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大雅の12月 / 2023

みなさんこんにちは、1月5日の朝8時5分、標高3000m以上あるクスコの空港にいます。
マチュピチュをたくさん楽しんで、これから移動です。飛行機に乗るの、少しだけ上手になってきました。(?)

12月は飛行機に6本乗りましたが、こんなにたくさんの飛行機に乗ったのは人生で始めて。
たくさんの失敗やトラブルを乗り越えて、少しだけ”移動力”を上げた気がします。
予定では(人生はまったくもって予定通りには行かないのだが)(私は予定を立てるのがとんでもなく苦手)、2年強にわたる海外連続生活が、今月から再び始まります。
新たなスタートの12月。そんな1ヶ月の私の物語を、今から読んでくれるあなたに感謝を込めて、いざ、始めます。


日本で友達に再会

11月のNoteにも書きましたが、せっかくの短い日本滞在中、いろんな人に会いに行きました。
いや、いろんな人が会ってくれたという方が正しい。

まずは高校の友達2人。
ずっとインスタで見ていた藤原&世界一キュートなまほろん(3歳)。
素敵な人の周りには素敵な人が集まると思うんだけど、それを体現する人。
私は藤原の発信するものや言葉がとっても好き。
本物のまほろんにも会えてとっても嬉しかったし、ゆったりした時間が流れる下北沢を二人と歩いたのは、12月で一番穏やか&癒やしの時間でした。
本当にありがとう。すくすく育っていくまほろんに負けずに私も成長するぞ。(私の人生のライバル、3歳。笑)

高校の友達2人目はあすぱっち。
舞台で演技を頑張る彼女、私はいつもポジティブなエネルギーをもらっています。
アイドルにもなれそうな可愛さのあすぱっちが努力を積み重ねたら、オーディション全部受かっちゃいそう。笑
次会う時、私も成長した姿で再会したい。
いつかあすぱっちの舞台を見に行く、その日がとっても楽しみ。

彼ら、エビばっか食べてた。

あと、卒業生が私に連絡をくれて、一緒にスシローで寿司を食べた。
会いたいと言ってくれる教え子がいるのは、先生冥利に尽きる。
英語の授業やホームルーム、部活を通して私の持てる全ての愛情を注いだ生徒たちが、卒業後どんな人生を歩むのか。
これからもずーっと、先生はみんなのことを応援してる。
彼らは「20歳の集い」いわゆる成人式を今月迎えたはず。私も負けずにかっこいい背中を見せ続けたい。

ヒサシブリすぎるプリクラ

そしてハイライトは大学のモダン人のみんなとプリ撮ったこと!
カラオケ行ってプリ撮ってゲームセンターでマリカするという、大学の時にも一度もしたことない大学生っぽい時間。1人や2人、少人数だと絶対にできないあの時間。
ニューヨークぶりにお会いしたやめさん(このかっこいい表現好き。言いたいだけ。笑)が企画してくれて、皆が来てくれて、実現したあの一日が、ほんとにほんとに楽しかった!ありがとう、私の唯一神!笑
帰りの電車でずみさんと福島さんと一緒に帰った時間も好きだった、最初から最後まで全部楽しかった。
みんなと撮ったプリの原本も財布に入れて、さわぺいんにもらったハンカチも持って、今再び海外の地で元気に生きています。

川崎フロンターレ、天皇杯制覇

フロンターレの話を少しだけさせて。
(興味ない人はここは飛ばして。笑)

優勝。泣いた。

これまた11月に引き続き、フロンターレの試合を見に行きました。今回は母と。笑
舞台は国立、天皇杯決勝。震えました。
90分で決着がつかず、延長の末、PKの10人目で決まったこの試合。
優勝を勝ち取った瞬間は泣いた。今Noteを書きながらまた泣きそう。

今年は苦しかった。正直、憲剛さんが引退した年や、碧や三笘や旗手がいた頃と比較すると、絶対的な強さはないと思う。
圧倒的に強いわけではないのに、ファイナルまで勝ち上がり、見てるこちらでさえ何度も諦めそうになる試合に勝ち、天皇杯を掲げたこのチームを、おそれながらも私は自分に重ねた。

海外で生きる他の人たち、例えばノマドニアで講師をするような人たちと比べて、私はぜんぜん力がない。
稼ぐ力も、上手に旅をする力も、情報を集める力も、発信をする力も足りない。
まだ彼らの”強さ”には到底及ばないが、自分にフォーカスして最後の瞬間まで心切らさず優勝したフロンターレのように、私も、必ずなる。
いつもありがとう、優勝おめでとう。フロンターレが大好きで、誇らしい。
私も、自分の人生を、優勝してみせる。

それから、今年チームを離れるダミアン。
大好きな場所を離れるのは寂しいよね。私も、日本を離れるのが寂しくて寂しくて寂しくて、そんな気持ちを重ねながら彼の涙を見ていた。
ダミアンのチャントを最後にスタジアムでたくさん歌えて、嬉しかった。

ディズニーシー

11月4日、帰国の理由は明確だった。親友の結婚式に出るため。
実は今回、出国の理由も明確で。それは、12月上旬、大切な友達のお誕生日をお祝いしたかったから。(後付けで天皇杯決勝12/10も)
それが終わってから出発すると決めていた。

一方的にこちらがお祝いしたいと思っているだけでは意味がないので、もちろん本人の意思も確認した上で(笑)、誕生日ディズニーに行くことに!
初めての誕生日ディズニー(私ではないけれど)、なんだかワクワクした!
次に行くことができるのは2年以上先になるかもしれないし、私にとって久っしぶりのディズニーに一緒に行ってくれて感謝。
シーの40周年の曲、Let’s celebrate with colorsは私にとってThe Song of the Month。
ディズニーから帰ってきたあと、12月は日本にいる時も空港でも海外でも、ずーーっと聞いてた。笑

海外を飛び回って本物の世界を見ている身としては、ディズニーの世界は造り物に感じるのか?
否、まっっっったくそんなことはない。
東京ディズニーリゾートは世界最高のエンターテイメント。
夢の国は楽しすぎる、素晴らしい。笑

2年間(予定)の海外生活スタート、日本で食べた最後の食べ物が謎

ちなみにその友達は、私が出国するときに空港までお見送りにきてくれた。
時間とお金を使って、わざわざお見送りしてくれる人がいるのは、とっても幸せなこと、幸せすぎて言葉になりません。
でもなぜか、一緒に食べたローソンの豚ラーメンが、私の日本での最後の食事になった。なんでやねん(笑)
飛行機で、隣の人に息が臭いと思われてたとしても、私のせいではありません。
まあ、そんなところも私達らしくて面白くて好き。
ちなみにちなみに、前回1年半前の🇨🇦ワーホリ出国の時も彼女は空港に見送りにきてくれて。
文字には表せないくらい、言葉には尽くせないくらいの感謝。
そんな大切な友達の誕生日を一緒にお祝いさせてもらえて、私もとっても嬉しかった。

そんなこんなで12月11日の深夜、中村大雅、日本を出発。

出国、そしてトラブル

寂しさを抱きしめながら飛行機3本を乗り継いで、🇺🇸の1番右下(南東って書くよりわかりやすくない?)のマイアミに到着。
4本目の飛行機に乗れば目的地のペルーに到着、というタイミングでトラブル発生。

結論から言うと飛行機に乗り遅れた。
4回くらいのDelay(搭乗時間の延長)があり、私はラウンジ(お金払ったあとは一日中出入り可能、好きなものを飲んだり食べたりできる)でゆっくりして搭乗時刻にゲートに行くというのを繰り返した。
このラウンジと搭乗ゲートが意外と遠い。歩いて10分強くらいなのだが、4回目は悪い慣れのせいでギリギリに。

仕事の電話を終えて、トイレに行って、「また遅れるかな〜」くらいのテンションでゲートに着いた時に言われたのは「今クローズしました。」
……いやいやいや、飛行機そこにいるじゃん!乗せて!!!
私の思いは儚くもマイアミの海に散りました。

さて、次の日の飛行機も高いし、困った私は無理やりプランBを捻り出す。メキシコのカンクンに一週間滞在し、安い日時の飛行機でペルーに行くことにしました。

メキシコ、舞台はカンクン🇲🇽


カリブ海の海の色はオーロラの色だった

🇲🇽に来るのは2度目。
前回はノマドニアで滞在した5月のグアナファト&6月のグアダラハラ。
今回初めて来たカンクンは、リゾート地として有名な場所。実は前回ノマドニア後に来ようと検討して辞めた場所なのです。
当時は始めたばかりのノマドのお仕事を軌道に乗せたかった。海に来たら遊んじゃうのは目に見えていたから。

ここカンクンで、私は経験したいことがありました。
みなさん、オールインクルーシブって知っていますか?
ホテルチェックインのタイミングでお金を払ったら、その後はレストランもバーのドリンクも、全てのサービスが無料で財布持ち歩かなくていいの。というか、ホテル代に含まれていると言った方が正しいか。
夏フェスみたいなリストバンドを手首に巻いて、あとは自由に好きなだけ、飲んで食べてを楽しめる。

私は、海のオーロラのようなうっっつくしすぎる青いカリブ海の海を楽しんで、おしゃれなプールを楽しんで、メキシコのビールやカクテルを飲み、海の上に虹がかかるビーチで、外国人の人に混ぜてもらってバレーボールをしました。
最高すぎて言葉が出ん。

飛行機を逃して実は相当ショックを受けていました。
でも、カリブ海とオールインクルーシブ体験を経て、「ここに来れて良かった」と思えるようになりました。
カリブ海、ありがとう。

そういえば、11月の一時帰国時に参加した高円寺の旅人オフ会で初めてお会いした、世界一周中の大学生そうまさんにもカンクンで再会できました。
一緒に海でビール飲んで、ハンモックで何もしない時間を過ごしました。
幸せ。

勇気出してインスタ連絡してみて良かった、ありがとうでいっぱいだ。

念願の初”南米”✨

12月20日、ついに南米に初上陸。(メキシコは南米ではなく中米?かな)
ペルーのリマという街に着きました。
ここで、私にとって素敵な素敵な出会いがありました。

リマ、危ない街と言われてたけど、私は好きな街。

またまた世界一周中の大学生、まさきさんがホステルで話しかけてくださいました。(皆さん、日本の未来は明るいです、間違いない。素敵な日本人の大学生が世界中にいる。)
3日間くらいまさきさんと一緒に過ごしましたが、私の仕事が無い時間に合わせて一緒にたくさん出かけてくれました。
リマの夜の美しく面白い街並みを見ながら散策したり、激うまなペルーご飯を食べたり、でっけえ太平洋を見たり、美術館に行ったり、夜のクラブに踊りに行ったり(メキシコと違って今回は踊らなかった笑)。
それだけじゃなくて、一緒に「旅するスペイン語(NHKのEテレの番組笑)」を見たり、マーケ関連の本の話やNewsPicksの番組を見たり。
全部楽しい時間だったのですが、彼にもらった、私に刺さった一言がありました。

人生で初めてお金を貸した話

お金の使い方は母にちゃんと教わった、感謝してるの。

今回の日本帰国中に、人生で初めて、”人にお金を貸し”ました。
私にとっては、まあまあ大きな金額。
でも、その友人が困っていて、私が貸すことでその大好きな友人が少しでも幸せに過ごせるのなら、そしてお金も最後返ってくるのであれば、何もマイナスではない。
私もニューヨーク3週間滞在したとき、あまりに口座からお金が消えて(5日間連続ブロードウェイミュージカルとかしちゃったから笑)悲しかったし、残高は心の余裕に繋がるのも少しだけわかるから。
そしてその友達のことをどれほど信頼していいのかは、自分が一番わかっている。どんな株や証券よりも”私の友達”の方が信頼できる(ちなみに株とかやったことない、NISAですら。誰か何かアドバイスあれば教えて、あ、でも積み立てる前に安定した収入が無いから無理だ。笑)

私は元教師だし、人を見る目は多少はある。
今までの人生、思い出せる範囲で、人を見誤ったことはない。(ありがたいことに、私の28年間今のところ、日本でも海外でも関わる人皆が素敵な人だった)(今思い出した、ペルー到着時も空港でパスポート落として税関でヒヤヒヤしてたら後ろから空港スタッフさんが持ってきてくれた、ホステル到着時は洗濯物の中にカナダドルの札束入った封筒を誤って入れてしまい、ランドリーの人とホステル受付の人に”You should be more careful”と言われた😭ありがとみんな😭)

パスポートが無かった時の恐怖よ。

しかし、とある拍子に私の口座を見た母を大変驚かせて、不安にさせてしまいました。
「大雅、騙されてない、大丈夫?」と。笑
これは私のミス、母が私の口座を全く見ないわけはない(私が海外にいる間にも色々振り込みやら通帳の確認やら手伝ってもらっているから)のに、何も考えてなかったし何も伝えてなかった。
ただ、私と友達の関係は我々の間でしかわからないから、なかなかに伝えるのも難しい。

とりあえず、私の責任ではあるから母に対して申し訳ない気持ちではあるし、もし仮に自分の息子の通帳に、その大きな金額の出金があったら私でも心配すると思う。
でも、一つだけ母からもらった言葉でどうしても消化できないものがあった。
「お金は借りない、貸さない、次はやめなさい」

お金を自分で稼ぐことだけが例外なく正しく、貸し借りは例外なく常に悪なのか?
ローンを組んで家を買うのは?奨学金で大学に行く人は?
皆がやっているからあり?ちゃんとした公の組織だからあり?
海外には物乞いがたくさんいるけど彼らに物をあげるのは?
あげるのは貸すのとはまた別?

お金とは???

そんなとき。
まさきさんにも、私が大切な友人にお金を貸した話をした。

「魂のレベルが違いますね」
と言ってもらえた。尊敬すると言ってもらえた。

上手く言葉にはできないけどとてつもなく嬉しかった。

ちなみにまさきさんは、物乞いにお金(もしくは物)を上げる派。
手の届く範囲、出会える範囲だけだけど、自分ができることがあればすると。
「目の前の友だち一人救えない奴が、火影なんかになれるかよ、そうだろサスケ」と言ってた気がした。(私の頭の中で勝手に翻訳されただけ、まさきさんはそんなことは言っていない。笑)
まさきさんは火影になる男だ、きっと。

ちなみに私はあげない派。
その場であげても、彼の物乞いをしないと生きていけない状況は変わらないと思うから、意味が薄いと思っちゃう。目の前の応急処置にしかすぎないのでは、と。

話変わって、能登半島での地震、多くの人が寄付をしてたよね。
みんなはした?私はしてない。まだ。

日本人だからとりあえず日本だけ見てればいい?
支援が必要なのは日本だけじゃない。数年前ウクライナには寄付したな、そういえば。
ガザでの戦争も、ウクライナの現状も今も追いかけ続けてるよ。
命をかけて現場を伝えてくれる人のインスタを見れるのは、私はとてもありがたいと思う。

みんなはどんな考えですか?色んな人に、ゆっくり話を聞いてみたい。
とりあえず脱線しまくったけど、私は友人に自分のお金を貸したこと、1ミリも後悔していない。
自分のお金は、私が自信を持って”価値がある”と思うことに使う。
その友達の笑顔は、私にとって価値がある。価値しかない。

12月も、ありがとう

教会の下、ダンジョンみたいになってた。ゲームみたい。

最後は楽しい話で締めましょうか。
リマのホステルで出会ったイギリス出身🇬🇧の友達と、一緒にサンフランシスコ教会的なところに行って、教会の地下を歩くツアーに参加してたくさんの骸骨を見てきました。(あれ全然楽しい話じゃない)

年末は腹痛、喉の痛み、発熱(あえて数字を見たくなくて熱測らなかったけど、ふらふら度的に39℃くらいあった)でしんどかったけど、病み上がりのちょいふらふらの状態で教会を見に行った。
私を誘ってくれた友達🇬🇧と、どうしても一緒に出かけたかったから少し無理してしまった。まあでも楽しかった。

海外での体調不良は、いつにも増して不安なのよね。私が骸骨になるところだった、生きてて良かった。

なんとなく12月は”日本を離れる寂しさ✖️トラブル✖️体調不良”でネガティブな感じだった。
「ネガティブな月なのにこんなにも盛り沢山で充実しててすごいですね!」と、今月も素敵な絵を描いてグラフィックレコーディングをしてくださったあかりんさんに言ってもらった。確かにそうかも。

今日もたくさん読んでくれてどうもありがとう。
2024年の中村大雅も、たっくさんいろんな経験して人間性を分厚くしていく所存。
応援してくれる人、見守ってくれる人、みんな大好き、ありがとうね。

みんな、健康第一だヨ!
みんなが元気でいてくれたらそれだけで私は嬉しい!

#海外ノマド
#住所は地球

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