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日本で10年ぶりの大回顧展「デ・キリコ展」が最高だった

兵庫県の神戸市立博物館にて、デ・キリコ展が行われていたので行ってきた。
もちろん期待して行ったのだが、想像していた以上に満足感の高い展示内容だったので、日記的に記録しておこうと思う。

日本では10年ぶりとなるらしいデ・キリコ展は、夏に東京都美術館で開催された後、関西にもやってきた。神戸の素敵な建築を会場に開催される美術展だったこともあり、個人的にとても興味を持っていた。

ジョルジョ・デ・キリコの作品たちは、今や世界各地に散らばっているため、まとめて鑑賞することはなかなか難しい。
そんな中、今回の展示ではデ・キリコ作品がなんと100点以上も集められ、まとめて観ることができる貴重な機会だ。
僕も前のめりで、この機会を逃すまいと訪れてきた。

朝の三宮センター街

地方都市の神戸で開催されるとは言え、日中は混むだろうと予想していた。
そのため開館と同時に入場しようと思い、日曜日にも関わらず早起きして神戸市立博物館へ向かった。

朝9時の三宮センター街のお店は、ほとんどがまだ開いておらず、人通りも少なかった。
街の至る所で展覧会の広告を見かけ、デ・キリコ展の話題性の高さが感じられた。

神戸市立博物館前のポスター

開館時間の10分前ぐらいに会場に到着すると、三組程度の人たちが会館時間を待っていた。
鑑賞中に混んでくるかと予想していたが、開館と同時に入場してからというもの、終始ゆっくりと自分のペースで鑑賞をすることができた。

展示作品全てを紹介することはできないが、数作品の写真を撮影することができたので、コメントともに記録する。


写真で振り返るテーマ別デ・キリコ作品

自画像・肖像

《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》 / 1959年、油彩・カンヴァス / ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

展示は自画像や人の肖像にフォーカスした作品たちから始まった。

この1959年の自画像は、デ・キリコのキャリア後半に描かれたもの。派手な衣装を身に着け、背景に対して人物が異様なほど大きく描かれている。

既に名声を得ていたデ・キリコが、当時どういう気持ちでこのような自画像を描いたのかについては想像してもわからなかったが、遊び心と若干のシリアスさを感じ取ることはできた。

遠近感のアンバランスさは、ルソーの影響を受けているようにも感じる。一通り回って昔のアートを改めて追求したい気持ちになったのかなと思った。

形而上絵画

《沈黙の像(アリアドネ)》 / 1913年、油彩・カンヴァス / ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館

アリアドネの像の絵もあった。
奥の塔がデ・キリコっぽい作品だが、少しだけピカソっぽい雰囲気もあり、おそらく同時代に生き交流もあったピカソから影響を受けたのではと感じた。

塔を描いた作品は他にもいくつか展示されており、長時間眺めていると若干の不安感を掻き立てられた。
デ・キリコはミラノからフィレンツェへ移った際、すべてを初めて見るような不思議な感覚になったらしい。それがデ・キリコの形而上絵画につながる原体験らしく、このような感覚はなぜか特に秋のトリノで強く感じられるらしいが、確かになんとなくその感覚はわかるような気がする。
会場で絵をぼーっと眺めていた際も、なんとなくその感覚を体験しているような気分になった。

《球体とビスケットのある形而上的室内》 / 1971年、油彩・カンヴァス / ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

形而上的室内をテーマにした絵も充実しており、抽象画っぽい雰囲気と意味不明な脈絡のない物体の組み合わせが不思議だった。

作品が掛けられた展示場の壁の配色も絶妙で、絵画の魅力を最大限に引き立てていたと思う。

《孤独のハーモニー》 / 1976年、油彩・カンヴァス / ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

この作品も隣に並べられて展示されていた。

独特の遠近法が雰囲気ある作品。
意味がわからないし考えても答えが出ないけれど、ああでもないこうでもないと考える過程が豊かで良かった。

マヌカン

《予言者》 / 1914-15年、油彩・カンヴァス / ニューヨーク近代美術館

マヌカン(マネキン)をモチーフにした絵もたくさん展示されていた。
デ・キリコにとってマヌカンは特別なテーマのようで、第一次世界大戦の頃から描かれてきた。

予言者としてのマヌカンの絵は、最初に眼の前にしたときはとても不気味に感じた。
遠近法が破綻しているし、奥には謎の塔のようなものがある。右には人物っぽい影があったりと、あらゆる解釈の可能性が考えられそう。

おそらく、戦時下の時代を経験したことによる心情なども反映されているのだろう。
作品を鑑賞する中で虚無的なものを感じた一方で、最終的には希望的な空気感も感じ取れた気がする。

《形而上的なミューズたち》 / 1918年、油彩・カンヴァス / カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館

マヌカンをミューズに見立てた絵。
どう考えても個人的にはミューズに見えなかったのと、シュールっぽさや憂鬱さのようなものも感じられた。

実際、このようなデ・キリコの絵画の本当の意味は誰もわからないらしい。むしろ意味などないのかもしれない。
研究が進んだ現代においても、あらゆる解釈の余地が残されていることが面白いと思う。

ネオ・バロック

《風景の中で水浴する女たちと赤い布》 / 1945年、油彩・カンヴァス / ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

過去の画家からインスピレーションを受け、伝統的な古典絵画的な画風になった時期の作品も展示されていた。

バロック期の作風に傾倒していた1940年代のこの作品は、アングルのグランド・オダリスクの影響が強く感じられるもの。
デ・キリコは90年という長い人生を生きたようだが、それだけ長く生きていると途中でいろんなスタイルを研究してみたくなるんだろうなと思った。

新形而上絵画

《オデュッセウスの帰還》 / 1968年、油彩・カンヴァス / ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

デ・キリコは古典的なスタイルに傾倒しつつも、最終的には再度形而上絵画に戻ってくる。
形而上絵画をさらに追求することで進化させ、形而上絵画の第一人者としてのポジションを確固たるものにしようとしたのだ。

このオデュッセウスの帰還は、個人的に結構好きな雰囲気の絵画だった。
いろんなスタイルの絵画を追求し、回り回って最終的にまた形而上絵画に戻ってきたわけだが、初期の形而上絵画よりも若干ポップで明るい印象を受けた。

右の壁にある窓には生まれ故郷のギリシャの風景が、左の壁には自身の作品が飾られ、床の上の海でオデュッセウスがボートを漕いでいる。自身の人生をオデュッセウスに重ねているようだが、奥の扉が開きっぱなしなのが意味ありげだと思った。

《瞑想する人》 / 1971年、油彩・カンヴァス / ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団

デ・キリコの作品には、足が異様に短く描かれた人物の絵が多い。
そうすることで上半身の迫力が際立つらしく、絵にするとそこまで違和感がなく存在感を感じられるので興味深かった。

ユニークな上半身は、瞑想中の心境を表しているのだろうか。
色がない白のみで上半身が描かれているにも関わらずカオスな物質的なものに纏われている姿は、人物の意思と実際の感情の間にギャップがあるように感じた。

まとめ

ここまで多くのデ・キリコの絵をちゃんと観たのは初めてだったが、非常に満足感の高い貴重な体験となった。
写真撮影できなかった作品もかなりボリューミーかつ貴重なものばかりで、絵画以外にも金属彫刻や舞台衣装など、非常にバリエーションに富んでいた。
本当に時間が経つのを忘れるほど、良い内容だった。

日本の美術館で行われる大規模な展覧会はたいてい混雑し、ゆっくりと作品を鑑賞することができないので、本当に行きたいと思えるものは正直少ない。
しかし今回のデ・キリコ展は、早朝に訪れたこともあり、かなりゆったりと絵の世界に浸ることができた。訪れて本当に良かったと思う。

アート鑑賞の楽しさや魅力を改めて感じた展覧会だった。
ローマのスペイン広場にあるデ・キリコのハウスミュージアムにも興味が出てきたので、またいつか訪れてみたいと思う。


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August
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