【最先端の害悪】ルールは更新するべき、マナーは遵守されるべき
すべての“最新”が理想では無い。業界マナーをわきまえない新参の台頭は時に、業界に個人に傷を残す。このトピックでは、「最先端の正しい見極め方法」を、知ることができる。イキった挙げ句が業界を敵にして結果信者たちの中で王を演じるしかないアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 最適化なのか、改悪なのか。 』
“総合芸術”と称される映画も最初は、舞台興業を脅かすテクノロジー表現であった。一方で観客は意識に異なるチャネルを実装することで、“両方”の価値を楽しめるように進化した。
ただしそれらは、「業界マナー」を遵守した結果にある。
最先端という“興味対象”を追う心理に嘘は無くしかし、“最適化”の名目で価値の本質を見誤れば、それは危険な“改悪”となる。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:今こそアニメーションと実写の壁を取り払うべきだ
以下は、トリオスコープ社のCEO、LCCrowleyの意見である。
「トリオスコープは、実写とアニメーションを融合させたユニークな映像技術です。すぐに“これはアニメーションではないのか?“という質問が出ますが、従来の実写映画やシリーズと同じように俳優の演技を撮影し、完成した作品をスタイリングして、アニメーションのように仕上げている。背景や視覚効果はすべてCGアーティストが担当し、役者の演技はサウンドステージでネイティブに収録した上で、アニメーションのようでありながら実写のように生き生きとしたものに仕上げているんです」
アダルト アニメーションというカテゴリーは、この10年間で、通常は実写業界で作られていたであろうストーリーを含むようになり、アニメーションが取り組むことのできる物語の限界を押し広げている。この傾向は、ここ数年、大人の視聴者の間で日本のアニメが世界的に成長していることに影響されているのは間違いない。
「新しいハイブリッド型のストーリーテリングは、映像と実写の世界の長所を融合させることで、無限の可能性を秘めた発明を自由に行うことができる。しかもそのすべてがほんのわずかなコストで実現できる。これは、ストーリーテラーにとって最高のシナリオだよ。」 - NOVEMBER 01, 2021 VARIETY -
『 ニュースのよみかた: 』
VFX背景にクロマキーの演者を配してトゥーンシェイドする程度の技術を誇り実写とアニメーション業界を語った挙げ句にコンテンツ産業界頂点のメディアから認識違いを流布したスタートアップのCEOがいた、という記事。
https://www.trioscopestudios.com/
最先端をひた走る者は時に、事故を起こす。
文中の注釈に、VARIETY誌の正義を感じる。
『 業界マナーには、慎重に。 』
「業界マナー」にはすべてを度外視して、“遵守”を提言している。
業界マナーとは、その業界の“本質”を司る哲学なのだ。一代で生み出せないマナーはこそ、慎重に扱うべきである。再建は不可能なのだ。
『 最先端の正しい見極め方 』
技術とプラットフォームは進化してこそ、業界を活かし、生かし続ける。一方で、“業界外からの参入”は時に、外来種として業界生態系を乱すリスクがある。見極めるべくはその技術や規模ではなく、“ストーリー背景”だ。業界マナーを知らずメジャー経験浅く国際チームを持たず中央集権型ピラミッドからなる企業やスタートアップには、ストーリーが無い。
業界実績というストーリーに裏付けられた大胆なゲームチェンジだけを、「最先端」という。
先の記事中にあったような企業は最先端ではないがそもそもに、業界背景を持たない「孤立した点」である。それはまた、企業に限らずで。
『 古くさい、最先端の話。 』
フィルムからデジタルへの改編期に、CGの導入に、ストリーミングの台頭に、歴史は書き換えられてきた。
すべては観客のため、一般人のため。
その背後で多くのアーティストが消費され、滅んでいる。
時代の最先端とは、コンテンツとアーティストの価値を遵守する、文化と創造価値の継承である。
『 編集後記:』
若い才能が、人生の進路に迷っている。援助することは難しくないが、自ら立ち上がる方法を覚えて貰わねばならない。それには、センスを要する。
苦しいときこそ、相手を想う覚悟だ。
苦悩の先に信じる光にも依存せず、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。