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【頓挫させる日】すべての企画が、完成させればいいわけではない

創作人生の停滞期を“多作”で埋めて、“アーティストを演じる”偽物が増加中だ。このトピックでは、「創作にみあう企画価値」を、知ることができる。アーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 完成させたがるアーティストたち 』

“創るプロフェッショナル”が増殖中だ。彼らの多くは既存作品の下請けからあぶれた元作業員と、ガジェットとソリューションの発展に便乗しただけの“素人プレイヤー”だ。アーティストでは、無い。

本日注目しておきたいのは、偽物と素人のフィールドでマウンティングに明け暮れる「多作アーティスト」だ。ごくごく一部の天才を例外として国際マーケットにおいては“無能証明”でもある多作アーティストがブランドになれないことは当然として、その努力なりにも成功できないことには、深刻な欠点がある。「創るプロフェッショナルには、考える素人が多い。」という事実である。

作品製作の青写真となる「企画」その開発には、多面的かつ圧倒的な検証が必要になる。企画開発には勘や感情に左右されない効果測定のシミュレーションを行うチームを編成し、膨大な時間と限界なりの資金投入が必須となる。アーティスト独りの検証が正解である可能性などゼロに等しい。しかしながら“考える素人”故に創るプロフェッショナルたちは隙あらば、“創る”ことを最優先してしまう。安全設計のない建物、来客前に茹でたパスタ、個々の特性も知らずに切り束ねるブーケなど、グロテスクな廃材でしかない。

アーティストとは、“創りはじめる前段階”のために在り。
創るだけなら、新興諸外国へのアウトソーシングで構わないのだ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:タランティーノの監督計画が頓挫した新作「スター トレック」について、脚本家が明かす

ある時期、パラマウントとJ.J.エイブラムスのBAD ROBOT社が、クエンティン タランティーノと一緒に「スター トレック」の新作製作のために、脚本を開発していたことは周知の事実だ。当時、タランティーノ監督の構想を実現するために、脚本家のマーク L スミスが起用されていた。

スミス氏が「スター トレック」の新作脚本を書くためにタランティーノ監督やスタジオの人々と一緒に仕事をした経験について語った。映画のスタイルや内容について、決定的な情報が明らかになったのは、これが初となる。

このことから「スター トレック」のファンは最終的な映画が実現するのを必死に見守ることになるかもしれない。しかし、その可能性は極めて低いと思われる。

「彼らは私に電話をかけてきてね、"やぁ。やる気があるかい?って。その日、初めてクエンティンに会ったんだ。部屋の中で、彼が自分の書いたシーンを読んでいて、それがすごいクールなギャングのシーンだった。彼が、それを演じたんだ。何度も繰り返したんだよ。とてつもなく面白い。素晴らしいんだ」 と語った。

この映画が実際に実現する可能性は、現時点ではゼロに近いようだ。タランティーノ監督の新作「スター トレック」が開発中に挫折したらしいとみえて以来、パラマウントはフランチャイズの新作を実現させようとしている。最新のニュースでは、「ワンダビジョン」の映画監督であるマット シャックマンが新作の監督として参加している。シャックマンが何を作るにしても、タランティーノやスミスが取り組んでいたような奇妙なものにはならないだろう。 - AUGUST 10, 2021 THE PLAYLIST -

『 ニュースのよみかた: 』

ハリウッドの若きフィクサーであるとJ.J.エイブラムスとタランティーノ監督が計画していた大プロフェクトが、頓挫した。その実在をはじめて、企画開発に参加していた脚本家が認めた、という記事。

マーク L スミスは、アレハンドロ ゴンサレス イニャリトゥ監督、レオナルド ディカプリオ主演で映画化されたマイケル パンクの小説、「レヴェナント」の脚本家だ。カンヌ、ヴェネチア、アカデミー賞を征したイニャリトゥ監督デビュー以来のキャリアを生み出した天才脚本家「ギレルモ アリアガ」の、後任として参加した若手である。

わたしはアレハンドロ ゴンサレス イニャリトゥ監督の元で活動した、クルーの一員だ。ならばこそ堂々、発言する資格があるように想う。イニャリトゥ監督は天才脚本家のアリアガ氏と別れて以来、作風が激変した。かつての精緻な魅力は、無い。企画の核はSCRIPT(映画脚本)であり更に重要なのは、「クルーの人選」だと証明された形だ。監督がどれだけ実行力と地位を有しても、「企画の価値」を引き上げることはできない。
皮肉なことに、“下げる”ことは容易である。

『 企画価値と完成度のトレード 』

映画に限らず創作は必ず、“企画開発”の果てにある。もしも企画の開発段階にミスがあれば、それ以上の結果は見込めない。悪くはできても、良くはならないのが“企画”の価値である。

監督をはじめ精鋭クルーたちは創作人生の2%時間を賭して、製作に尽力するそれは、「企画価値」を信じて、「完成度」をトレードしているのだとも言える。企画開発者たちはその対価値について、企画価値が同等以上であることを保証する必要があるわけだ。

『 企画開発、という奇跡の海 』

企画開発者がアーティスト本人なことは多い。それゆえに、世の圧倒的多数の作品に価値が無い。アーティストは“企画の核”たる原案を担当し、しかるべきクルーの人選に運命を託して、完膚無きまでの非情な検証作業を行うべきなのだ。検証作業を経た“傷だらけの企画“を引き受けて抱き、血の涙を流し愛を注ぎ、万に一つの「創作開始」を願うのだ。

奇跡の海が、応えてくれるかどうかはまだ、判るはずもなく。

『 編集後記:』

なにも起こらない時間をわたしは、創作人生に与えられているテストだと想っている。募る不安に、手を動かしたくなる。それが脚本執筆に集中するためのホテル詰めタイミングだったなら不安は恐怖となり、自律神経にすら歪みが生じる。

「書く」という作業に時間はかからない、2時間映画のSCRIPTなら3日間あれば十分。それは太一の才能などではなく、プロフェッショナルには当然のことしかし、その3日間のために吐き気や目眩と闘いながら眠れぬ日を繰り返しそれでも妥協無く“検証を続ける”時間に溺れる日々にはやがて、“神のお告げ”のような切っ掛けを求めるようになる。グラスが割れてくれでもしたなら最高。葉が落ちてもいい、蝶が舞ってもいいできれば、同席しているクルーたちが息をのむようなお告げが欲しい。

なにも起こらない時間が続くとわたしは、テストなのだと想う。

誰の評価にもすがれない存在するはずの瞬間を求めて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記