受け手側がどう見るかも、作品のひとつ理論
芸術とかって、「作品」と「それを見る側がどう鑑賞するか」で完成するみたいに言われてます。
日常に置き換えると
普段の生活で言うと、自分だけで完結しない会話とかが「芸術」と「鑑賞する側」の関係に近いんじゃないかと思います。
そうすると、例えば相手の話がつまらないと思った場合、それは聞き手である自分のせいでもあるんじゃないかと思うわけです。
会話、その場の空気、仕事でもなんでも、受け手側がそれをどう見るか、感じるかで完成するので、決め手になるのは自分の考えです。
というわけで
芸術のときは「どう見るかが大事だから、」と考えようとします。
しかし、同じように対話するコミュニケーションでは「どう会話するか」忘れがちで、相手のせいにしがちだったなぁ自分と反省しました。