無意識の偏見。偏見だと思っていないから見逃す当事者のじぶん
おはようございます
日の出が早くなった気がする。そろそろ腹肉やばいので、散歩に行きたいけど、まだ寒い+花粉やばいですね
花粉やばくなってくると、もうこれでもかって吸い込んじゃえば何とかならないかなって毎年思うのです。。。
やりませんよ、やらないんだから。
今日は、何やら固い題名・・・
だけど、重くないので、興味あったら読んでみてください
アンコンシャスバイヤスって言葉知ってる?
その言葉自体は、
「アンコンシャス=無意識」と「バイアス=先入観や固定観念、思い込み」が組み合わされた言葉です
日本語では「無意識の偏見」ともいわれる
具体的な例を出すと、あぁ。。。ってなります
例えば、、、
「あぁ、B型だから○○だよね」
「東北出身だから色白なんじゃない」(逆もある)
「○○だから結婚できないんだろうね」
「○○人だから、嫌日だろうね」
というものから
「あの人はお酒飲まない=付き合いが悪いよね」
「年下なのにパソコン苦手なんだね」
「デート代は男の人が持つべきだよね」
「女の人だから感情的になるよね」
というちょっと○○ハラスメントと付きそうなものまで―――
こういうことって日常的にありませんか?
わたしはあります。
つい言っちゃうし、思ってしまったり
今考えても、偏見だらけだなって思う
こういったことは悪いこと?
例をいくつか出しただけでも、思ったことあるって人かなりいると思う
こういう「些細な事」「よくある」「気にすることではない」と思いがちだし、その今でもこのバイヤス持ったまま生きてる
ただ、この無意識な思い込みが場面では他人を傷つけたり、恐れられたりする可能性があることは知っていた方がいいと最低限思う
特に組織の中でリーダーや管理職についている人はその言動・態度を見られがちだから、無意識にやっていることが誰かにとって良くないこともある
(かと言って過剰に過敏になる必要はないと思うけど)
例えば(例えが多いな)、
「奥さん時短勤務なら、発熱の子の相対お迎えは奥さんが行くだろう」
とか思っている上司がいたら、夫は上司に言いにくいまたは、言った後に小言言われたりする
そうしたら、次の時に休みを取りにくくなるよね。
子の両親は夫婦共になのに。
でもさ、
「まだ子ども小さいから、出張は無理だよね」って思いこまれているのは
【いや、他の人ではなく自分で行きたいから無理とは思わないで】って人と
【ありがたい。子育てが落ち着いたら出張行きたいかも】って人もいるよね
これって、どっちも正解だったりする。
たしかに―――
結局交流しないと分からない。けど、偏見を持っているという意識は大事
だれしも、生まれて育ってきた環境が当たり前と思って途中まで生きてきているし、”これが普通”って認識もそれぞれが持っている”普通”
これ自体がアンコンシャスバイヤスなんじゃないかなって思う
だから、それを良い/悪いというのではなく、
その人にとってどうかという対話をしていくことが大事なんだろうな
結局はコミュニケーションなのかいってなるけど、
その前に、自分はこれはアンコンシャスバイヤスなんじゃないかって考えたり気が付くことが出来るのがいいよね
そう考えたら、母とかアンコンシャスバイヤスだらけだ(笑)
レッテル貼るんだよな
って母の事思ってたけど、アンコンシャスバイヤスが一番しっくりくる
「ヨシモは悩みなんてないでしょ」(いつも元気で明るいから)
「弟は言えないタイプだから」(言う時は言うけど)
とか言われてたな。
そんなことなかったよ。悩みも戸惑いも苦しみも嫉妬もありながら生きて来たよ(笑)
なんだかんだ言っても、母とは仲はいいのですが
そういうのもあるな~って思った。
自分を○○だから○○しなきゃで責めるのは止めよう
何が言いたいかってこれ
親だから、休日は外で子どもと遊んであげなきゃ、とか
子供が熱出たら、仕事の事は後回しでしょ、とか
ご飯は手作りだよね?お惣菜ばっかり外食ばっかりは良くないよ、とか
子供が習い事したいって言ったら、じぶん後回しで通わせるでしょ、とか
今の時代、塾は行かせるでしょ、とか
そんなの誰が決めたの。
こういう誰が言ったか分からない【アンコンシャスバイヤス】が一番怖い
そして、誰が言ったか分からない言葉に沢山の人が締め付けられている
ふと、思い出して。深呼吸
母親だから○○しなくちゃいけない
○○であるべき
○○した方がいい
これらに惑わされるのは止めよう
だって、母も父も一人の人間。やりたいこともやりたくないこともあるんだ