に戻ることは出来ない。
「ごめん」
その関係を修復するには、この言葉しか存在しないのだが、人は「ごめん」を発することを嫌う。なのに、相手には求めてしまう。もちろん、相手にも同じ心情があるわけで、こうなると負のスパイラルに陥いる。嫉妬の原因なんて、大抵の場合、大したことがない。「ごめん」なんて一言、子どもでも言える。
そんな簡単なことが出来ないまま時間が過ぎると、人の心は離れてしまい、時には壊れてしまう。
そうした誰にでも潜んでいそうな繊細さと狂気の部分のコントラストがあまりにも見事で、マリオンコティヤールの凄みを感じることの出来る映画だった。
テーマは本当に地味な映画なのに、ふたりの距離が縮まる場面は、まるで殺人鬼と遭遇するサスペンス映画のように、いよいよ再会したときにはコメディ映画のように、そして最後は…
どのジャンルの映画を観ているのか分からなくなる。あえて、ジャンルを固定するなら、これが〝フランス映画〟なのだろう。
最後にトムクルーズの映画は、アクションのスケールを大スクリーンで観るべきだが、マリオンコティヤールの映画は、その細やかな演技こそ大スクリーンで味わいたい。