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【創作活動の正義】アーティストが生むのは作品か、商品か

そもそもに作品は、誰のものなのか。このトピックでは、「アーティストとコレクターの関係性」を、知ることができる。自作への愛情が深すぎる余りに観客に道徳を強いるが他者作品への扱いには無頓着なアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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【 作品とコレクター 】

ギャラリーで個展を開催すると、「コレクター」という人々との出逢いが増える。映画製作を業としているわたしには衝撃的で、“作品を保有する”というコレクターたちへの意識が希薄だったことに気付かされる日々だ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ティファニー、バスキアの広告戦略をアドベント カレンダーで倍増させる

2021年、ビヨンセとジェイ Zが中心となって展開しているキャンペーンの一環として、ティファニーは、広告の目玉としてジャン=マイケル・バスキアの1982年の絵画「Equal Pi」に着目し、アドベント カレンダーを制作した。

これは、4フィートの木製キャビネットに、バスキアのシグネチャーである卵色のボックスを24個収納したもので、キャビネットの表面にはこの絵画のイメージが再現されている。ボックスの中には、さまざまなコレクションのジュエリーが詰め込まれており、ギフト包装されている。このカレンダーは数量限定で、15万ドルという高額な価格設定だ。

バスキアの作品「Equals Pi」(1982年)は、40年近くにわたって個人の手に渡り、ほとんど公開されることはなかった。イタリア人デザイナーが1996年にサザビーズ ロンドンのオークションで約25万3,000ドルでこの絵を購入。現在は、ティファニーの親会社であるLVMHのオーナーであり、世界でも有数の美術品コレクターであるベルナール アルノー氏が所有している。

ティファニーは声明の中で、このカレンダーのアイデアは、バスキアが日用品の表面に絵を描く習慣があったことへのオマージュであると述べている。「バスキアは、窓やドア、冷蔵庫などの日常的なものに絵を描き、段ボールやベニヤ板などの素材を使って対象物を再構築しました」とプレスリリースにあり、このキャンペーンは「型破りな媒体を使用したアーティストへのオマージュです」と付け加えられている。

ティファニーは、今年初めにLVMHに買収された後、数十年にわたるニューヨークのアート界とのつながりを売りにしている。アート界はバスキアの絵を高級ブランドに仕立てたが、ティファニーはそれをさらに推し進めようとしているようだ。  - NOVEMBER 04, 2021 ARTnews -

『 ニュースのよみかた: 』

アーティストへのオマージュだと言い訳しつつティファニーが、保有するバスキア作品を販促グッズ化して高額販売したという記事。

アドベントカレンダー は、クリスマスまで毎日ひとつの窓を開けながら数える仕掛けカレンダーのこと。アート作品が広告やパッケージに活用されることは珍しくないが、作品を模した額縁付き印画面を破きながら商品のジュエリーを掘り出させる高額商品化、というのはなかなかにエグい。是非を問うことは、立派な一般人たちにお任せしよう。

わたしは友人の写真を破き捨てることに抵抗があるタイプのアーティストなので、このアドベントカレンダーに穴を開けながら毎日自社商品をほじくり出させようと考えたこのブランドが、富裕層のことをグロテスクな化け物だと観ているのだと感じたまで。バスキア本人が存命なら、笑って喜んだのだろうか。ティファニー、すてきなクリスマスを。

【 “コレクター“というアーティストたち 】

ギャラリーはときに、観客やコレクターを“お客さま”と呼称する。アーティストのわたしには違和感のある言葉であり“観客”という言葉を創出した人物は、事業家だったのだろうと確信している。

コレクターはまた、アーティストなのだから。

【 生みの親、育ての親 】

創作活動にいそしむアーティストの多くは、作品のマーケティングに素人だ。ましてや、作品を購入するコレクターのことなど、無知に等しい。サザビーズのオークションをイメージして高額売却を夢観る者や、国際映画祭でのブーイングを想像して震える者もいるしかし、作品を購入し、保有する者がどのような日常を送っているのかを考察するアーティストは多くない。

創作された作品と、もっとも長い時間を生きるのはアーティスト本人では無く、コレクターである。コレクターは作品を保有し、来客に披露し、都度その作品を語って認知を促す。それはさながら、世に無名な作品を輝きへと昇華させる“育ての親”。作品にとってみればアーティストは“生みの親”であり、コレクターはこそ「育ての親」なのだ。

そこには順当に、“親ガチャ”も存在し。

『 編集後記:』

西麻布の会員制Barは、上質なギャラリーだった。
NOMAの仲間がオープンした上品な空間には士気高いアーティストたちの作品が並び、飲食店を越えた志士たちの交流の場になっていた。それぞれに異なるコンセプトを持つ作品たちはオーナーの“語り”に導かれ、紐付けられていく。その語りは使命に生きる者の活動に基づくドラマツルギーであり、この空間全体が、彼が活かす“作品”なのだと気付かされる。

ギャラリーという作品の中でキュレーターたちはより深く、創作世界へと意識を進める覚悟が必要になる。

価値を超えて本意と向かい合う、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

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アーティスト情報局:太一監督
■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記