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100歳の市松人形

2020年末ぐらいから毎月一つのブログをあげてきた。2022年2月、ついに落とした。ほとんど仕上げて写真を添付して公開する前だった。それが24日のロシアとウクライナ問題で気力が無くなった。

自国の問題に無関心な日本でも、戦争反対のデモがあったり、巨悪ロシア、救えウクライナがポピュラーになっているのはちょっと不思議な気がする。ウクライナがどこにあるのか、わかってる? ヨーロッパにいてさえ、ロシア、東欧諸国間にある問題は難しい。戦争反対していることに文句をつける気はない。日本では反戦運動なんて半世紀前に終わってしまい、昨今はデモをする人も少ない。もちろんヨーロッパに住んでいる身としては、ウクライナ問題は近所の問題でにあるのだけれど。

私はチェルノブイリが爆発した時はまだ日本にいた。スイス夫はアルプスの山の家にいたそうだ。ラジオから窓を閉めて家の中に入れということで、チェルノブイリの時にはしばらく家の中にいたらしい。その時の放射能汚染はイタリアに近いアルプスに降り、フランスはドイツとフランスの国境付近のアルザスにも降ったということだ。私のフランス人の友人はアルザスに近いところに住んでいた、彼女も夫も癌で亡くなり、息子の一人も甲状腺癌になった。彼女はこれにはチェルノブイリが大きく影響しているといつも話していた。秋に出荷される夫の大好きなキノコ。生産地の多くがバルト三国のリトアニア。スイスのマーケットに安価で流通する。きのこの大好きな夫はこの数年はたまに食べるようになったが、シーズンになっても高くていいからスイスとかフランスのきのこ類と野生動物にしてくれと言う。もちろん売られているものはちゃんと安全な基準のものに決まっているのだけれど。森のキノコそしてそれを食べている動物も汚染されているからと食べない。

11年前の福島の地震の時私は結婚してすでにスイスに居た。スイス夫は、私の疑り深さとは異なり、純粋に日本の原発は大丈夫だと信じていた。だから原発事故では本当に驚いていた。そして、あの事故の後メルケル首相はドイツの原発をシャットダウンした。夫はメルケルは正しいけれど、東欧の満足にメンテナンスがされず、古くいつ故障しても不思議じゃない原発はそのまま使われているのに、なんだか大きな矛盾があるなと言っていた。

皮肉なことに、ウクライナ、チェルノブイリがロシアに占領されたというニュースが流れ、3月4日はウクライナの最大の核施設が攻撃されて火災が起きた。戦争の手口としては、もちろん電力供給網を抑えてしまい、困らせようというのはわかる。でも原子力発電所というのは恐ろしい。人間のすることにはいつでも間違いは起きる。どうか送電線を切ってしまって、冷却装置が働かないようにだけはしないでくれと祈ってる。原発というものを持つ限り、世界のどこかで第3の福島やチェルノブイリが発生する可能性はとっても高い。100%安全なものはないし、廃炉にしたいと思っても、そんなに簡単に止めてしまえるものではないのだから。そして無事に止めることができたとしても、そこで使われていたり、その周りの使用済み燃料や、放射性汚染物質をどこに廃棄するか、という大きな問題が解決していない。

原発をやめるという基盤の上で、その次に考慮することが二酸化炭素量を減らし、温暖化を抑える事。再生エレルギーを模索しながら、昨今ドイツや他の多くのヨーロッパの国では、電気の代わりに暖房を天然ガスに切り替えていた。ロシアからの天然ガスに50%頼っている国にとって、ガスが供給がおぼつかなくなったり、高価になったらまた電気消費の問題が現れる。原発生産国のフランスはもちろん安上がりで二酸化炭素が出ない原発クリーンエネルギーいうプロパガンダをするだろう。それが一番怖い。戦争ももちろん怖い、コロナも怖い、でも目に見えない、放射能はもっと不気味。透明人間と素手で戦ってるみたい。

1995年の神戸淡路震災、日本の実家にスペインから戻り2日後の被災。あの経験が今の私を作った気がする。当時ネットがほとんど普通の生活には浸透していなかったし、スマートフォンもなく電話とファックスがまだまだ主流であった。日本に帰国して2日後、実家のある大阪は地震での被害はほとんど最小。それでも多く神戸の友人や家族が被災した。この時に、今日と同じ明日はないと良くわかった。そして2011年の東日本大震災、そしてそれに伴う福島原発事故。2000年以降、自然災害が、世界中で起きる割合、確率は高くなってきた。地震、それに伴う大津波、竜巻、噴火、山火事、集中豪雨、大雪、旱魃、猛暑、厳冬、気候変動、溶ける氷河、それらの自然の力が人間の生活を左右する。

今回のウクライナキエフ攻撃にショックを受けた人は多かったと思う。うちの夫もそんなにならずに解決するさ、と私の心配とは違って戦争にはならないと見ていた。この20年ぐらい、常識や理論ではないことが当たり前のように進んでいく。それが一番怖い。日本の政権を見ていてもそれ、何百回と嘘をついても平気な首相。ご飯論争。言葉がまるで通じていない、政治の世界。昭和の世界ではあり得ないお話ばっかりが、平然と通用している。嘘をついても恥ずかしいとなどこれっぽっちも思っていない。むしろカッコ良いことぐらいに思ってるのではなかろうか。

桃の節句には私の雛人形と母が祖母からもらった市松人形、ひなあられそして金平糖を飾り、夜にはちらし寿司をいただいた。それが私にとってのひな祭りだった。その母の市松人形は今も私の手元にある。幼い頃、このお人形が怖かった。雛人形の横に立っているのを夜中に起きて目が合うと、そのそばを通れないぐらい怖かった。それがなんと私と共に香港に行き、スペインに行き、そして今はスイスに。ひっそりと私のそばにいる。大阪空襲で父は家を失い、幼い頃の写真は一枚も残っていない。母の実家は幸いにも3軒先までが焼け落ちたが、ぎりぎり焼け落ちなかった。そのお陰でこの市松人形は生き残っている。

キエフの街が、21世紀なのにミサイルや焼夷弾のようなもので爆破され家が燃えている。まるで第二次世界大戦の時と同じだ。何と野蛮な行為なんだろう。人間のやる一番愚かな行為は、戦争。自分たちが築き上げたもの、自然を破壊をするのだから。殺人、虐待、強奪、強姦、戒め、強要、強制。異常な状況に人が暮らし、極限に追い詰められることで人間らしさを保てなくなる。できる限り真実を見るようにして、怒りで目隠しをされてはいけないんだろう。さもなくば、ネットの偽情報で惑わされられるかも。

ヨーロッパで暮らすと、難民として入国して住んでいる方にも多く会う。我が家の窓を掃除に来てくれる女性はコソボからの難民の方でこちらで暮らしている。人が難民となり異国に住む、その国の語学を習い、故郷に持てるもの以外は置いて、知らない国での生活を始めることはとっても辛いと思う。誰だって、自分の国で家族と暮らしたいと思う。自分の両親が住む家があったり、自分を育てたルーツや、文化、環境を誰だって捨てたいとは思わない。その理由はやっぱり戦争であったり政治体制であったり。

自然災害が福島原発を破壊した。そうかな?本来地震という自然災害があるということを理解した上で、原発という人間が制御できないものをあちこちに設置したというのが日本の状況。核武装をしなくっても、原発を狙ったらそれで国は終わる。それどころか世界でさえ終了にできる。原発の核燃料を冷やしているのも電気。だから原発で停電が起きて、クーリングシステムが働かなくなったら、これだけでもメルトダウンさせるのに十分なのだから。リセットのできるゲームではない。

地震が日本で起きるたびに私はハラハラする。福井の原発に何かあったら、関西の水源の琵琶湖がダメになる。日本に何かあった時、とりあえず私は誰かを助ける受け皿になろう。それが阪神淡路震災を自分の目で見た私が決心した事。それにしてもCOVID19で海外に行くことに制限がかかり、そして今再び昔の米ソ冷戦時のように上空を飛べない国が大きく横たわることになってしまった。

バラエティに富む経験をして来た身としては、想像はしていなかったがロシアとウクライナの戦争も淡々と受け入れるのみ。でもいつも戦争でいちばん傷つくのは、一般の市井で暮らす人々。そして動物、さらには自然の破壊。キエフの動物園がミサイルでとのニュースを聞いていたが、どうやら救える動物はポーランドに移動したようだ。でも700頭の野犬、捨て犬、を収容する施設、そこの管理をしていた人が、シェルターに逃げることを拒否して犬と共に亡くなった。これが戦争。国境を超えて、全てを残して逃げる難民となるウクライナの人。その中にはきっと具合の悪いお年寄りもいるし、疲れ切った子供たちも多いだろう。それはアフガニスタンだって、シリアだって、ミャンマーでも内乱戦争のはじまったところで常に起きている残酷な現実なんだと思う。

今日、夫に核がばら撒かれた場合、どこが我が家の逃げるべきシェルターかを尋ねた。スイスはある時期に建てられた家には必ずシェルターが地下に備え付けられていた。でもここ最近は近くの学校とかの地下に収容できるシェルターがあり、その分の税金を払って、何かあったらそのシェルターに行くことになっている。うちの夫は犬も連れて行くと言うが、連れていけない場合は、私はシェルターには行かないと決めている。犬と共に亡くなった方の気持ちがとってもよくわかる。

このブログを来年の今頃読み返して、本当にあのアホなプーチンのお陰でコロナの後にはこんなことに振り回されていたのねえ。と笑って読めることができるようになればいいな。もちろん現実に今被災された方、そして戦って亡くなられた方、にとっては平和が戻っても、24日以前の世界が戻るわけではないけれど。子供たちが安心に暮らしていける未来が来ますように。これ以上多くの人命がこの戦争で失われないように。なんとか平和を模索してほしい。私は1世紀を生き延びてきた市松人形と一緒に平和な世の中を見たい。

もう少しで東日本大震災から11年目が来る。まだまだ不自由な生活をされている方がいる、11年経っても傷は消えることは無い。震災で亡くなられた方の事も思い。。。戦争のない平和な地球が続くことを。

合掌