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「若者のテレビ離れ」vs「Facebookおじさん」

インフルエンサーを介して、激しく乖離しはじめている若者と中年たち。
このトピックでは、SNS時代のアーティストが意識すべき観客を、知ることができる。クリエイターとアーティストたちは自身の立ち位置を、間違えてはいないだろうか。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 SNSリテラシー 』

モバイルコネクティビティとブラウジングを駆使してきたミレニアル世代と、デジタルネイティヴのZ世代が、オンラインメディアを牽引しているのは言うまでもない。とて、“ミレニアル世代”ももう40歳。25歳の“Z世代”との世代ギャップを感じている。

一方、“中高年”はといえば、
もちまえのアクティヴさと自己顕示欲を爆発させた結果、「Facebookおじさん」などと揶揄されいていることを知らない。中高年のSNSリテラシーの低さは、熱狂を生んだClubhouseを、“おじさん占拠”により鎮火した事実が物語っている。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:インフルエンサー頼りのSNS、コンテンツへの月額課金モデルの導入を検討

インフルエンサー(コンテンツ制作者)は、ソーシャルメディアのプラットフォームにとって、エンゲージメントの重要な原動力となっています。SNSを提供している企業は現在、収益の大部分を広告から得ているが、各社は常に新たな収入源に、“インフルエンサーコンテンツの月額課金モデル”を検討している。

しかし、Variety Intelligence PlatformがYouGov社と共同で実施した調査によると、ソーシャルメディア上の追加コンテンツにお金を払うという概念がまだ比較的新しいこともあり、消費者はソーシャルメディア企業にインフルエンサーコンテンツの月額利用料を支払うことに特に興味を持っていない。回答者の77%以上が、インフルエンサーの独占的なコンテンツのために購読料を支払う可能性は低いと答えた。

一方、「支払う可能性がある」と答えたのは14%、「わからない」と答えたのは9%だった。Twitter社はアカウントがフォロワーから月額料金を請求できるサービスの準備中だと発表している。YouTubeは既に開始しており、Instagramはサブスクリプションを検討していると明かしている。

インフルエンサーのコンテンツをフォローするお気に入りのプラットフォームのトップ3は、Facebook、YouTube、Instagram。次にTwitter、TikTok、Snapchatと続く。若年層は、SNSに購読料を支払うことに前向きだ。23%が18歳から29歳で、20%が30歳から44歳、10%が45歳から64歳、5%が65歳以上。

ソーシャルメディアの競争は激しく、各社はクリエイターにインセンティブを支払うことで、全体のエンゲージメントを高めようとしている。これらの企業にとって重要なことは、トップラインの成長を維持し、さらに加速させることだ。プラットフォームの収益化に向けたビジネス戦略の拡大が続く。
 - JUN 14, 2021 VARIETY VIP+ -

『 ニュースのよみかた: 』

SNS各社は広告収益頼りだが、その広告はインフルエンサーのコンテンツ頼り。プラットファーマー各社はインフルエンサーへの支払いは当然として、他社との差別化に更なる“サブスク”を準備しようとしている、という記事。

いわゆる、“SNS有料化”という話ではない。
インフルエンサー個人へのサブスク枠を用意することで、エンゲージメントを維持しつつ、インフルエンサーとユーザ、両方を自社サービスに繋ぎ止めるための方策を検討中、ということだ。

注目すべき数字は、
ティーンから20代まではインフルエンサーの、つまり“コンテンツへの購読料支払い”に意欲的でありながら、年齢が上がるほどにきっちり、ネガティヴになっている点。

逆に、“お気に入りのプラットフォームTop3”の順位は、信じてはいけない。数字が示されておらずそもそもに、主要統計結果と異なっており明らかに、統計上の年齢が高い。

この統計を端的に読み解けば、
「若者ほど“コンテンツ価値”を認めており、老いるほどにインフルエンサーへの執着がない」という点。

ここにこそ、記事の価値が内包されている。
若者は“視聴者”意識が高く、老いは“情報発信者”の意識が高いのではないか。「SNSの価値」そのものが、若者にとっては“相互視聴メディア”、大人にとっては「情報共有プラットフォーム」だとされているわけだ。

クリエイターとアーティスト、コンテンツホルダーたちの「支援者は若者」であり、大人と老人は、“インフルエンサーの存在”よりも、自意識が高いのだろう。企業の指針は「インフルエンサーと若年層のエンゲージメント」をターゲティングしており、馴れ合う老人たちのためのプラットフォーム維持には、関心を持っていない。

“若者のテレビ離れ” などという見当違いな言葉を見かけるがそろそろ、
“老人のSNS荒し” が問題になるだろう。

『 デジタルパイオニアとデジタルネイティヴ 』

「デジタルパイオニアのミレニアル世代」、「デジタルネイティブのZ世代」、「Facebookおじさんの中高年」とは、がさつな分類でありながら少なからず的を外していないことが歯がゆい。

そんな時代の中に息づいている、“その他”の人種こそ、「クリエイター」と「アーティスト」である。

立派な一般社会からの外来種である「クリエイター」の繁殖は凄まじく、人類史上最大規模の“創作意欲”が噴出している。

一方で、相も変わらぬ社会順応性の低さと、自意識過剰なくせに裏方思考な絶滅危惧種の「アーティスト」はそれぞれに、居場所をみつけて生息している。

クリエイターはSNSとプラットフォームを生きて“インフルエンサー”の呼称を得、アーティストは、SNSとプラットフォームを“看板”として、映画、美術、芸術、出版、音楽、商品等の既存メディアの中に生きている。

ミレニアル世代がプラットフォームの性質付けを行い続け、Z世代がハンドリングし、インフルエンサーと化したクリエイターが、維持していると言えるだろう。“大人”が構築した情報プラットフォームは2世代とインフルエンサーによって維持され、企業と経済を牽引している。

それぞれに役割を得ている世代と人々の中で、不安定に沈着しているのが、「中高年」と「アーティスト」である。

『 中高年、という幸福領域 』

実のところ、「中高年」を救う必要はない。
むしろ、気遣う必要すら。“団塊ジュニア”以降の“バブル”と“氷河期”たちはなにげに元気であり、なお自己顕示欲も物欲も強く、コミュニケーション力が低いことには気付いていず、日々は幸福なのである。情報リテラシーの低さが、彼らを救っている。この世代には既に、「ネットは苦手で、」などと発言する層がいる。最新ガジェットにもツールにも知見なく、好奇心旺盛ながら学習欲が低く、新興プラットフォームへの乗り換えは不可能。唯一の生息地は「Facebook」であり、そのままシュリンクしていく未来しか無い。

つまり、幸福に満たされている「Facebookおじさん」は、現状以降の影響力を意識しなくて良い。中高年をピンポイントでターゲティングしているアーティスト以外、彼らの存在は意識から除外すべきである。

地上波テレビも同様。
若者から離れて中高年と歩むことを選んだのは、“テレビ自身”だ。
ミレニアル世代はもとよりZ世代にとってテレビは、
ゲーム画面を出力するための“大画面モニター”でしかない。

『 インフルエンサーの黄昏 』

しかしながらここまでは、
「ソーシャル ネットワーク サービス」を基準とした検証だ。それは既に最先端ではなく、プラットフォーマーたちが大きな要塞を右へ左へ、インフルエンサーのケアに躍起になっているさなかにも、進化は続いている。

当然、
情報に早いインフルエンサーは誰も彼もが現在、戦々恐々としている。
現状、「ゲーム」がSNS化しはじめているためだ。

正しくは、オンラインネットワークによる共有プレイが一般的になっているゲームは早期から“プラットフォーム化”しており、ゲーム性を楽しむ以外に「仮想世界会場」として機能している。言うまでもないが、FORTNITE、MINECRAFT、AMONG US、Pokemon GO、あつまれ どうぶつの森を筆頭に、その証明素材は十分に。

ゲームがプラットフォームとしてSNSを内包する、
文脈からはまるで好条件のように観えるインフルエンサー環境だが、そうではない。インフルエンサーは、“プラットフォームを越えられない”という宿命がある。ひとつのSNS、プラットフォームで成功したインフルエンサーが、他のチャネルで同じ成功を収めるとは限らない。SNSとプラットフォームはそれぞれ、全くユーザが異なるためだ。

インフルエンサーは“ゲーム内SNS”にポジションを持つために、
壮絶な努力をはじめている。そこは、クリエイターの戦場。
ポジション獲りではなく、ユーザの先で圧倒的な存在感を示すため、クリエイティヴの最適化である。

『 アーティストの生息域 』

まるで放置されたままのアーティストは、といえば、慌てる必要はない。
中高年のように斬り捨てられているわけでもなく、旧態SNSのように忘れ去られる心配もない。

アーティストはSNSやプラットフォームの中ではなく、ファンと共にある。

SNSとプラットフォームを“看板”として既存チャネル中を生きているアーティストたちは幸い、“時代の波に乗れていない”ことが幸いして、変わらぬ立ち位置を確保できている。そこには“中高年”というファン層がおりまた、企業が存在している。

往年のファンたちのための作品を、
企業支援の元で生み出す環境は、維持されているわけだ。

それに対して、是も非もない。

むしろ、現状とは異なる時代の中での活動を求めるアーティストがいるならこそ、必ず守らねばならないルールがある。

時代は、若者のものであり、
アーティストのルールは持ち込むべきではない。

ということ。
進化を続けるプラットフォームの中、熱狂の人々の先に立つのは、その時のインフルエンサーという“クリエイター”である。アーティストたちはどれほどの地位と名声、成功を獲得していようとも、彼らクリエイターへのリスペクトを忘れず、若者たちのフィールドにエントリーしている立場であることを忘れてはいけない。影響力を持つ中高年とアーティストにはその場を枯らし、フェスの熱狂を冷ましてしまう力があることは、証明されているのだから。

『 編集後記:』

若い世代の勉強熱心さ、情報リテラシーの高さなにより、大人と学生をわけ隔てることなく立ち回れる時代の掌握力に驚かされる日々だ。
堂々中高年でありかつアーティストであるわたしはマイノリティとして、自信を持たずに好奇心を持ち、自己顕示欲を忘れてリスペクトを忘れず、常に時代の最先端、その先、その裏を突き進む。現代の創作活動とは、その“活動経緯そのものも作品”なのだから。

若い輝きに照らされながら、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記