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【格差芸術界】マイノリティという勝利を知るアーティストたち

不遇を憂う声、多様性を求める叫びが格差を拡大させている事実。アーティストという常識の行間を生きる人々の“一般化”が、成功を遠ざける。このトピックでは、「非常識な業界の危険な最新風潮」を、知ることができる。自分は恵まれていないだけの天才だと自負する無名アーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 “平等”という不平等を解く 』

社会常識の谷に存在する芸術界が、変わり続けている。このムーヴメントはジャンルを問わず、あらゆる種族のアーティストを飲み込んでいる。

多くの声はまるで、「平等賛歌」として在り。
それは一般人にも伝搬して多くの“自称アーティスト”と“人類総クリエイター”にとっての常識になろうとしている。ここ「アーティスト情報局」は自己啓発でもデモクラシーのためのプロパガンダでもない、“アーティストのひいき”であるので堂々、申し上げる。道徳に反することもあろうが、それも芸術なのだから。

勝者を引き下ろさない“底上げ”なら、「平等」も一興。
ただしそれが敗者の遠吠えであるなら、枯れて散るべき。芸術とは格差による区別化から導き出される価値であるのだから、わたしのような無名が“底”を描くことにも価値がある。地あってこその天だ。

そびえる山を削って谷を埋める形式の平等に待ち受けるのは、“砂漠化”なのだから。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:女性メジャー映画監督が大手スタジオに“映画館公開最優先”を提言

パティ ジェンキンス監督はハリウッドの映画会社に対して、“大画面での上映”に力を入れるよう求め、ラスベガスで開催された映画館経営者の会議「CinemaCon」でのパネルディスカッションで、熱狂的な拍手を受けた。

「なぜ、(劇場での独占上映権)を奪うという話になるのかわかりません。1つのスタジオが旗を立てて、劇場での体験に大きなコミットメントをすれば、映画製作者はそこに向かうでしょう?」と。さらに監督は、昨年12月にワーナー ブラザースが自作の「ワンダーウーマン1984」を劇場とHBOーMaxマックスで同日公開するという「胸が張り裂けるような」決断をしたことについて、当時は「非常に悪い選択の束の中で最良の選択だった」と認めている。「….... とても、とても難しい選択だったのです。暗い時代だったからね」結果は、パンデミックの中にありながら全世界で1億6600万ドルの興行収入を記録し、2017年の『ワンダーウーマン』は8億2100万ドルの興行収入を記録した。

「ストリーミング配信では、スクリーンと同じようには再生されないと思います。」さらにジェンキンス監督は断言する。「私は“デイ&デイト(※同時公開)”のファンではありませんし、永遠に避けたいと思っています」

「私は大画面での体験のために、映画を作っています」と主張した。監督は、タレントもその決定に関与すべきだと提案した。

パラマウント社の国内配給担当社長であるクリス アロンソン氏が語る。「我々は敵対するのではなく、同盟する必要がある」

Marcus Theatersの社長兼CEOであるRoland Rodriguez氏が言う。「女性の主人公、女性の監督やプロデューサーを増やし、業界に多様性を持たせる必要がある」と述べた。 - AUGUST 26, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた:』

映画館とオンデマンドの“同時公開”反対を訴えたのは、メジャー監督。映画館チェーン代表が映画のストーリーの他、女性監督と女性スタッフも増やすことが“業界の多様性”に重要だと主張した、という記事。

まず備考として、記事中にある“Day and Date”とは、VODを劇場公開と同日(day-and-date)にリリースすることを指す。劇場公開後の売り上げからロイヤリティーを%単位で契約している俳優とスタジオとの間で大きな裁判が頻発しているのも、これが影響している。

この記事で“映画館優先”を公言した監督は、アメコミ系エンタメ映画のヒットメーカーとして有名な女性だが実は、シャーリーズ セロン主演の映画「モンスター」という傑作で長編映画監督デビューを果たした天才だ。本作がブレイクした頃は当然ストリーミングは存在せず、上映は映画館だけ、販売はDVDと放送権が主だった。エンタメ映画「ワンダーウーマン」は世界興収で“女性監督作品”として、史上最高記録を更新した。彼女のキャリアにストリーミングは、好影響を運んでいない。

当然、この会議にカンファレンスに列席している大手映画館チェーン代表はこの女性監督の主張を支持。返礼のように、“女性進出と業界の多様性”をアピールした。

現代ハリウッドでありながらそこにはまるで、“昭和”が香る。勝ち負けと談合が社会を形成する黄ばんだ空のグロテスクさで。

『 勝者とは、マイノリティのことである 』

学芸会で15人のピーターパンが並ぶならわたしは、キャプテン フックが主役である。桃太郎が攻め込んだ先に待つのが鬼独りなら、桃太郎は侵略者である。人類総クリエイターが優秀なアーティストなら、無能なストイックこそが「価値」となる。

 「“マイノリティ=弱者”」ではないそして切磋琢磨の先にある勝利とはそもそもに、マイノリティが条件である。毎年24部門(さらに共同受賞者たちにも)に贈られる“オスカー像”よりも、長編と短編の2つだけに輝く勝利の象徴“黄金のシュロ”を贈られるカンヌ国際映画祭の「Palme d'Or:パルムドール」の価値が高い理由でもある。

『 平等を叫べば勝利はない 』

映画の歴史は誕生から128年、歴史と呼ぶには中途半端な成長過程にあると信じたい。もしもこのままに平等を叫び続けるならそれは進化を放棄することに同じ我々映画人は、8年後輩の“飛行機”に水をあけられたまま歴史の谷に沈むこととなる。

嫌だ。わたしは堂々“不平等”を奨励しながら、業界の底を描く己の務めに尽力する。それが業界の発展とブランド価値の維持だと知っており、映画界の頂点に立つことを目しているからに他ならない。

意識に“平等”であるならそもそも、不遇を憂え多様性を叫び勝者を糾弾しようなどとは想いつくはずもない。女性に同情する前に自身が、女性から支えを求められる価値ある男なのかを熟慮すべきなのである。

『 編集後記:』

公害認定を受けた重度の小児喘息だったわたしは小学校に友人はいず、楽観主義の母親が迎え入れる帰宅中の女子中学生たちの中で育った。まだ幼かったわたしは男の弱さの象徴であったし、女性の驚異的な思考スピードも知っていた。奇異な“ゴッコ遊び”がセクハラだとは想わなかったし結果映画界で仕事をはじめた中学生の頃には、思春期に爆発しそうな同級生たちが間抜けなガキに観えた。「彼女を護ってこそ男だぜ?」と指導してくれた先輩クリエイターがアシスタントに逃げられて廃業し、実家で暴れて母親に殺された。わたしの叔父は、“叔母”として生きている美しい存在だ。他人の心に涙する大好きなアンナ姉さんとわたしは、腕を組んで歩く。

わたしは夢の中で、女性なことが多い。

強さという優しさに護られながら、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記