ハリー・ポッターと炎のベンチャー part8(終) 最高の退職エントリー
僕はハリー。
コールセンターからも追い出されそうになってるけど、どうにかこうにかしがみついてるホグワーツOBだよ。
そんな僕は今、退職者が相次いだ職場で何が起こるのかということを目撃している。
まず、これまで現場でのマネジメントを担ってきた層の退職が相次ぎ、現場の雰囲気に変化が生じた。僕を始めとしてこの泥船みたいな企業に残ってる数少ない異常個体達は、これまでのように常には監視されなくなったのだ。
在職している僅かなマネジャー層は、臨時会議や緊急の外回り、バックオフィス業務を回すためほぼテレアポの現場に立たなくなった。一応一日のノルマはあるのだが、もう以前までのような激詰めは行われなくなった。そんなことをしている余裕がないのだと思う。
こうしてマネジャーの不在が日常化したが、僕らは相変わらずテレアポを続けていた。アポを取ったところで、ちゃんとした提案やヒアリングができる歴戦のM&Aソルジャーはほぼ退社してしまっていたんだけどね。
この迷惑営業行為が倫理的に問題を含むことは知っていたけど、マネジャーからの指示はまだ続行するようにということだった。
権威が存在する以上、命令の実行により生じる責任は権威に帰属するというのが僕らの共通認識だった。アズカバンでの電気椅子研修を生き残ってしまった僕らは、それをしっかりと刻み込まれていた。常識的にどうかとは思うけど、組織に属する以上、そして退職勧告を受けている以上、これが身を守る最善の策なんだもの。
そして、何としてでも、この会社の末路を見届けたい。
もはや金持ちマルフォイになりたいという当初の意識の高さは消え失せ、僕はただただドラマのように日々変化する会社の内部状況を目に焼き付けていた。不思議なモチベーションだった。
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ある日、状況の悪化が致命的であることを悟らせるイベントが起こった。
相変わらず反社会的なテレアポをしていると、CEOから全社メールの配信があった。
【本日付】人事情報
この状況下では、あまりにも不穏な文字列だった。
内容を確認すると、さすがに冷や汗が出てしまった。CFO、CHROその他上級幹部が軒並み退職するとの知らせだった。
さらに、この後CEOと残りの社員との間で個別の人事面談を行うという連絡が書き添えてあった。(組分け帽子は退職済みのようだった。)
今までも相当ヤバかったけど、今回はもうさすがに来るとこまで来たな~という、残留組のどこか他人事めいた感想が飛び交った。
CEOは今どんな心境なんだろう。
そういえば、僕は内定をもらったときも結局CEOとは少し話しただけで、あとはアズカバンの例の深夜散歩のときに会話を立ち聞きしたぐらいだ。本人はバックグラウンドをほとんど明かしておらず、ただ異常に若くしてこの会社を作り上げたという伝説しか聞いたことがない。
個別面談が、彼との最後の会話になるのだろうな、とぼんやり予感した。
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最高の終わり方とは何だろうと、自問自答している。ここはベンチャー企業の社長室。抜群の採光性、エキゾチックな観葉植物、そして高額なオフィス賃料。僕はCEO。本名は明かしていないけど、ロン・ウィーズリー。顔も整形済。
今僕は、『スタンフォード式最高の睡眠』という自己啓発本のタイトルを思い出して、それに引っかけたタイトルを自分のnoteに付けようという、どうでもいい思考を巡らせている。
この状況、頭のまともな経営者なら資金繰りに奔走しているはずだ。でも、僕はもう白昼夢を見ることしか出来なくなっている。
走馬灯のように過去の風景が流れ、時折誰かの言葉がリフレインする。「精神的に向上心の無い奴は馬鹿だ、ロン。」「失業エントリーでも書いたらどうだ。」
僕は書きかけのnoteにタイトルを加え、下書き保存した。
『ホグワーツ式最高の破産』
僕は白昼夢を思い起こすままにこのノートに書いている。今の状況に至るまでの過程、僕のこれから、社員の人生について思うこと。全て書きつらねたとりとめもない文章だ。
noteの最後は、SNSに投稿されて爆発的にシェアされた元社員たちの投稿、それにぶら下がるコメント群のURLを貼っている。会社が炎上していく様子が、これで伝わるだろう。こうして僕の人生が終わっていったんだ。
下書きを読み返してみる。
ダメだ、どんなに筆を入れたとして、僕のリアルな心情はとても伝わるようには思えない。これじゃあただの説明文みたいなnoteだ。
まだ加筆が必要だなと思った僕だが、名残惜しくPCを閉じた。そろそろ個別面談の時間だ。
社長室を出て、個別面談スペースへと向かう。
彼-ハリー・ポッター-が入社を希望していると知ったときはさすがに面食らったことを覚えている。僕の退学の決定的な引き金を引いた君が、僕の会社に入社してくるなんてさ。もっとも、名前も顔を変えて経営者をやっているおかげで、彼は僕がロンであると認知してなかったみたいだけど。
彼が優秀なのは知っていたから、内定を出すことに決めた。その後、自主退職狙いの例の研修も耐え、今もこの会社に残っているようだ。
僕は、僕がロンであることをこの個別面談で彼に告げるべきかどうかとても悩んでいる。告げたところで何が変わるわけでもないから、べきかどうかというより告げたいかどうかなんだけどね。
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個別面談スペースに入ると、CEOが居た。対面するのは何か月ぶりだろう。
採光性の高いこのオフィスでも、彼の顔の不健康感をカバーすることはできないようだ。やつれた頬、目元のクマ、カサカサの唇。ここ数か月間の苦労が全て顔に刻まれている。
それでも僕はどこか他人事のような気持でいた。泥船の舵をとるのも大変なことなんだね、と。
CEOが口を開く。
「ハリー・ポッター君。知っていると思うけど、この会社は危機的な状況にある。もう何度も組み分け帽子から伝えられていたはずだよね?どうして君は残ろうとしているんだい?」
僕は正直興味本位で残っていたのだが、そのナラティブはこの場に相応しくない気がしたので言葉を取り繕う。
「内定を下さったことに報いるためです。アポイントとか、少しでも頑張って会社に貢献しようと思って。」
CEOは少し沈黙した後、重たそうに口を開く。
「ハリー君。それはとてもありがたいんだけど、君自身のキャリアも考えたほうがいい。君はまだ若いが、時間というのは有限なんだよ。その貴重な時間をコール業務ですり減らしていくというのは、キャリア的によくないことだと思う。社長である僕が言うのもどうかと思うけどさ。」
その通りなんだけど、ここで認めてしまっては退職勧告を受け入れることになる。といって、検討します作戦が通用するフェーズでもない。少し返答に窮していたところ、CEOが少し逡巡して言葉を重ねる。
「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」
何だって?
その言葉は聞き覚えがある。僕が発したことのある言葉だ。ホグワーツで、僕のクラスメイトの...
「...という格言を昔小説で読んだことがあってね。少しきつい言葉だけど僕は敢えて言おうと思う。」
何だ、びっくりした。僕は目の前に座っているこの人物がかつての同級生、ロンかもしれないという妄想がちらりと頭をよぎったところだった。そういうわけではないようだ。
「この状況を見て、自分自身のキャリアを早急に考え直すというのは確かに精神的に負荷のかかることだと思う。でも、この状況にだらだらと居続けるというのは本当に君のためにならないと思う。これは心からのアドバイスだ。」
それなら自主退職にこだわらず解雇にしてくれよという言葉をぐっと飲み込む。
「君はSNSを見ているかい?僕の会社はもうずっと炎上しているんだよ。誹謗中傷や犯罪予告なんかもたくさん届いてる。会社に火をつけるぞなんてDMも来てるんだよ。」
そこでCEOは何かにハッと気づいたように言葉を繰り返した。
「火を...そうか。そうだね。それがエッセンスだったんだ。」
何だろう?自分の言葉でひらめいた非人道な実験のアイデアを反芻しているマッドサイエンティストのようだ。
僕は得体の知れない恐怖を感じた。目の前のこの同世代の経営者は一体何を考えているのだろう。思考が全く読めなかった。
「ハリー君。とにかくそういうことだから、ちゃんと自分の人生について考えたほうがいい。僕は自分の人生をどうしたいのかちゃんと考え付いたよ。」
面談はここで一方的に終了となった。
~~~~~
面談を終えてオフィス内を歩いていると、黒いローブの男と目が合った。
病的に白い肌、欠損した鼻。
あいつは...
「あ!ヴォ....」
そこで黒い男が即座に言葉をかぶせる。
「その名を口にしないことになっている。ハリー・ポッター。」
自分でブランディングしてたのかと思いながらも、僕は彼の名前を口にするのをやめた。
ホグワーツで一回徹底的に殺したつもりだったんだけど、ひっそり生き残って裏で分霊箱ビジネスを手堅くやっていたというのは魔法界では有名な話だった。
「こんなところで何をしてるんだ!」
僕は一応旧敵ということで戦闘の構えを見せようとしたが、ここで杖を持っていないことに気づいた。コールセンター業務に杖なんか必要ないので、家に置いてきているんだった。
「ハリー・ポッター。我輩は貴様と争いに来たわけではない。我輩はこの会社に少しばかり関与があるのだ。社長はいるか?」
肩透かしを食らってしまった。どういうことだろう。とりあえず社長は今他の社員と面談中のはずだという旨を伝えた。
「そうか。では面談を終えるまでしばし待つとしよう。」
名前を言ってはいけないこのおじさんは、そう言うと勝手にコーヒーを入れてその辺の応接イスに座り始めた。もうその辺の常識のない地主のおじさんにしか見えない行動に僕は少し幻滅したが、一応客人なので軽く会釈して自分のデスクに戻ろうとした。
そのとき、フロアの奥のほうから女子社員の悲鳴が上がった。
悲鳴は社長室のほうから聞こえてきた。何があったんだ。名前を言ってはいけないおじさんと僕がほぼ同時に声の方向に目を向ける。
社長室から黒煙が上がっていた。
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社長室のドアを開けて押し入ると、CEOが目を爛々と輝かせて、PCに文字を必死で打ち込んでいる。その目の前で、大量の書類が火を付けられ、黒煙をまき散らしながら燃えている。火は天井に届かんばかりの勢いだ。
「貴様、一体何をしているのだ。」
名前を言ってはいけないおじさんも動揺しているようだ。
「何って、失業エントリーを書いてるんですよ。あなたが勧めてくれたんじゃないですか。」
社長は手元のPCと炎を交互に見つつ、必死にタイピングしている。
「僕はね、会社が炎上して終わっていく様子をnoteに書きたかったんですよ。でも、ネット上の炎上をnoteに乗っけておしまいっていうのは僕の人生の締めくくりには相応しくない。本当に「会社が炎上する」様子を見ながらnoteを書いてみたら、自分でもびっくりするくらい文章に魂を込められている気がするんです。」
炎は蛇のように壁や天井を這い、あっという間に社長室の入り口まで到達した。僕は今部屋の中央あたりまで踏み込んでいる。やってしまった。逃げ道が...
建物の耐火性能がカスであることを恨みつつ、必死で脱出の手立てを探る。
「ヴォ...おっさん、杖なしでも詠唱できるだろ!何とかできないの?」
僕は人生最大の敵だったおじさんに情けなくも縋ることにした。
「いや、我輩は復活したときにビジネスの才能を与えられた代わりに、魔法アイテムなしで魔法を使えなくなってしまったのだ。」
そんなのありかよ。と思ったが、どうしようもない。
部屋の中に消火器がないか必死で探るが、生憎そんな気の利いたアイテムは見当たらなかった。
まずい、煙が...
「僕の会社が、人生が燃えている。本物の炎上だよ。ハリー。君にもこの光景を見せられて光栄だよ。」
CEOだった狂人がぼそりと呟く。手元は相変わらず高速でタイピングを続け、目は手遅れなほどに燃え広がった炎を見つめている。大きく広がった黒目がちらちらとその光を反射する。
煙を避けようと口を塞ぎながら、僕の脳裏に一つのシーンがよぎる。
大切な娘と我が家が業火に包まれる様子を見て、最高の傑作を描き上げたという東洋の絵師の話がなかったっけ。彼もその話を思い出したのだろうか。
薄くなってきた酸素に意識が朦朧となる。
~~~~~
目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。僕はベッドに寝かされている。
ヴォ...名前を言ってはいけないおじさんとCEOはどうなったんだろう。ヴォは殺しても死なないけど、CEOは...。
周囲を見回すと、見知った顔があった。
「お、目が覚めたな。」
ドビーだった。思わぬ再会に動揺する。
「会社に退職届出しに来たらよ~めちゃくちゃ燃えてるじゃん。俺が社長室のドアをぶっ壊してちょっとヤケドしながらお前らを助けたんだからな、感謝してくれよ~」
ドビーが以前のお調子者の口調で言う。見ると、確かに肩から腕のあたりに包帯を巻いている。
彼はアズカバン後退職していたものと思い込んでいたが、どうやら休職扱いだったらしい。
「ドビー、久しぶりだ。ありがとう、助かったよ。でも、君はアズカバン以来メンタルが崩壊してたと思ってた。」
ドビーが恥ずかしそうに答える。
「あの洗脳は強烈だったからな~。でも効果は永続的じゃなかったみたいだ。俺のほかにメンタルブレイクされた奴ら、あの女の子とかも今は回復しているらしいぜ。」
ドビーは一旦言葉を区切り、申し訳なさそうに続ける。
「あのさ、洗脳されてたとはいえ、電撃最高レベルまで続けちまってマジで悪かったわ。あれが正しいと本気で思ってたんだ。」
ドビーはとても申し訳なさそうに頭を下げる。
「もういいんだよ、ドビー。あれは悪い夢だったんだ。」
僕もその件についてもやもやを抱えていたので、ドビーから切り出してくれたのは助かった。
「ところでさ、会社はもうあんなんだし、俺らは今後ほぼ無職確定なわけじゃんか。退院したらまた就職活動しなきゃなって思うと気が重いぜ。」
そうだった。物理的に炎上してしまったベンチャーという、ド派手な刺青をレジュメに刻んでしまったのだった。やっぱりホグワーツに戻ってまじめに魔術系の道に進んだほうがいいと思う。気の迷いで重課金してしまったマホなり社長の魔法エンジニア転職サービスも炎上し始めてるみたいだし。
「そういえばさ、俺退職届出しそびれちゃったけど、お前ってもう退職届出してんの?」
そうだ。僕は会社に退職届を出してもいないし、解雇通知も受け取っていない。その辺は手続き的にどうなるんだろうか。
「ていうかCEOもこの病院にいるかと思ったら行方くらましてるらしいんだよな。もうほとんど幹部とか残ってねえし。誰に出せばいいってんだよ...。」
我が子を燃やす炎から傑作を生みだした絵師は、その翌日に自害したという結末を思い出したが、そういうことでもないらしい。CEOの行方は誰も知らない。
もしかしたらあの名前を言ってはいけないおじさんはひっそりと知っているのかもしれないな。
「よく分かんないけど、労基署とかに相談しようと思う。でも、この会社の崩壊までのストーリー、お役所に話しても信じてくれるかな。」
そうして僕は、ドビーが退職してから今に至るまでの会社のドラマを語った。きっと名前を言ってはいけない例のおっさんに会社を売り渡そうとしたところで今回の炎上が起きてしまったんじゃないかっていう、何となくありそうな想像も込みで。
「うわあまじかよ。こんな話聞かされても役所も困るだろうな笑。」
本当にそう思う。
「とりあえず、まあ今回の話で退職エントリーとか書いてみたらいいんじゃねえの?俺ら以外の元社員もSNSとかでボロクソに叩いてるぜ。」
いい提案だ。何だかとても筆を進めたい気分になってきた。僕は早速頭の中で構想を練り始める。この場にPCかスマートフォンがあればすぐにでも書き始めたんだけど。
「中身は思いついたけど、タイトル、どうしようかな。」
そうつぶやくと、ドビーが何か閃いたようだ。
「会社がガチで炎上しちまったし、タイトルに火とか炎とか入れてえよな。
『炎のベンチャー』とかいいんじゃね?」
なるほど、確かにいいかもしれない。炎のように苛烈な研修、SNSの炎上、そしてこの結末。ふさわしいタイトルだ。
「いいね、退院まで暇だし、頭の中で考えておくよ。」
書き出しはこうだ、
【ホグワーツ魔法魔術学校を卒業し、今日から晴れて社会人だ。...】
午後の柔らかな日差しが病院の窓から差し込む。
この話は長くなりそうだ。
(終)
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