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【いきなりクライマックス】キャリア アーティストに逆風の時代

大企業が先導した“業界型社会”は、崩壊した。なお加速する社会に重要なのは“記号”であり、回りくどいイントロダクションは精度に低い。このトピックでは、「結論から語るべきクリエイティヴ実体」を、知ることができる。世界が急変している状況を察しているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 “いきなりクライマックス”という実質的国際標準 』

先ず“結論”を伝えなければ、興味を持つかどうかも判らない。

最近の楽曲はイントロのない、サビから始まる構成も珍しくない。TikTokやCMで分割されるサウンドは、一曲全体を知られないままにファンを増やしている。映画マーケティングもまた、劇場公開前に全編のストーリーが把握されていることなど常識になっている。

そもそもに、“いきなりクライマックス”という構造は文章において、“ビジネス英文”の基本である。日本のビジネス文書で言うところの「たいへんお世話になっております。」部分には、「辞退致します。」「出資します。」など“結論”を書くべきスペースである。

みなさんが日常的に駆使している“オンライン”は日本以外の他国製他国管理プラットフォームでありつまりは「外国」である。たとえ日本語を使用していてもその空間のルールは、デファクトスタンダードだと言える。

もう、これまでの常識は一切通用しない。キャリア、経験、実績そして話術、交際ルールからリアクションまで、全ては時代に遅れていることを理解してアップデートせねば、次には進めない。

“過去”は、未来を導かないのだ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:スピルバーグ監督の娘、ハリウッドの“縁故主義”を語る

デストリー スピルバーグは、馬術選手からモデルを経て、映画監督に転身した24歳だ。Instagram Liveで、俳優業の仕事が入らなくなった後、監督業を始めたと語った。「誰であろうと、それはとても難しいことです。私の両親は...仕事を与えてくれません」

最新の短編映画の撮影を終えたばかりのデストリー スピルバーグが語る。「この作品が私にとって初めての監督作品ではないことを、皆さんは理解していないように感じます。私は以前にも監督をしたことがありますが、これは宣伝をした最初の作品だったのです」これは、彼女にとって非常に重い質問だ。

この作品は、巨匠作家スティーヴン キングの息子オーウェン キングの脚本で、ショーン ペンの息子ホッパー ペンが出演する。そのメッセージは“ブラックリスト”の創始者であるフランクリン レナードの目に留まった。「ハリウッドは実力主義だよね?」とツイートした。この質問には何十もの反応があり、その中にはベン スティラーも含まれていた。「人々、仕事、創造。みんなそれぞれの道を歩んでいるよ」と投稿。このやりとりは“ハリウッドの縁故主義”に関する新たな議論のきっかけとなっている。

「私は自分が生まれながらにして特権を持っていることを認めます。それを徹底的に自分のものにします。私は文字通り7年以上前から、映画業界に入ろうとしてきました。誰であろうと、それはとても難しいことです。難しいのよ。私の両親は...仕事を与えてくれません。努力して、オーディションを受けて、学校に行って、勉強して、全部やったけど、何も起こらなかった」と彼女は語った。

「自分で映画を作って、それに出演したわ。他に何をしたらいいかわからないから。誰かが私にチャンスを与えてくれるのをただ待っているつもりはありません」彼女の名前が入っていることで、何かが変わるわけではない。限られた予算と厳しいスケジュールの中で撮影を終えて今週、編集室に向かうことへの目眩を語っただけだった。
- AUGUST 02, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

スピルバーグ監督の娘が映画監督デビューを夢見るも、下隅に混迷中。父親も業界も協力してくれていない、という記事。

だが当然、そんなことはない。国際メジャー映画情報誌の最上位誌「THE Hollywood REPORTER」に特集記事が掲載されて活動をアピールできる無名監督は、多くない。運はチャンスだと割り切って、大いに活躍して貰いたいものだ。

『 “全編クライマックス調おやじ”の加齢臭 』

語気に力をこめながら“顔芸”で語る中年たちは、痛い。わたしのことでもあるので、なお痛い。まるで自分の会話すべてが名言であるかのように、雑談の全てに“クライマックス感”を出す癖は、アーティストの創作活動に顕著だ。

作品の全てが人類の未来に必須なテーマを内包しているわけがない、にもかかわらず壮大な課題に陳腐な法則を発動するクリエイターがいる。情熱空回り型学生に多いのは許容すべき過程だとして、若くない世代の作品ならばどうか。アーティストは現在を理解した上で、観客への“ストレス”を撤廃すべきだ。

『 現代クリエイティヴの目的は“可処分時間”の奪い合い 』

もう“作品”は求められていない。供給過剰なのだ。
無名作家の“新作宣言”になど、なんの価値も無い。日常的に触れる作品は自動的に最新であり、その数は人類史上最多を更新し続けていることは明白だ。たとえば“1秒間”にYouTubeにアップロードされる動画は、「3,600秒分」である。

山ごもりの道祖神彫りならいざ知らず基本、アーティストが生み出す作品は、“観客”のためにある。観客には生涯の全秒に十分すぎる新作が揃っていながらそこに我々は、自身の作品を捻じ込む意識が重要である。

その為には、“検索できる過去”を提示する意味は無い。観客の可処分時間を奪うに相応しい、“意義”が必要なのだ。ならばこそ、「いきなりクライマックス」を提示して、その意義を理解願うこともまた、重要なルールである。

ジジイの長い話は、ただ結論が遠いのみならずオチに弱い。
以降も本トピックは常に、3,000文字以内を遵守する。


『 編集後記:』

平均年齢24歳の会議に、度肝を抜かれる。まぁ、話の“まわし”が上手い。誰かの独壇場になることはなく、ただ上司にうなずく係もいない。全員が言葉を持ち、建設的な反論を積み上げながらアジェンダの解像度を上げていく。

ホワイトボードで観える化する者、長短意見をパンチライン化するコピーライター、会議終了と同時に“議事録”を共有する精鋭たち。その間、マウンティングも膠着もなく、笑いも穏やかで品がある。それは世代なのが育ちなのか、意識なのか魂なのか。しかし確実に美しく、人類の進化を確信させてくれる。

横断歩道の白線を飛び渡る新作人類、その眩しい笑顔に感動を覚える。

まだ作品と呼ばれない情熱の欠片たちに愛をこめて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。



■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記