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ちいさかったわたしが欲しかったもの


やりたいこと
行きたい場所
観たい映画
読みたい本
聴きたい音楽
食べたいもの
遊びたい事

今のじぶんは何を求めますか?


今なら―――
しばらく行ってない海外旅行に行きたい(カンボジアかベトナム辺り)
もしくは日本の工場巡り、オープンファクトリーに行きたい
長編の小説をどっぷりつかって読みたい(一気読み)
友人とカウンターだけのような小さなお店のハシゴ酒もしてみたいし、
ゆっくり食事をしながら聴くようなジャズバーにも行きたい

なるべくリアルに描いてみました。


例えば、5年前なら――――
仕事帰りに飲みに行ったり、新しいお店を開拓したり
夜中に車で旅行したりしていたなー
自分の時間を自分だけの為に使えていたから、今とは全然違う
フェスも行けるだけ行きたくて行ってたし、週末はほとんど遊びの予定入れてた

今はそれは出来ないし、しない


更に10年前――――
離婚後の色々あった時期だったから、引っ越しもして身の回りを整えることに意識がいってた時期かな~とはいえ、また楽しく過ごそうとその先に繋がる出会いなんかもあったりして、この頃はご飯でも飲み会でも誘われるものに出来るだけ断らず行っていた。
自分でこれがしたい!!ってあっちこっち行っているというよりも、誰かの誘いで予定を決めていたことも多かった
振り返ってみると他人軸が多かった季節かも知れない

この頃に今みたいに美術館巡りしたいと思ってたら、がんがん出来ていたと思うんだよね。
海外旅行もたまに行ってたけど、もっと行けたと思う(お金の問題はあれど、時間はあった)


何を、、いつ、、行きたい、、やりたい、、、という自分の声をどのタイミングで聞いてあげられるかが重要なんだと気が付く40代半ば、ようやく


ディズニーランドでスペースマウンテンが大好きで、閉園間近だとかなりの短時間で乗れるからと言って、5回も連続で乗った中学生時代

今なら絶対やらないよ。
あの園の中の景色もたっぷり観たいし、あんなに遊びまわった最後の最後に走りまわって体力使うなんて、狂気の沙汰だ
もうそこまでの体力残ってないだろうな(いや、残っててもそれ使ってはいけないって思うか)


そう
その時、その年齢、その場所にいる自分だから
楽しいこと 嬉しいこと やり遂げたかったこと 会いたかった人 行きたかった場所

同じもの、こと、空間でも、時が違えば感じ方は変わってしまう

あるでしょ
去年このことが起きていたら嬉しかったな~ってことの一つ二つ


だから、何が言いたいかというと
子供の誕生日プレゼント(26日)とクリスマスプレゼント(25日)は、本人が好きなものを買ってあげよう


ついね、あと2、3千円足したらもっと大きな沢山遊べるものが買えるよってなってしまう大人の計算
先日も自分でこの思考にたどり着いて勝手に調べてた

でもね、そうじゃないんだよね。自分が選んで買ってもらった

楽しかった、気に入った、すぐ飽きた、もう使わない、面白くない、また新しいの買いたい、なんの感情でもいいの

それを感じて、こども自身が何を思うか感じるか
それでいいんだよね

――――小さい時に買ってもらったファミコン(あの白とエンジのやつ!)
嬉しかったな~
やり方もあんまりわからなかった
そして、そこまではまったのか はまらなかったのか覚えてないくらい、ゲーム自体が今のわたしに繋がらないけど

そういうことだ

あんまりにも高価なものは難しいかもしれないけど、そうしていこうと思って、冒頭の大人に置きかえた問い

人によって、子供の時に与えられたプレゼントや贈り物、わたしの欲しいものがその時手に入れられたか

そして、大人になった今
自分の欲しいものはじぶんに与えられているか

本当に欲しいものって何だろう


ちゃんと考えてそれがあったなら、与えてあげよう、今年は



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