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ぼくは「うつ」を、あきらめた。

本文は最後まで無料です。オマケがあります。

「鬱」の診断を受けて、8年くらい経った。

朝、寝坊しながらぼーっと電車に乗って、学校の最寄り駅までちょうど半分くらいのところまで来ると、目の前が真っ暗になって、気がついたら電車を降りて街に出ている。

いじめに遭っている、とか、特別いやなことがあった、とか、そういうことでは全然なかった。たぶん根本的に、「社会生活」と呼ばれるものに適応できなかった。靴下を履いたり、時間通りに同じことをさせられたり、納得のいかない部族の習わしに従わさせられたり。とにかく全てが、「ちょっとずつ」、ダメだった。

仕方なく、学校にサボりの電話をして、(無断欠席をすると、親に連絡がいったり、それを無視すると警察を呼ばれたりして、大変なのだ)、放課後までカラオケに引きこもる。友達が来ると、まるで花見のためにわざわざ早朝から場所を取ってた人みたいに、「部屋取り代」を要求した。それで、昼間の暇つぶしの経費はチャラになった。

特別、カラオケが好きなわけじゃなかった。ゲーセンは補導されるし、埼玉の端くれだから、外にいても面倒な連中に絡まれるだけ。とにかくカラオケ以外、行くところがなかった。その後、文化祭で歌を歌ったら謎の賞をもらった。「不登校の副作用だ!」と思った。

たしか、あれは高校1年の冬くらいだった。慢性的な吐き気と、気怠さと、そして激しい頭痛とに悩んでいた。最初は、神経内科?に行った。異常なし。そのあとの精神科で「うつ病」と「自律神経失調症」の診断をもらった。「しかも2翻つくんだ」と、Twitterに呟いた。ちょうど麻雀にハマっていた。

「なんだ病気か」。診断を受けたとき、そう思って、どこか身体の中に溜まって淀んだ空気が、さっき穴が空いたばかりの風船の中身みたいになって、ビョーンってなって、ぜんぶが飛んでいった気がした。

「病い」という響きには希望があり、そこには「完治するイメージ」があったからだと、今は感じる。あの日の36度9分の咳みたいに、今の自分は「病気なだけ」で、病気さえ治れば「あの頃に戻れる」。そんな気がしていたんだと思う。

結果的に、そのイメージとはずいぶん違ったな、と今は思う。なんだか物語じみた始まり方になってしまったけれど、今回は僕の「8年のうつ生活」から学んだことを、いつも通りの文章感で共有していきたい。

精神病の症状には個性があるし、適切な対策も多岐に渡る。あくまで「僕のうつ」を対象とする話になるので、「へー。そういう人もいるんだな」という距離感で、参考にしてもらえたらいいと思っている。

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もう、鬱は治らない。そう「決定」してから、僕の人生はずっとマシになった。治らないんだから、仕方ない。鬱のまま、うまく生きることを覚えるしかない。そう思うようになった。そして実際、そう生きてきたのだ。

今そこにないものを「いつか現れるかもしれない」と待望する心情は、希望を観測することもあれど、ほとんどの場合に苦痛を引き伸ばすだけだ。そこに見える影はディラックの海でしかなく、その反対側にしか光源はない。とにかく、今あるものを認識する。もっと、緻密に。

そこで、僕は初めてスタート地点に立った。それまでは、ただ戸惑って、「突如あらわれた影」を見ていたに過ぎなかった。影を見るばかりで、「未知の光源」のことは、何も知らなかった。目を潰す覚悟を決めて、照らす光源を直視する。そこから、やっと始まったのだ。

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鬱を治すのを諦めた。鬱のまま、どうしたら上手く生きていけるか。それだけを考えた。

靴下を履くと、脳CPUの稼働率が50%以上低下することを突き止めた。「着替え」というタスクの存在が及ぼす、1日の始まりへの精神的な倦怠感を理解した。

登校することを諦め、自らの「心地よく過ごせる、最低限度の生活レベル」を見定めた。のらりくらり生きていけばいいや、そう思った。18歳だった。

鬱は治らなくても、鬱の症状、発生要因、その対策を掴みさえすれば、どうにかなった。「僕のうつ」は、どうにかなるレベルであることを突き止めた。治すことを諦めたら、治す必要性がなくなった。なにも困らなくなった。

症状が重たい、例えば低気圧の日などには、「勝とうとしないこと」を覚えた。柔術のように、うまく受け身をとる。組まれないようにすることも大切だ。

元気なうちは、『BPM 130を維持しながら30分間のランニング』を続けること。睡眠の質を計測し、『一定の水準以上の睡眠をとる』ように心がけること。これで「発生率」を下げることはできる。それでも、「組まれて」「投げられる」のなら、変に抵抗しないことが大切だ。諦めて、受け身に専念する。余計な抵抗をしない。1日のミッションを、その一つに絞るのだ。

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いちど壊れたものは、元に戻らない。あきらめること。そこがスタート地点だ。元には戻らない。戻そうとしない。戻すことにエネルギーを割かない。とにかく、今あるものを緻密に認識する。それを活かすように勤める。その『敏感なセンサー』を元手に、元にはなかったものを獲得する。ないものを嘆くことをやめて、あるものを最大限利用し、ないものを獲得する。この順序で考える。

僕はこうやって、生き延びてきた。必ずしも、そう上手くいくもんでもないとは思う。それでも、その最悪な人生を「ちょっとマシな人生」にするには、あの手この手で全てを試して、「ファック!」と叫んで投げ捨てる。「やっぱ、あれ良かったかも」と、また拾う。その繰り返しをやっていくしかない。どうにか浮上する。あきらめること。一つのオプションとして、(部屋の押し入れにでもいいから、)そっと置いておくことを勧めたい。

今日のTips①

・「治す」をやめないと改善は始まらない。
・鬱は治らなくても、実生活は改善できる。
・「鬱の自分」のハンドリング技術が重要。

長くなってきたので、ここからはオマケ。もう少し「ぼくが鬱生活で見出した、実生活改善の真理」を書いていきたい。役に立つかは分からないけれど、すでに購読している人はぜひ「今日のTips②」だけでも追ってほしい。

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しんどい人生から脱するための「3つの鉄則」

鬱に限らず、現代人の人生のほとんどは、しんどいものだ。現代人のほとんどは労働者であり、マルクスが言っていた通り、資本主義は「労働者をどんどん苦しくするもの」であるから、しんどくて当然。それでも、できるだけ「しんどくない人生」を送りたい。そう願っていると思う(勝手に)。

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