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大学最後のオフ期間の話

始動から5日。

長いようで短いオフが終わり、東伏見での鍛錬を積み上げる最後の冬が始まった。

部員は、皆モチベーションが高いだろうし、僕自身は、それをトレーニングで感じる。今季に懸ける思いが伝わってくる。それでも、このままでは甘いでしょ、と指摘するスタッフや主将はじめ幹部の部員が居る。当事者意識、ベクトル、この辺りの言葉を耳にすると、ア式に帰ってきた感がえぐい。


大学4年生は貴重である。昨季が終わり、今季へのミーティングが佳境に差し掛かった時に、そう感じた。たかが、学生スポーツかもしれないが、100名の組織を動かそうとするわけだ。

昨季はここが良くなかったから、ここはこうしよう。

あれは良かったから続けていこう。

僕たちが目指す姿を掲げたり、運営していく上でのリスクを考えたり、幹部のメンバーはスタッフとの擦り合わせもあったので、膨大な時間をチームのために費やしていた。


学年ミーティングを重ねてきて、ビジョンやミッション、目標、スローガン、哲学、新たな取り組み等を決めてきたわけだが、それはあくまでも枠でしかない。言ってしまえば、ア式を3年間やってきた4年生の思考を形にした体制だ。

大切なのは、その枠の中で、どう自分を表現できるのか。仲間に、チームに、地域に、何をもたらし、貢献していくのか。枠を飛び越えた思考や提案、発信が出来るのか。1年とか4年とか関係ない。意思のある部員の言動が、波及していく。ただそれだけだ。

本質は、そこでしかない。だから、枠にハマることはない。というより、ハマるべきではない。始動ミーティングで、主将が熱く語った今季のア式を理解した上で、どんどん“らしさ”を出していくべきだと思う。だから、僕は、4年生らしくではなく、自分らしく在りたい。チームメイトに貢献する自分らしさ、自我を出していくのだ。



オフ期間は、寮の同部屋が実家に泊まりに来たり、ディズニー行ったり、高校時代のチームメイトと母校の選手権応援に行ったり、家族旅行に行ったり、大学ラグビー荒ぶったり、飲んだり、太ってみたり、風邪引いたり、していた。



率直に、応援されていることを知った。


普段なかなか会うことができない親戚、過去のチームメイト、OBの方々、会う人皆が口を揃えて、ラスト1年頑張れよ、と言ってくれた。



いまだにお年玉をくれる親戚は、プロになれるといいね、と言う。

まだ信じてくれているの?

厳しい世界なんだよ、と思いながらも、きっといつまでも親戚の中では、サッカー小僧で、これからもずっとサッカーしていくと思われていることに気づいた。

じゃあ、とことん小僧な姿を見せてやろう、と思った。

頑張れる気もしたし、思い返すきっかけを与えられた。



そんなこと知ってくれていたの?みたいな所まで僕の情報を持っていた友人は、サッカーをやめて別の道に進んでいて、充実していた。仕事しつつ、気にかけてくれるって最高に嬉しい。仕事の話をイキイキと話してくれて、ホッとした。サッカーくらいのめり込めてそうだったから。


互いをよく知っていたはずの友人は、プロになりたい!と、就活もしなきゃ…に挟まれていた。同じような境遇にあった。もう1人の友人は、完全にプロを志すことをやめていた。とにかく、ラスト1年やり切ろうな、都内の結構高い店で小3のチームメイトと、誓い合った。


始動する数日前に、OBの方々とお会いする機会があり、話し込んだ。過去の話から今季・今後のア式について、非常に貴重な話ばかり。我々現役部員を取り巻く環境を整え、日頃から支えてくださるOBの方々には、感謝しても仕切れない。



大学サッカーは、ア式は、サッカーだけの組織ではない。

今季のア式の哲学は、95年の歴史と伝統とともに受け継がれてきた、

Waseda the 1st. 〜サッカー選手としても、人としても一番であれ〜

になった。素晴らしい言葉であり、大好きな言葉だ。


改めて、我々ア式蹴球部が、誰かに何かを与えられているのか。

与える、とか言うほどの取り組みが出来ているのか。

常に、Waseda the 1st. の哲学を、気概を持てているのか。


考え続けなければ、枠だけが残ることになる。だから、考え続けて、まずは、仲間に発信してみることにする。4年生だからではなく、僕自身の考え方で、伝え方で。



応援されること、それは、それに応えることだ。

応えられなかったとしても、応えようとし続けることだ。

それが、責任であり、その先に、何かを与えられるチャンスがあるはずだ。




もう5日も経ってしまったので、明日もア式で本質に迫っていくことにする。

あ、親父の誕生日会、しました。おめでとう。ありがとう。

おやすみなさい。

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