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メリークリスマス、エンジェル殿

12歳から一緒に過ごした大切な親友がいる。学生時代は毎日学校であっているくせに、家に戻ってからも延々の長電話をしてどれだけ親に叱られたことか。お互い結婚したり、仕事をしたりするまでは一卵性双生児のように一緒に過ごしていた。服の趣味も化粧の仕方も似ていたと思う。殊に10代は私達、なんと傍若無人に生きていのだろうと、今の現実と比べて変化について驚く。タイムマシンがあってあの時代に戻ったら、びっくりするよ30年後はと教えてあげたいぐらい。

彼女は大学の卒業前に出会った人と付き合いだして彼との結婚を早い段階で決めていた。OLという当時のお決まりの路線には行かずに、家事手伝いから、親戚の事務職をしながら結婚生活に入っていった。私は留学をして、その後就職して、お互いの生活は大きく変わった。

彼女の初めての子供が産まれてすぐに亡くなるという、悲劇がある。でも、その後2人の子供に恵まれ、幸せなお母さんとなった。彼女の子育ての時期、私は仕事が一番楽しく、世の中はバブル期の活気にあふれた忙しい時代と重なる。彼女たちの家族の休暇に私が一緒について行ったりすることはあっても、生活のパターンが違っていた。私が日本を離れ、ヨーロッパに移るという決心をした頃、彼女は4度目の出産が間近だった。彼女は二人を普通出産していたので、私は全然心配していなかった。予定の時期より早く、彼女が倒れて病院に運ばれ帝王切開で息子が生まれたと言う知らせを彼女の夫から聞いて、病院に駆けつけた。彼女が倒れた事そしてその間子供にはお腹を押さえつけた状態で酸素がいかず、母子ともに危険な状態であった。お願い、神様。大切な友人を助けて、子供より彼女がいなくなったらどうなるの。どうか彼女を助けて、子供は差し上げますからと病院の廊下で祈った。

彼女は助かった、そして赤ちゃんもお母さんが退院した後も、ずいぶん長い間保育器の中で過ごし、そして無事に退院した。私はこの赤ちゃん、きょう君と出会ったのは生まれてすぐに病院の保育器の部屋をガラス越しに外から見ただけで触ることもなく、その直後に日本を離れてヨーロッパに移った。1990年、まだメイル、携帯、スカイプ、コンピューターは普及していなかった。ようやく家庭用にFAXか、それ以外の手段は電話か郵便ぐらい。でも時差もあるし、国際電話はまだ高価。現在当たり前に使われているラインのメッセージとかは遥か先の話である。この後10年以上、お互いの生活を追いかけるのは無理だった。

私は夫の闘病経て未亡人となり、彼女は息子が脳に障害があるため、てんかんが起きることが判明。その後の離婚、そしてシングルマザーとなり、独りで3人の子を育てることに。40代に迎えた人生の大波をなんとか乗り越えて50代に入り、やっとお互いの人生について語る機会ができた。スカイプや、メイルに感謝である。もちろん時間と心の余裕が少し出てきた事もある。10年近く前まで、私はきょう君のことを写真でしか知らなかった。帰国した折彼女と会う時は、ゆっくり話ができる、外であったり、我が実家であったり、きょう君と会う機会がなかった。息子がいるとゆっくり話すこともできないだろうし、私がどのような反応をするのかもわからなかったので連れてこなかったのだと思う。

その機会は偶然やってきた、帰国しても実家に泊めてもらえない事情が起き、私は気心しれた親友に日本の滞在の間泊めてほしいと頼んだ。彼女は、構わないけれど、うちにはハンディキャップいるけど、まあ大丈夫か。と言うことで日本滞在の間彼女のおうちにお邪魔することになった。今考えると、なんだかとっても運命的なタイミングだった。そしてそれが、16年ぶりに育ったきょう君との再会だった。

彼は親友と瓜二つの、顔。もちろん男性版。会った時からなんだか、昔っから良く知っているような気がした。恥ずかしがらず、無邪気にたくさんの質問が飛んでくる。彼の住んでいる世界では、時間も空間も距離も私たちとは異なってる。

その、日本滞在期間は実に楽しかった、良く3人で笑った、面白かった、心がどんどん綺麗になれるというふしぎな体験をした。何をするのか、何時に帰ってくるのか。学んだ事がふたつ、どうしてもたくさんの質問を避けたい時、これはこちらから質問攻撃をする。それはかなり苦手、だから時間を稼げる。そしてふたつ目その場しのぎの答えはしない。決して忘れないのである。彼は私の言った言葉の一つ一つをしっかり覚えている。私のメガネが変わってもそれをすぐに見抜く。自分の夫でも気づかない小さな変化も気がつく。彼の記憶は写真のようにはっきりしている。数字、日時の記憶はコンピューターのように彼の頭の中に入る。だから大人がする曖昧な、じゃあ今度一緒にご飯でもは、必ず聞かれる、今度っていつ?この子を国会に送り出したらどうだろうか、きっと内閣審議会すごくはっきりするぞ、一度ついた嘘は見抜かれるぞ。勉強を山ほどした東大卒より仕事をするんじゃないかね。

到着した翌日の朝、友人は仕事に出かけていなかった、きょう君は新聞を居間の床一面に並べていた。それが楽しいらしい。私は起きてその新聞を踏み、コーヒーを入れて椅子に座ってその新聞の一部を読んでいた。彼は朝のテレビで時間をずっと見ながら、たくさんの質問を私にして、もう行く用意を全部したまま、テレビの時報に釘付け、いつもと同じぴったりの時間に、時間やから言ってくるね、といつも自分がする行動を全部完璧にしてのけた。もちろん私が居間でお茶を飲んでいようと、全ての電気は消され、私は薄暗い居間に取り残された。呆気に取られたと同時に、思わず笑い転げた。私がいようといなかろうと、彼は着実に彼のルーティーンをこなしてる、感心!

親友が笑って話してくれたのは、彼女が万が一お風呂場で死んだりしたら、かなりややこしいことになると思うと。多分お風呂場を見にきたきょう君は、あっ、お母さんお風呂場で寝てるな。ってそのまま放っておかれるやろうから。ちょっと難儀やでと笑う。だからそう言う状況になることは避けたいと思ってるけど、こればっかりはわからんわと。さもありなんと思う。

きょう君は動物的な感覚で、人の心も見抜いているんだと思う。離婚して、父がいない生活が始まってから、きょう君は一切お父さんについては口にしなくなった。彼にはわからないけど、大好きなお母さんを困らせるのだろうと封印してしまったんだろうなと親友は言っていた。当時離婚して母子家庭となった親友は、自分と子供を生かせることで精一杯だったようだが。彼はそのことについては、一言もお父さんに会いたいとか、お父さんは何処、という事を触れないらしい。

ある日きょう君はヘルパーさんとお出かけをして帰って来るなり親友にお願いをした。公園に行きたいとか、動物園に行きたいとかはあっても、何かを欲しいということは無いらしい。だからそれは生まれて初めてのおねだりで驚いて嬉しかったらしい。きょう君は今日見た時計がどうしても欲しいのだと。次のお休みにじゃあその時計を買いに行こう、と親友は嬉しくってすぐに返答したらしい。同じ店に二人で行く日になって友人は突然にドキッとしたと言う。それはもしこの子が見つけたのが30万円とかする時計だったらどうしようと。一度買おう、って引き受けたのなら、これは高いから買えないわ。ってのは、きょう君には理由にならない。だから親友はローンを組んででも買ってやるぞ、と覚悟をしながら、どんどん歩いていく息子について行った。で、彼の立ち止まった先はたくさん吊るして袋に入ったデジタル時計、一個1000円也。友人は安心したのと同時にヘナっとなったらしい。

親友は勉強も優等生だったし、美しかった、要領もよかった、気性も明るくテキパキしていた。でも彼女には忍耐力は無かった。でもこの息子との生活で忍耐力となんとも言えない人間的な温さを加えた。、丁寧な子育てが彼女自身の生き方を丁寧にした。自分が先に亡くなった場合とか、考えなければならない多くの問題もある。そして自分がほっとできるひとりの時間なんてそんなに無いのである。ずっと私は親友の生活を心配していた。でも、この生活を見て、きょう君は彼女をちゃんと育ててくれたんだな。。。ってわかった。そしてほんの短期間の間だったのに私まで影響を与えて、育ててくれた。

彼女は大変な生活の中でも この子といる世界は何も汚いものがなくって静かで、ホッとするのだと言う。その言葉が全てを表しているんだろうな。今の日本ではまだまだ障がい者やシングルマザーが理解されているとは言えないだろうから。差別も不当にされる。いじめも当然ある。だけど大抵がいじめられても気が付かない障害者の息子、それを守る親。こんな時代だからこそ、彼らはピュアな世界に残されていく。天使には決して理解のできない、私たちの日常生活にある、弱いものいじめ、裏切り、意地悪、ごまかし、見下し、見栄などの愚かな醜い行動。障がい者を持つ親の多くがこの子が生まれてきてくれて感謝してると言う、これは健常者を持つ親には想像できない言葉だろう。天使との生活をすることのない人に決して理解できない。それは私たちが成長するにつれて損失したあの感性の発見なんだと思った。それはとっても暖かくふわふわしたもの。

さて、そろそろ季節はきょう君のクリスマスプレゼント。彼の希望はスイスからのミルクチョコレート、どれだけ高価な上等なチョコレートより、普通の甘いミルクチョコレートが彼からのご希望の品。多分彼は私からの過去の贈り物を全て覚えているに違いない。彼に去年の冬に送ってくれたのと同じのが欲しい、とリクエストされることがあるのだが、ほとんど覚えていない。ごめん覚えてない、って言うとえーっなんで覚えてないのと叱られる。ごめんよ、ちゃんと覚えていなくって。でも本当にごめんなさいを言いたいのは、あの生まれてきた日なんだよ。神様にこの子を連れていってください、なんて恐ろしい勝手なお願いをした事。親友に言ってる事がある。彼女になんかがあった場合には、この天使を私も全力かけて守るってこと。

でも本当に生まれてきてくれて、成長してくれて、ありがとう、そしてきっちりと本腰を入れて知り合う機会ができたことに感謝。これからもあなたの喜ぶチョコレートをスイスから送りたい。あなたと会うことで話すことで、私のふわっとした温かい、心の中の忘れていた感覚、そのアップデートをしていけるから。

メリークリスマス、きょう君!!