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昭和97年、三月

先日、古い写真を整理していて、わたしが幼少時の、家族写真をFacebookにアップした。その写真を眺めてふと気がついた。写真に映る祖母の年齢は逆算すると今のわたしの年齢。祖母という役があまりにピッタリしていたので、なんかショックだった。祖母は京都生まれで、結婚した後亡くなるまではずっと大阪に住んでいたのに、はんなりした京都言葉を使い続けた。

わたしの祖母、祖父達は明治生まれ、父と母大正生まれ、そして私と弟が昭和生まれだった。もちろん平均寿命が短い昔は、精神も肉体も早いスピードで老熟していたのだろう。母曰く、祖母は体が弱く、華奢だったのできっと長生きなんかできないだろうと思っていたらしい、が83歳で生涯を終えた。この祖母はわたしが幼い頃から、ちょっと腰をかがませて、ゆっくり私たちの後ろを追うように歩いていた。それゆえに今の自分があの時の祖母と同じ、は驚いたのである。

子供の頃、従兄弟たちと母の実家の工場は格好の遊び場だった。その工場の裏側に、たくさんのレコードが放置されていた。昔のアメリカのジャズ、映画音楽、祖父のコレクションだったらしい。戦時中にそんなものを持っているのを見つかったら、非国民扱いされるから、きっと捨てるに忍びず、工場の裏に廃棄して目に触れないようにしたのだと思うとのことだった。

昭和に生まれ、大正生まれの両親に育てられ、明治生まれの祖父母と行き来をして育った。そして昭和が終わると同時に私は結婚して日本を離れてヨーロッパで暮らしている。そしてその私の人生も半分以上が海外になった。だから私には平成、令和は存在せず、昭和で終わってる。昔と異なり、時差はなく日本の、世界のことをすぐに情報として手に入れやすくなってきた。昔と違い国際電話料金の必要がなく、スカイプ、ラインで日本の友人ともすぐ話せる。便利な時代なのであるが。それにしても不思議なことが日本ではたくさん起きている。

夫婦別姓選択が今の時代問題になっているのはびっくりした。日本の国会では通過しない。別にみんなが夫婦別姓になれと言っているわけでなく、そういう選択もあできる。。っていう選択を一つ増やすだけで、何も強制ではないのにこの有様。ヨーロッパにいると夫婦別姓が当たり前だし、姓を二つ持つのも当たり前な国もあるし。家族の繋がり云々、子供が可哀想とか。。もう時代錯誤

明治生まれの祖母は、私がイギリスに留学する時でさえ、なんもそんな女の子がよその国に行くようなことせんでええのに、日本が一番ええとこやのにと嘆いてくれた。洋画の大好きだった祖父と異なり祖母は海外のことなど興味もなかっただろうし、一番ええ日本だけしか知らなかった。

日本で仕事をした間、私の上司は大正もしくは昭和一桁の人であった。流石に明治の人は現役で仕事を退いていた。だから戦争に行った父と同じような世代の人が多かった。そして1970,1980年代、結婚している女性は専業主婦がまだ圧倒的に多かった。母のように仕事をして、昼間家にいないという人の方が珍しかった。弟の世代がボチボチと鍵っ子というのが出現している。妻が専業主婦の家庭は、お父さんはたてのものを横にもしないっていう人は多かった。<少なくとも我が家はそうではなかったから>

私が働いた会社の上司、管理職の立場の人たちからセクシャルハラスメントを受けたことは一度もない。満員電車の中の痴漢の数は当時も十分に多かった。でも、職場を一緒にした男性から、女として不愉快な思いをさせられたことはなかった。どちらかと言えば過剰に我が娘と同じように、変な男に引っかからないか、を気にしてくれていたような気がする。要するに女の子扱いはされていた。

父が親の愛情をほとんど受けずに育った複雑な家庭だったため、子供に対する愛情表現がぎごちなかった。だから父は私の生活に口を突っ込むことはなかった。イギリスからピンク色の髪の毛で戻った時も、ズタボロのパッチワークのジーンズで歩いても父からは叱られたことは一切ない。夜遅く戻ってもそれほど問題なかったので、仕事場のおじさん達のご心配は新鮮にありがたく聞き流すことができた。

近年、日本から聞こえてくるニュースでこれだけは酷い。学校制服の下に来ている、下着の色を先生がチェックする?30年以上外国で暮らすと、制服もランドセルも必要なしになる。肌の色も髪の毛の色も、ピアスだってお化粧だって、刺青だって、どうでもいいんじゃないかと思う。それは学業には響かない。

日本が一生懸命自分たちの足元の問題だけを大騒ぎしていたら、大きな世界の流れに取り残される。日本の満足する形は鎖国しかないなあと思うが、食料自給率が30%そこそこの国ではそれも不可能だ。

2月の末から続いている、ロシアのウクライナ侵略は今なお終わっていない。もうこの緊張状態はすでに1ヶ月を超えた。それにしても、21世紀になって過去の携帯の戦争ををヨーロッパの玄関先で起きることになり、その難民をヨーロッパで受け入れる事になるとは想像していなかった。侵略まで普通に幸せに家族が暮らしていた特にキエフの市民は今家を失い、家族を失い多くの女性子供は近隣諸国に逃げている。健康な男性はお国を守るために家族と離れている。日本ではこのウクライナの話がとっても大事なようだ。

もちろんウクライナ情勢は、世界情勢に大きく響く。第三次世界大戦や、核戦争、化学兵器戦争にまで行かないでくれと思う。それ以上に、戦争で命を落とす方がこれ以上出ないでくれと願う。突然のロシア侵入で全てを失い、命を脅かされ、逃げている人を救うのに助けをしたい思いは人間として当たり前。でもこの築いたものが一瞬にして壊されることって決してウクライナだけで起こっていることでは無い。街を家を人生が破壊され、大事な人を失う。例え生き残っても、大切な人を失って、それでも人生の再構築を始めなければいけないという悲劇。父が大阪空襲で何も失い子供時代の写真一枚も持っていなかったように、人生を再建しなければいけなかった人は日本にもたくさんいた。ことに地震、水害、台風、津波、日本人は経験してきた、そして自然災害だけではなく、今も福島の原発問題は何一つ収束していない。それを追求するメディアもどんどん無くなっている。興味は日本より、ウクライナ。

大学で教える友人から、ヨーロッパの大学に在学するロシア人の学生たちにビザが出なくなったりしていると聞いた。スイスには音楽、バレーの勉強にきているロシア人の学生も多い。彼らは今の所コンクールに出ることもできないらしい。ロシアのパスポートを持っている、ロシア人であるということでだ。これを聞いた時私は、夫に憤慨してこんなバカなと息巻いたけれど、冷静に夫は、悲しいことだけれど、ロシアに対する制裁なんだと。そして昨今のヨーロッパでは多くの危険分子としてロシア人がに送り込まれている事もあると。それはサッカー場で、コンサートで、何かのフェスティヴァルで、テロや乱闘、混乱を引導させることを目的に配置されているらしい。

それで思い出したのが、私がイギリス留学から戻ってきた頃<1970年第終わり頃>が拉致が盛んだった頃である。北朝鮮の諜報部が世界中に散らばされていた時のだと思う。どのようにして、北朝鮮に連れていかれたのかきっと普通は理解できないと思う。旅行先の滞在地で、気の良いアジア人と出会い、仲良くなり、情報交換うまく安いチケットがあるとか、キャンセルが出たとかで上手に日本人を別のフライトに移して拉致してしまったのだから。今のように情報が簡単に入らなかった外国生活や旅行。もし私がたまたまそういうふうに出会ったら、うまく自分の身を守れたかは神のみぞ知る。だから私は拉致被害者とそのご家族のことを今も気に掛ける。半世紀になろうとしているのに、北朝鮮問題は日本のメディアでは全く話題に登らなくなった、拉致被害者のめぐみさんのお父様も亡くなられた。

グレートリセットこの言葉を日本のメデイアで聞いたとき、寒くなった。日本は全ての問題、都合が悪くなったらリセットあまりにも日本的な発想だから、あり得そうで恐ろしい。何かを解決するのに、経験のある専門家を探して話を聞き教えを乞うことではなく、まずいやり方や、誤魔化しきれなくなった、都合が悪くなった、金銭的にも大損が出た、たくさんの犠牲者が出た、自分の立場が危うくなった、そんな時にはリセット。プチットリセットボタンを押したら、見たくない不都合な物が消え去り、新しい画面に移行。日本の政治家も官僚にそういう発想の方がいっぱい居そうで恐ろしい。人間の気持ちはそんな簡単にリセットなんかできない。自分の街が破壊され、多くの人の命が一瞬で失われって戦争だけでない。津波で家族や友人が亡くしたり、自分の住んでいた街はなくなったり、もしくは立ち入り禁止で戻れない方もいるのだから。その傷は生きている限り一生涯消えるこはなく、古傷は痛み、精神も病み日常生活ができないことも起きるし、自死を選ばれる方も出てくる。核を持ったところで何かをリセットなんてできない。

日本は自然災害も多発する厳しい国であるけれど、同時に肥えて豊かな土壌、豊富な水源、ユニークな文化を発達させてきた国。リセットではなく、昔からあるものを見直しながら、人々が幸せに暮らせるように再建してほしい。外交の基本である、対談することで平和を保ち、原発を止めることを考え、アジアの他の国と仲良く生きる方法を考える心意気がないんだろうか。

スイスはイタリア、フランス、ドイツ、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれている。スイスに海外から毎朝出勤、夜は国境を超えて自国に戻る外国の人も多い。牧草地には最適な地質、岩盤で、土壌は日本のように豊かでなく、野菜、果物を作るには、寒さが厳しくなるスイスでは簡単ではない。だから銀行や保険、薬、精密機器という特殊なビジネスを発展させた。そして中立国として、かなり狡猾に動いているなって思う。周りを囲まれた小さな国はバランスを考えて、言語能力に長けないと潰されてしまうから仕方ないんだろうと思う。島国日本は四方を海に囲まれているという、優位な地勢から、政治家、官僚だけでなく国民も切迫感がなく緩い気がする。

今年も桜の花を見ることができた、季節は変わる。雪も溶けた、アプリコットの花も咲いた。全てがいつもと同じである。核シェルターに行くことなく、もうしばし自然を散策する生活ができることができますように。世界の運命がここまで儚いものだとは予想外だった。