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【アーティストが正解ではない】作品の扱いはコミュニティが決める

アーティストが作品の主人だった時代ではない。作品完成までのプロセスが価値化された現代、その成長を担うのは観客が属するコミュニティである。このトピックでは、「非中央集権型メディアの実態」を、知ることができる。まだ主導権に固執するあまりにコミュニティに馴染めないアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 コミュニティとは、非中央集権型メディアである 』

コミュニティをなめていると、時代に粉砕される。

アーティストの多くはコミュニティに疎い。自身が所属している業界の中の、さらに小さな“仲間たち”と近すぎることから、視野が狭いことが問題だ。さらに、一般人を“観客”という小さな分類にカテゴライズするあまりに、「コミュニティ」という存在を軽視している。

コミュニティとは、社会、業界、企業に代わるプラットフォームであり、“文化”を担う、最大にして最強の生命体である。コミュニティは互いに影響し、LINKし合いながら成長し、さらに大きなクラスタとなる。サイズに、上限は無い。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:コメディ演出のベテラン2人が、マルチカメラフォーマットの長所を議論

コメディ番組では、シングルカメラの番組が主流となっているが、エミー賞にノミネートされたJames Burrows氏とJames Widdoes氏は、伝統的なフォーマットがいまだに存続している理由を認識している。

今年のエミー賞にノミネートされた7人のコメディ監督のうち、2人がマルチカメラのシットコムの監督としてノミネートされた。ジェームズ バロウズとジェームズ ウィドーズだ。

WIDDOESが言う。「マルチカムに惹かれたのは、劇場で学んだからです。私は金曜日の夜に観客の前に立つのが好きです。200人、250人の観客のプレッシャーがたまらないのです。私たちが1週間かけて作ったものが、彼らにも通用するのか?と」

BURROWSが言う。「これまでのシットコム業界はやはり“作家主体”のメディアですね。今ではシーンを何度も撮影するようになりました。シングルカムでは、観客を相手にすることはありません。マルチカムでは、観客の笑いを演じなければなりません」

WIDDOES:「私はいつも、“観客にカメラを意識させるな。観客に俳優と言葉を意識させろ”と教えられてきました。でもカメラを意識しないわけにはいきません」

フォーマットの将来性について、どのように考えていますか?

BURROWS:「人々の好みは変わってきていますが、私は、マルチカムの死を何度も経験しています」 - AUGUST 10, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

“シットコム”の名監督二人が「マルチカム」を賞賛しながらも、「シングルカム主義」を認めた、という記事。

「撮影方法」による“演出術の違い”を説いた記事だ。
なお「シットコム(英: sitcom)」は、シチュエーション コメディの略称。登場人物や舞台がほぼ固定され、一話完結型連続ドラマのことだ。登場人物や舞台が固定され、一話完結型連続ドラマのことだ。

観客を入れたスタジオのセットの中で展開するシットコムに、マルチカム方式の撮影が増えている。マルチカムとは、多数のカメラで同時に1つの芝居を撮影する方法。演者はまるで“舞台芝居”のように、長尺の芝居を続け、複数のアングルから同時に撮影される。撮影時間も短くて済み、ランニングコストの低いデジタル撮影においては、低予算作品にも重宝されている。

一方の“シングルカム”とは、映画の一般的な撮影手法であり、同じ芝居を何度も繰り返しながら効果的なカットを積み上げる王道だといえる。

実のところ、そんなことはどうでもいい。作品単位では無くシークエンス毎に使い分けるのが、現代最前線のスタンダードである。重要なのは、「この世は“マルチカム化”した」という現実への対応方法だ。

昭和まで社会は、“自身の体験”を主軸に動いていた。「シングルカム」だ。その後、メディアとガジェットおよびプラットフォームの進化により情報共有が加速化し現在は、“ひとつの事件を多角的に撮影した動画が集まる”時代。情報共有はリアルタイムであり国境は機能していない。

「マルチカムの世界で生きるシングルカムの価値」にこそ、真価が潜む。

『 マルチカム視点の、シングルカム型創作活動 』

アーティストには意識改革が必要だ。作品の主従関係を主張することはまるで、“嫁にはやらんオヤジ”だ。そこで重要なのが、「マルチカム視点」だ。作品を多角的に理解することを意味する。

「製作者なんだから多角的に熟知していることは当たり前だ!」というむきもあるだろうしかしアーティストとは、“観たいものしか観ない”情報弱者でもある。作品への愛が強すぎるためにたとえば、“それをぶち壊す楽しさ”など、想像したことも無いはずだ。

アーティストが人生を賭した作品を一刀両断するアンチのメッセージは、“快感”が原動力になっている。作品は潰されることにも、貢献しているのだ。新型iPhoneが初愛された瞬間から1時間以内に、膨大な数の“徹底破壊動画”が視聴されることも例外では無い。

『 頼みの綱はコミュニティ 』

こういった本当の意味での“多角的視点”を、アーティスト自らが見つけ出すことは難しい。そこで、「コミュニティ」の出番である。
作品を生かすも殺すも、コミュニティにかかっている。既報の通り、作品には多角的な活用方法がありその多くは、製作者のアーティスト本人が願うような内容ではない。だがそここそが“作品の面白さ”であり、作品への注目を促すパンチラインなのだ。

作品の活かし方、生かし方は、コミュニティに託すことだ。アーティストの役目は作品を生み出し、コミュニティへと巣立たせてかつ、永久に“燃料”を投下し続けることにある。良くも悪くもコミュニティに必要なのは、熱。冷めるくらいなら、炎上も利だと知ることだ。

子を想う親なら、腹をくくれ。唇の血を味わい、独りで泣け。

『 編集後記:』

旅支度は出発の1時間前にはじめる、1泊でも60泊でも国内でも外国でも変わらない。そのうち45分間は“カメラ”のためにある。わたしはいつでも、1日で引っ越せる。持ち物と移動を最適化してあるので、旅行と生活に大きな区別が無い。だが、現実が観えすぎて世界への夢が無くなるので、お勧めはしない。

だがわたしはアーティスト生活を、捨てられない。準備と創造のために生きるわたしは、非合理的なイマジネーションの世界を生きている。恐怖心が麻痺してあらぬ人生がひらいてしまうので、お勧めはしない。

非合理的な無駄を愛しながら最適化を徹底する矛盾に翻弄されながら、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記