【アーティストとパフォーマー】求められるのは作品か、観栄えか
作品の価値を測ることは難しいが、本物と偽物の違いは明確だ。このトピックでは、「アーティストとパフォーマーの違い」を、知ることができる。実績とキャリアを度外視して業界マナーを無視した模倣が氾濫する状況に我慢ならない本物なアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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【 芸術の力を理解する必要がある 】
創作のプロフェッショナルであるクリエイターだがしかし実のところではその大多数がアウトプットと自己実証に終始する“趣味人”であり、アーティストには程遠い。
アーティストとは、先人から受け継いだ業界マナーに精通し、そこから導かれる「作品の力」を熟知している者のことを示す。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:キューバのアーティストと活動家がハバナ・ビエンナーレをボイコットし、参加者が脱落する事態に
今年のハバナ ビエンナーレの開幕を前に、キューバのアーティストや活動家たちが、政府が支援するこの展覧会のボイコットを求める熱烈な呼びかけを行っている。
この1年間キューバ政府は、芸術家や作家を厳しく取り締まっており、政府に対する率直な批判者数名が投獄されたり、国外追放されたりしている。そんな状況下において同月、第14回ハバナ ビエンナーレが予定通り開催されることが発表され(タイトルは「Future and Contemporaneity」)、文化界のリーダーたちはイベントの中止を要求した。
「キューバ政府の組織的な取り組みに、文化的分野の人々の命が危険にさらされているのです」
現在、世界中の何百人もの著名な文化人が同意に署名している。今年、キューバの検閲法に抗議して何度も逮捕されているブルゲラは、SNS上でボイコットキャンペーンを積極的に推進している。
ハバナ ビエンナーレの代表者は、コメントの要請にすぐには応じなかった。
キューバのミゲル・ディアス=カネル大統領が同年に初めて可決した検閲法「政令349号」に反対する運動をは、3年前にも起きている。この法律は、どのような芸術作品を展示したり販売したりするかを政府が管理できるというものだ。また、この法律は独立した文化活動を犯罪としている。アムネスティ インターナショナルは声明の中で、この法律を「ディストピア」と呼び、「キューバ当局は、国が認めた批判の範囲を超えていると思われるアーティストへの支配を強化する代わりに、人権を守るための進歩的な変更を行うべきである」と述べている。 - NOVEMBER 12, 2021 ARTnews -
『 ニュースのよみかた: 』
キューバ当局による芸術への規制がさらに過激化、という記事。
それはまた、現代においてなお強大化している「芸術の影響力」が証明されたという皮肉でもある。
『 パフォーマーは、アーティストではない。 』
“アーティスト風”を演じるパフォーマーたちが、急増殖している。
彼らはとても器用に“完成作品”を模倣しているがそこに学びは無く、同情の余地なきまでに素人である。一見するとアーティストに観える彼らはカメラの前で、観客の前でそれを演じているだけの“パフォーマー”である。芸術界を模した彼らのパフォーマンスは見識のない一般観客に間違った認識を与え、偉大なる先人たちの足跡を踏み躙っている。
業界マナーに反する彼らは、実に危険。彼らはそのことに気づいていない。
芸術とは、素人が取り扱うにはあまりに大きすぎる、兵器なのだ。
『 アーティストの資格 』
法的な資格がないとされる“アーティスト”であるが、必須とされる“資質”は存在する。「創作への覚悟」と「作品の保護責任」である。
パフォーマンスにならない、公私度外視な生き様を実証する覚悟と、生み出した作品が放つ影響力を管理する責任だ。
『 作品の保護責任とは 』
創作への覚悟に注釈は必要ないだろうならばこそ、作品への責任を確かめよう。作品は観客に働きかけ、実際の影響力を与える。どれだけ注意していようとも作者の想い通りには機能せず時には、想定外のトリガーともなる。
プロダクトへの製造者責任のように法に基づいていないからこそ、より明確な“保護責任”があるともされる。誰もが作品が引き起こす影響に責任を負えるとは、言い切れない。ならばこそ、その責任から逃げないことだけは誓うべきなのだ。模範とは、業界のマナーを築いた先人たちに学び、倣うことにある。
学んでいないパフォーマーに、責任は負えない。
『 編集後記:』
生活に、香りが足りない。
前代未聞のアニメーター個展@GINZAに学び更なる展開を準備している毎日に、不足している重要な要素に気づいてしまったわけだ。実務も実物も実行力にも万全な慌ただしい毎日はしかし、重要だとされる事柄を優先してしまう。室内の「香り」を忘れていた自身に気づき、失っていた冷静さを取り戻す。今夜、老いた母から贈られた白檀を焚こう。
熱い想いの先に冷静な学びを積み、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。