【過程の価値】プロセスエコノミーの解像度を上げると観える真価
「作品」だけが価値だった時代は過ぎて、アーティスト本人とその“製作過程”が評価対象になっている。このトピックでは、「価値化の真価」を、知ることができる。なるほど製作過程の情報発信を続けてビハインド シーンを露出しつつも実際には“不要素材の再活用”にしかなっていないアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 映像特典が“特典”だった時代は終わっている 』
在庫品の寄せ集めだった福袋が買われなくなったことと同じく、アワードやマーケットは当然に観客や購買層は、“真価”を見極める力を備えた。それが有償か無償か、やただの拡散情報なのかプロセスのエコノミー化用“価値”なのかがしっかり、確認されているのだ。
ただ雑多な情報をテーマなく投入してももう、価値にはならない。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:クエンティン タランティーノ監督の「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」のハードカバー デラックス ノベライズ版ノベルは、映画ファンにとって宝の山
この夏、ハーパーコリンズ社から発売された映画のペーパーバック ノベライズは、ニューヨーク タイムズ紙のフィクション ベストセラー リストで初登場1位を獲得するなど、瞬く間にヒットした。
クエンティン タランティーノ監督のノベルは、アカデミー賞を受賞した2019年の作品に夢中になっている人にとっては、たくさんのお得な情報が詰まっている。オリジナル版では、レオナルド ディカプリオとブラッド ピットが演じた映画にはなかったいくつかのシーンが用意されており、ハードカバーのデラックス版さらに、まったく別物になっている。その全貌に加えて、映画のために撮影されたもののカットルームに残された斬新なシーンを示す制作時の写真が掲載されている。写真の他にも、架空のTV西部劇のエピソードの独占台本や、本編には登場しないポスターや写真なども。この映画のために書き下ろされたMAD誌の記事も含まれている。
タランティーノはこの小説のデラックス版について、最初は自身の初監督作品である「レザボア ドッグス」をノベライズするつもりで、2章まで書いていたが、その後に本作を書き上げたと述べている。タランティーノ監督は、子供の頃にノベライズ作品が発売されていたように、ペーパーバックを先に発売してほしいのだと語っている。 - NOVEMBER 01, 2021 THE Hollywood REPORTER -
『 ニュースのよみかた: 』
映画監督のタランティーノが、自身のヒット映画をノベライズ化して大成功。NGシーンの再利用にとどまらない素材の転用を実現し、「ノベライズ出版→映画化」のムーヴメントを提唱した、という記事。
付加された“特典素材”は弱く、映像特典の価値をも下回る。また、「映画×書籍」という“アナログ×アナログ”に終始してしまいプラットフォームを介さなかったことで「リアル×オンライン」の“ハイブリッド機会”を逸したことは惜しいように想う。“アナログの価値”という考えは本件に通用しない作品本編はストリーミングされ、ニュースはデジタルが主。本書の主な販路は、Kindleつまりに、ただの不足である。
『 価値が向上している“素材”がある 』
一方、監督や製作関係者による“オーディオ コメンタリー”の価値はさらに高まり続けている。作品製作の舞台裏としてトリビアやチップスを語ってきたかつてのコメンタリーとは異なり、“アーティスト哲学”を語る作家が増えたためだ。
「表現者の思想」は作品に匹敵する質量をもって、価値化されている。アーティストは作品の外で語り、その生き様を晒すこともまた価値化されているその真価こそが、「アーティスト哲学」である。
『 最大の価値とは“コミュニティー化” 』
観客が、購買層が求めている素材を提供することがアーティストによる「作品」のための創作活動になったことは間違いないが最重要なのは、その“意図”にあるとされている。
どんなに有益な素材も情報も、社会で語られなければ価値化されない、という法則の先に、答えがある。情報が共有されて、語られ、価値化される状況とはつまりに、「コミュニティー」である。
アーティストとチームは常に、「作品」と「コミュニティー」の創造を意図し、必要に足る真価を生み出す必要があるわけだ。
ただし、それがどれだけ“正直”であるかを、忘れてはいけない。意図的な購買層の誘導など、時代遅れの詐欺マーケティングだ。
『 編集後記:』
“飛ばし”という概念が消滅していく。
紹介した者が関与し続ける「紹介者責任」という意識を徹底して生きてきたが、もう時代が違う。若者たちは軽々と初対面の相手のために、恩人をも紹介し、互いの交流に介入しない。なにが起ころうと責任を負わず、羨むこともない。
「価値の共有」が実践されているわけだ。
わたしには人生観がひっくり返るほどの衝撃だったがそれは、「他者に責任を求めない」という正当進化なのだと感じている。すごい時代だ。
意識の高みを信じて現実を臆さず、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。
■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記