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【決意と覚悟】支援する者の覚悟を知れば、アーティストの決意が変わる

支援する人々がいる。それが優しさを越えた“覚悟”だと知ったとき、アーティストの決意が問われる。このトピックでは、「支援の意味を理解する必要性」を、知ることができる。他者の援助を受けることにためらいが無いアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティストは支援を受ける決意があるのか 』

もしも支援が必要なとき、アーティストはどうするだろうか。
多くのアーティストは支援されること喜ぶ。その正直さは素晴らしいことであり一方で、恐ろしくもある。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ドキュメンタリー制作における代表的な人材を対象とした見習いプログラムを発表

独立系非営利団体First Look Instituteの一部門であるField of Visionは、世界中のアーティストを支援するために、映画監督主導の組織として2015年に設立された。

ドキュメンタリー制作に携わる代表的な人材や新進気鋭の人材を対象としたグローバルな実習資金プログラムが発表された。社会経済的地位、コミュニティへのアクセスと地域性、人種、性的アイデンティティ、障害の有無などを考慮したこの基準に当てはまるクルーを雇用し、制作現場で(あらゆる技術分野で)トレーニングを行うことを約束した独立プロダクションに、3万ドルの助成金が提供される。

このプログラムは、多くの人々にとって指導や実地訓練を受けることが容易ではないことを認識しており、社内の専門知識を提供すると同時に、実習生に既存のクルーと一緒に仕事をする機会を与え、映画制作におけるキャリアアップに必要な経験や参考資料を得ることで、これらの障壁を取り除くことを目的としている。

最近のプロジェクトには、2020年のアカデミー賞で最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞した『American Factory』のほか、オスカーにノミネートされた短編『Do Not Split』、『A Night at the Garden』、『In the Absence』などがある。 - OCTOBER 14, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

国境を越えてアーティストを支援する団体がいる、ただし彼らの覚悟は凄まじい、という記事。

First Look Instituteは、“恐れを知らない調査ジャーナリズム”を推奨としている実に前のめりな活動支援団体だ。今回のような製作費支援の他、報道の権利を保護するための法的サポートをも引き受けるまるで、労働組合のような支援をコアコンピタンスとしている前衛的な組織のひとつだ。

試されるのは、“アーティストの決意”である。
支援を受けたいアーティストは多いしかし、その支援が“覚悟”に裏付けられていることを理解できている者は少ない。

『 チャンスと支援の違い 』

なかなかに誤解の多い要項であるので先ず、アーティストからの目線で話をしてみる。

アーティスト誰しもがステップアップのチャンスを求めていることは理解できるしかし、それが「チャンス」なのか「支援」なのかを見極められる者は多くない。純粋にそれがチャンスなら、掴めば良いしかしもしもそれが“支援”であったなら、アーティストの決意が試されることとなる。

チャンスの正体は、わからない。自己啓発本に学ぶと良い。
しかし「支援」には明確な意図が装備されている。なお、“条件”ではない。“支援する意図”だ。支援を受けると言うことはその条件を引き受けることを意味する。有償支援なら判りやすいが重要なのは、交換条件の無い“純粋な支援”である。純粋な支援には、純度高い“意図”がある。期待値は大きくつまりに、落胆させる危険がある。純粋な期待を裏切る罪は、重い。

アーティストは支援とチャンスを、読み間違えてはいけない。

『 支援を受けるマナー 』

それでも支援を受けると決めたなら、期待以上の成果を返すことが条件となる。後述するが、「支援=応援」だと理解する者はそこで、大きな過ちを犯すこととなる。資金のみの支援にもなかなかのマナーが必須だが実に、“協力”という労働や交流が伴う支援にこそ、絶対のマナーが存在することを理解しなければならない。

どこまで進んでも相手は「支援者」であり、“仲良し友だち”では無い、という意識だ。相手は支援による上下関係など臨んでいないしかし、支援する者と支援される者の立場は、劇的に異なる。両者の間には全人類という“支援されない者”が存在し、支援される者はその最後尾に位置する。

その意識を読み間違え、「支援=応援」だと理解する者が引き起こす大きな過ちそれが、「飛ばし」である。

支援者が支援のためにセットアップしたネットワークとの出逢いまで、支援の一環として受け取ってしまうこういのこと。判りやすく例えるなら、支援者を介して知り合った相手は、支援者のネットワークであり、生涯、支援された者がアクセスすることが赦されない相手である、ということ。それを越えて連絡先を交換しあろうことか交流をはじめようものならそれは、支援者への明確な“裏切り行為”である。

構わない、という支援者がいる。許さない業界もある。

『 支援される、という支援 』

一方で、“支援される”という行為が求められることがある。
それは、成功者が若手にチャンスを提供する場合の、上質な手段だとされる。業界の先輩が新人に経験を提供する場面にも通ずる。

社会的地位を確立した成功者たちは率先して、支援される、というチャンスを開放する。そこには意図が無く、覚悟がないので、決意を必要としない。支援をする側の若者はただ、感謝を返す。チャンスを提供して支援される先輩は、礼を返す。なんて美しいカタチだと想わないだろうか。

支援されるに相応しい地位を目して、支援する人生を選びたい。

『 編集後記:』

個展3日目にして、新たな出逢いと懐かしい再会が相次いでいる。行動を起こす、という強さを痛感する。

美しい時間に癒されて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

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アーティスト情報局:太一監督
■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記