ハンサムな女性達
かつて、1980年前半に香港と広州に仕事をしにいくことが多かった。当時は香港からホーバークラフトに乗りマカオに渡り、そこでマカオの中国人のスタッフと車で中国に向かうのが通常であった。最初にそのルートで中国に入った時、何もかもが驚きの連続であったのだけれど、とりわけ驚いたのは炎天下の中で、女性が麦わら帽子をかぶりたき火のようなその上で鉄板が載せられそこでアスファルト溶かして、道路を舗装している逞しい姿であった。10人に満たない華奢な女性たちが、力仕事を淡々としていた。想像もしなかったその姿、無駄のない削がれた筋肉の腕を思わず車から眺めた。当時その仕事の女性たちの誰一人太った人はいなかった。わらの三角の傘を頭に被り、モンペともスパッツとも言えるようなものを履いていた。年齢は多分30代以上50代以下だったろう。
縫製の工場の働いている人は女性だけだったけれど、中国共産党は性別での区別はあんまりないんだろうなと感じた。庭園造りの肉体労働的な職業に加わっている人も女性が多かった。当時、役所などの要職の部分にも女性も多く、結婚して子供もがあっても夫とは別の地方に派遣されているために、自分もしくは夫の両親が子供の世話をして、単身赴任という話もよくあった。当時の日本、私の世代でさえ結婚したら仕事をやめて専業主婦になるとか、4年大学に進んだら結婚が遅れるなんて言われた時代だったから。この中国の事情は何かを開眼させてくれる事が多かった。それとて、40年以上前の話である。もちろん経済成長で現在の中国はアメリカやロシアと対抗する大きな国へと成長した。世界は中国という国がなければ生活するのは難しい。
中国の人は男女共に、意思疎通は直球だと思う。生きること、食べる事への執着さと、粘りは日本人よりもずっと強いと思う。文化革命を知っていたり、天安門事件を見た世代は、政権の変貌と共に振り回されてきているのだから。日本人のようなぬるま湯に浸る感性はないと思う。世界情勢についても、このままの泰平が続かないかもしれないという、覚悟を持ってるだろうし。もちろん今の20代以下は、安定した一人っ子政策の中国で育っているだろうから、きっと日本の若者と同じぐらい、やわらかなメンタルかもしれないが。中国人の友達は精神力が強いし、先を感情ではなく冷静に見ている、そして嫌なこと出来ないことを断るのは西洋人的。私の友人は香港育ちの人の方が多いのではあるが。
日本の忖度文化はアジアでもかなり特殊、美しい日本の文化に加えれば良いような。かつては日本の会社で働いていた私が、つい最近ソーシャルメディアにて知ったことがあった。それは会社内の通達、承認、稟議書類に印鑑を押す時に、ボスは真っ直ぐ、そして部下は30度ぐらい傾けて、まるでお辞儀をしているように印鑑を押すのが常識だと。私、もしかしたら飛び抜けた常識はずれ? それには気がつかなかったのか、少なくとも私は知らなかった。そして2022年の今日もそれが通用しているとか、それはまずいのではなかろうか。まず、今でも社内で印鑑なんて必要なわけか。それにびっくりした。昔日本大使館を通じて送付する書類には印鑑が必要だを日本人であることは印鑑印肉を海外でも持っていることが必要なんだと気がついた。海外に住むと全く平成とか、令和というのも他人事になっている。それにもかかわらず、日本の書類の期日は全部元号制度。インターネットが当たり前になって、ソーシャルディスタンスが当たり前になってきた今日この頃、印鑑、元号、廃止でパスポートの申請や住所変更とか全てオンラインでさっとできないものかなあ。
スイスはこの数年まだ建築ブームが続いてる。人の移動も多くなってきている。銀行の金利が低いことから、お金を預金にしておくより、人々は物件を購入している。我が家からすぐ近くに進行中の建築現場数個あり、この2年間コロナのおかげで旅行が制限されおうち時間が長い。通るたびに現場を観察をしていたけどなかなか面白かった。スイスでは市内のタクシー、路線バスの運転手、そして湖の遊覧船ボートの船長にも女性の姿をたくさん見る。でも、この建築現場観察で、大型ダンプカーの運転手に若く綺麗な女の子が結構乗っているのを見た。ある日工事現場のところに、女性数人と男性数人がヘルメットと作業姿で来て、何かをしていた。それは地盤調査とそこに植えられていた木を保護するための調査員で、そこにある大きな古い胡桃の木が伐採されるのではと心配していた夫は、彼女たちから、心配しないでこの樹はちゃんと残しますとお墨付きをいただいてきた。そういう調査員にも女性。近所の工事現場にセメントミキサーを運転してきて、現場の男性たちに指図をして同等に働いているのが可愛い女の子だったのは、なんだか感動をした。決してむさ苦しい格好で男に紛れ込んでいる女性ではなく、ピンクの可愛いシュシュで髪を束ね、身体もそんなに大柄な子ではなかった。そしてミキサー車を止めて現場の男たちに指図をしている、なんだかとても格好良かった。道路のロータリーの中に花を植えるという作業、その作業員にも女性が多い。そして先日車のタイヤを夏タイヤから冬タイヤに替えに行ったけれど、ガレージで働いていた人もヒッピー的な女性だった。スイスは結構それが多いような気がする。たまたま工事現場の女性を見たオーストリアからの友人が、オーストリアでは女性が働いているの見たことないって言っていたから、やっぱりヨーロッパでも国によって違うんだと思う。
私の第二の故郷スペインも国会や司法のニュースをを見ていると女性の議員の数が男性より多くなって来ている。特に市町村の議員ははるかに女性が多いと思う。夫はスペインの国会中継ウオッチが趣味で、女性の意見がダイレクトで、簡潔で鋭いと感動する。ラテンでマッチョなスペイン男性、賢いかもしれない。どうやら女性に任せた方が世の中スムースに物事が進むってことに気がついたのだろう。日本の元首相が、女性は話が長いと言って顰蹙を浴びていたけれど、私はスペインの男性話が長いと思う。もちろん女性もおしゃべり好きなんだけど。でも昨今は女性の方がテキパキしているし、議会に入り込んでいる女性たち、着飾り方もお化粧も洒落ていて、素敵な女性が多い。そしてその美しいという外見だけでなく、回転が速く、仕事も鋭い。
だからこのような海外の女性の立場がどんどん安定してくるのを見ると、現状日本に愕然とする。私の世代は男女の給与差があり、お茶汲み、電話応答、コピーは女性の仕事にされていた。私はある大手の会社の面接時に、付き合っているボーイフレンドがいるか、そして結婚の予定はあるかと質問されたことがある。アメリカ人友人にその面接の後でその件をこぼしたら、信じられないと言って呆れられ、これは訴訟すべき案件だと言われたことは忘れられない。オーストラリア人の友人の母に会い、日本の面接を嘆いたら、“年齢とか、宗教とか聞かれはしない、問われない代わりにね、人を見て、勝手に判断をして決定されるのよ。この女性はきっとこの年齢だと子供がいるんだろうな面倒だな、そういうのは避けようと。こうなると反論しようもなく、チャンスは無いの。だから同じようなことは起きるのよ“ と夫を子供たちが小さい時に亡くし、シングルマザーとして娘息子を育てた彼女に慰められた。コンプライアンスだけでは差別は減らせないんのだから。
少なくとも私が不在になってからのこの40年の間に日本が当時よりずっと前進していて欲しかった。でも医学部の入試では男性の方に下駄がはかされ、非正規雇用が増え、女性にとっては今まで以上に大変な時代が来ているのが事実なんだろう。
今私が暮らすスイスでは、男女の差はもちろんある。ここでもお昼に子供の迎えがあったり、お昼を食べさせてまた学校に送っていったりという地域もある。もちろん夫がそれをするところもあるだろうが、やっぱり女性にたくさんの負荷がかかっているのがわかる。でも女性たちは子育ての間にも仕事を続ける方法はある。100%の雇用で行くとか、私は65%で働いているとか、会社との契約で、正社員であっても週に3日しか働きたくない、50%で働くとかを決めれる。もちろん給与、ボーナス、保険全て働く時間によって変わってくるけれど、それを選択することはできるし、キャリアを全面的に放棄しなくってもいい。
20年前に、ノルウエーの知り合いの家を訪ねた時にも感心した。ノルウエーは両親共働きが当たり前。ただしフレックス時間帯の充実がすごい。夫は5時半ごろに仕事に行く、妻は朝子供を起こして食事をして、見送って自分も仕事に8時半ごろに行く。ただし夫は3時までに仕事を終えて、娘を迎えにいって、買い物をして家に戻り、夕食の用意をする。それが当たり前で若い夫婦たちはやっていた。物価が高く税金も高い北欧では夫婦共稼ぎでないと生活は成り立たない。高いけれど税金は自分たちの教育や、子育てや、介護、病院に使われていることがわかっている。
日本も今税金の比率では北欧並みに高く取られているようだけれど、女性の給料は上がらないし、お母さんの負担は高くって働きにくい。少子化であるのに保育所や預けるところが難しくって競争が高い。そしてまだフレキシブルな仕事時間じゃないこと。残業がまだまだ当たり前になっていること。政治家や、霞ヶ関の官僚たちに知らせる方法はないのかねえ、あのマッチョのスペインの男性みたいにさっさと学ぼうよ。もっと女性に仕事場を明け渡してくれれば、きっと日本元気が良くなりそうな気がする。もちろんそれには、子育て家事のできる男性も必要だ。