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【作品への覚悟】アーティストは、どこまで非情になれるのか
創作に挑むアーティストの覚悟は強いしかし、それを実行できる者はほぼいない。アーティストの決意は、“実行力”なくして起動しない。このトピックでは、「アーティストの闘い方」を、知ることができる。立派な哲学と博愛を公言しながらも結果として生活に迎合している利己主義アーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 作品性を貫くために必要な覚悟とは 』
異常性と残忍さを炸裂させている作品の作者は、常識人な場合が多い。“異常の特殊性”を理解しているからこそそこに注目して作品に採用している事実が、証明している。なんなら、破天荒で傲慢に観える国際的な巨匠アーティストたちですらむしろ、優しい。会話は道徳的でマナーは上質、エスコートも一流だ。
彼らは、“嘘”を嫌っている。それは、創作場面において自身が信じる作品性にも、発動される。作品に重要だと理解すればこそ、“妥協とは嘘”なのだから。その時、アーティストの覚悟が試される。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:映画「時計じかけのオレンジ」主演俳優が語る。「キューブリックの演出で俳優は危険な状況に墜ちた。だが、その価値はあった」
イギリス人ベテラン俳優のマルコム マクダウェルが、「時計じかけのオレンジ」製作時の“拷問”を振り返った。「その価値はあったよ。」
スタンリー キューブリックは撮影現場で俳優たちを危険な状況に追い込むことで有名だ「シャイニング」の撮影現場で女優シェリー デュバルの髪の毛が大量に抜け落ちたことは、娘のヴィヴィアンのメイキング ドキュメンタリーでも紹介されている。
マルコム・マクダウェルが言う。「“時計じかけのオレンジ”の制作が彼の魂に与えた影響について決して言葉を濁すことはありませんでしたが、この映画は評価されることになりました」超暴力的なリーダー、アレックスを演じたこの映画の制作における「拷問シーン」について語った。
「撮影現場の電気技師の一人が“監督は君を殺す気だ、彼は君を殺そうとしている”と言ったんだ。キューブリックは間違いなく、すべてにおいてコントロールフリークだった」マクダウェルは、撮影現場で実際に眼球に怪我を負った。「医者がやってきて、“問題ないよ、目には麻酔をかけるから”と。“何も感じないだろう”ってね。その医者は映画の中の“登場人物”だ。映画の中の人だよ。それでも撮影の1週間後にキューブリックがこう言ったんだ。“素晴らしかったが眼球の本当のクローズアップが必要だ”と。私は、じゃあスタント ダブルにやってもらったらどう? 彼はそのためにお金をもらっているんだから、って。無視されたよ。またセットに戻ってやり直した。それはたしかに“拷問”だった……でも、それだけの価値はあったんだ」
「もちろん、心理的には不安になりますが、私はちょうどサム・ペキンパー監督の“ワイルドバンチ”を見たところでした。素晴らしかったです。それに比べれば、“時計じかけのオレンジ”はディズニー映画だよ。この映画のバイオレンスは、老人を蹴ったり、その奥さんをレイプする程度のものだからね」 - OCTOBER 02, 2021 IndieWire -
『 ニュースのよみかた: 』
スタンリー キューブリック監督の撮影現場では映画のために怪我をする。しかしその成果が示されている、という記事。
ちなみに雑誌カメラマン出身ながら映画監督として成功したキューブリック監督は本作の後に全世界からの脅迫が相次ぎ、邸宅での引きこもり生活者になっている。皮肉にもキューブリック監督は自死を選んだが映画監督である以上それは選択肢の一つに過ぎず、意外性はない。
『 アーティストの覚悟と代償 』
本物のアーティストは、作品に嘘をつかないことを決めて、覚悟するわけだ。結果が伴わなければ当然に、代償を背負うことになる。難しい話ではない、アーティストは最悪に死を覚悟しておけばいい。発動例も多く毎年誰かが亡くなるが、幸福を求めている訳ではないのだから構わない。“彼らは逃げなかった”、それを評価したい。わたしもエントリー済みであり、資格がある。
それが嫌なら、妥協クリエイターでいればいい。アーティストは誰にも、強要されていないのだから。
世界のアートシーンでは、覚悟の果ての代償を認めたアーティストたちが、その作品を競っている。偽物は、瞬時に見抜かれる。
そうではないマーケットもある。観客迎合の商業主義に基づく、綿密な策略的設計が牽引する妥協市場だ。タレント俳優や雇われ監督が、アーティストにない才能を発揮して、芸術界全体の経済を支えている。馬鹿にはできない。彼らが活動を停止したなら、芸術は、死ぬ。
芸術は、作品は、生き続けねばならない。
『 アーティストの闘い方 』
アーティストはとかく“作品製作”に心を支配されがちだだが、実に重要なのは“作品製作インフラの整備”である。アーティストである貴方の“心的障壁”になる存在があらば、しれは、純度の高い哲学を反映できる環境だとは言いがたい。
アーティストはこそ、作品のために闘え。
著名な演者に圧されれば演出は歪む、家族に遠慮すれば集中力は削がれるそして、上司への配慮を優先すればその作品はもう、貴方の主導下には無い。
いかに自らの主導権を確保するか、その為の正しい努力が重要である。それはともすれば、人生を賭して書き上げるSCRIPT(映画脚本)よりも遥かに大きく、貴方の作品に影響する。
作品の製作インフラにおいて経済的にも、圧倒的な地位を確保すべきだ。その上でようやく建設的に、信頼するクルーと演者、ファウンダーとマーケットの声を採用することが出来る。
『 覚悟の実行方法 』
“責任をとって辞任”などという嘘が通用する一般社会を例には出来ないが、アーティストは常に、“自己責任原則”を尊重せねばならない。
作品製作において損失を被ったとしても、アーティストが自らのリスク判断でそのクリエイティヴを行った限りは、その損失を自ら負担するという原則だ。「そんなのは理想論だ!アーティストは表現者であり、以上の責任は無い!」などという声が聞こえた気がする。そんなアーティストに想いを賭した“投資家”も、同じことを言うだろうか。
ちなみに先の“自己責任原則”とは、“日本証券業協会”が法令のうち「自主規制規則等:投資勧誘規則4条」にて公式に提唱している原則である。
アーティストが作品インフラに最強な地位と主導力を持つことが、観客への責務であり、そのためのリスクを負うことこそが、アーティストの覚悟を実行する、ということである。
『 編集後記:』
トニー賞、エミー賞を受賞した著名なハリウッド女優が、残暑見舞いのメールをくれた。カンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作品の演者である巨匠が、“Sent from my iPhone”と添えられたままのメッセージを送ってくる。
実はこれ、残念ながら当然にわたしが偉大なわけでは無く彼らが妥当に“人格者”なのだ。アカデミー賞受賞者も受賞会場から、業界最大のスタジオCEOも国会登壇直後に、一国の長がお茶を出してくれることもあり。彼らは出逢いだけを大切にしており、人間に意識的な区別をつけない。
損得に左右されずに言葉を交わす成功者たちは、美しい。
目先の意識に左右されずとて迎合を選ばず、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。
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