【ハリウッド激動】王道が苦戦、業界ルールに縛られる必要なし
それでも、メジャーこそが正解だと信じているインディペンデントたち。いま必要なのは、正しい選択だけだ。このトピックでは、「無い業界の創り方」を、知ることができる。自分の生きた業界が機能不全に陥っていることに気づいているアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 対立している場合ではない 』
国際マーケットで自在な活動を行えるようになるまでには、なかなかにドラマチックな圧力との対峙があった。しかしにそれも想い返せば、日本国内のプロジェクトから離脱する我々への引き留めであり、敵意ではなかった。
日本芸術界は10年前にはもう、対立の意識を捨て始めていたように感じる。もしも現在になお上下関係を強い、規律とルールをかざす芸術ジャンルのクラスタが存在したなら、断言する。その業界に存続の価値はなく、それを公言している人物がどれだけ偉大な巨匠であれど、現在以降の歴史のために機能してはいない。
堂々にもう一度申し上げる。どれだけ大物の成功者、メジャーの大企業であろうとも、現代以降に通用するとは限らない。その大多数は、無価値である。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:スティーブン スピルバーグ監督の「ウエスト サイド ストーリー」が興行的に失敗した理由
スピルバーグ監督は、野心的な「ウエスト サイド ストーリー」のリメイクに、批評家の賛同を得た。しかし、映画ファンはそうではない。
この週末、ディズニーと20世紀スタジオでリメイクした本作は、国内初公開で1,050万ドルしか集められず、この規模と範囲の映画としては惨憺たる結果となった。この豪華なミュージカル映画は、今年最も評価の高かった映画の1つだが、1億ドルの予算をかけて敗戦した。映画業界の関係者は本作には3倍の収益が必要だと見積もっている。ハリウッドで最も有名な監督が手がけた商業映画が、だ。
通常、映画館のオーナーはチケットが売れていない映画を削除して、業界で最も忙しい時期であるクリスマスシーズンに数多くの新作映画を上映するためのスペースを確保するが、製作スタジオのディズニーは上映延長を決めた。
多くのアカデミー賞関係者は、この作品が有力な賞の候補になると考えており、それによって注目度が高まり、劇場での上映が維持される可能性がある。このような理由から、興行アナリストたちは「ウエスト サイド ストーリー」を”爆死”と決めつけてはいない。
「悪い評価を受ければ、それはゲームオーバーになるでしょうしかし、この作品の質と時期を考えれば、見捨てることはできません。うまくいくと思いますよ」と、映画コンサルティング会社であるフランチャイズ エンターテインメント リサーチ社を経営するデビッド A グロス氏が語る。
しかし、興行評論家の中には、現代の観客はこの物語に親近感を抱いていないと考える人もいる。 - DECEMBER 13, 2021 THE Hollywood REPORTER -
『 ニュースのよみかた: 』
”ハリウッド”と同義のスピルバーグ監督が大惨敗も、メジャーのインフラが必死の回収作業中、という記事。
スピルバーグ世代の映画人として、実に残念な状況である。もうハリウッドですら、近未来を捉えてはいないつまりに、「王道」は消滅したのである。
『 ルールを守ることは、ルール違反 』
あらゆる業界の”黄金律”が崩れた現在において、過去のルールとはつまり、「確実な不正解」を意味する。業界ルールを守ることは、現在開発中の近未来照準プロジェクトに対する謀反であり、誤りだ。
まだ世界は、新たなルールをみつけていないしかし、過去のルールを守ることだけは、ルール違反だ。
『 無い業界の創り方 』
すべての業界は、数名の有志が創った事実がある。だが我々は彼らよりも、現状に詳しい。ならば、「新たな業界を創る」ことが無謀なはずはない。
業界の組成に必要なのはトップダウンのリーダーシップではなく、全方位に挑戦し続ける「分散型」のコミュニティである。彼らを一つにつなぎ止めているのは「価値の共有」。わかるだろうか。
ひとつのプロジェクトを異なるスペシャリストたちが開発し、その成果を共有することに徹したならそれこそがもう、「業界」なのだ。
『 企業を活かす精鋭たち 』
価値の独占を条件にその業界構造を逆算したシミュレーションが、「中央集権型企業構造」である。時代に遅れるのは、当然だ。しかしながら僅かに、順風満帆な企業がある。だがよく観察することだ。平成までの業態とは異なっている。
そこには、企業インフラを武器にしている”個人”が存在しているはずだ。彼らは企業に属していながら完全に自由であり、企業を時代に導く見返りに、そのアセットとブランド価値を活用し、「圧倒的個人」を生きている。
アーティストは今こそ、圧倒的個人または、分散型業界の中の個人として、既存の業界ルールだけは守らないべきである。
ただし、「マナー」は絶対だ。
『 編集後記:』
「メタバース老後」を選ぼうと決めている。
我々アーティストはすでに、肉体的な快楽よりも”脳内に創出する体感”こそが人間のアセットであることを知っている。奇異な話ではない。誰もが、現実の体験よりも”想い出”のほうが人生に与える影響力が圧倒的であることには気づいているはずだ。ならばどうかの、メタバース老後である。現代社会インフラはわずか数年で、メタバースに依存する。ただの必然だと想うのだ。
現実を積み上げて未来を描く、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。