【時代スピード】読み間違えたら、アーティストに悔いる間なし
立派なアーティストが増えている。道徳的で真面目で計画的な彼らは一方で、時代スピードを見誤る。このトピックでは、「非常識というルール」を、知ることができる。立派な作品を創ろうとしていただけなのに立派な社会人になってしまっただけのアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 業界のタブーが半年で“目標”へと変貌する時代 』
ストリーマーを徹底批判したスピルバーグ監督がNETFLIXと電撃契約したのも記憶に古くない現在、巨匠たちが“加速”している。それは業界を取り巻く時代スピードが前例なく、あがっているからに他ならない。
一方で、増加し続けている“自称”アーティストたちは道徳的であり、“社会時間”を遵守している。彼らは一時停止した世界が“時代スピード”に遅れていることに気付いていない。芸術に限らないあらゆる業界が停止し、業界を支えていた企業は保身を優先する中でアーティストたちは未だ、業界の中で、旧世代のルールままの枯れた常識を生きている。
業界の頂点にして全体を俯瞰できる存在、“巨匠”たちがすでに、自らの立ち位置を変え始めているにも拘わらず。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:フランク ミラーの「シン シティ」“NFT”が、コミックブックアートの過去最高額で落札される
フランク ミラーの「シン シティ」“NFT”がコミックブックアートのNFT記録、84万ドルで落札された。これまでに販売された作品の中で、最も高額な作品となった。
「ダークナイト リターンズ」や「シン シティ」などの作品でコミックを再定義してから数十年、この作家兼アーティストは、2005年に映画化された「シン シティ」でブルース ウィリスが演じたハーティガン刑事の死を描いたコミックブックのオリジナルパネルを使用して、“サウンド付きのアニメーション”を制作した1点ものの作品を生み出した。「私のファン、マーヴのファン、“シン シティ”のファンがこの新しい世界に参加してくれるのを見て、とても光栄に思います。コミックを作っていても決して得られないのが、(NFTの)3次元性です」とミラーは声明で述べている。
ただし、「Sin City NFT」は現在ミラーアートの中で最も高価な作品として販売されているが、ミラー作品の中で最も価値のある作品とは考えられていない。ミラー氏は今回のオークションのために、Gala Labs社とConcept Art House社と提携した。
Gala Labsの最高戦略責任者であるジェームズ オルデン氏が語る。「Gala Labsは、テクノロジーとポップカルチャーをクリエイティブな地平線に押し上げることに関心のあるパートナーに、信頼できる強固なプラットフォームを提供できることを嬉しく思っています。」
Concept Art House社のビジネス ディベロップメント ディレクターであるペニ ジョンソン氏が言う。「彼がこの新しいデジタル空間に素早く適応し、チームと協力して彼のビジョンをNFTに反映させたことを見て感動しました」
このオークションは、元DCアーティストのホセ デルボ氏がワンダーウーマンを題材にした185万ドル相当のNFTアートを販売し、DCとマーベルの両社が自社のIPを題材にしたNFTを販売しないようアーティストに警告を発したことで、NFTがコミックブック界に衝撃を与えてから7ヶ月後に行われた。 - OCTOBER 07, 2021 THE Hollywood REPORTER -
『 ニュースのよみかた: 』
コミックブックアートのNFT最高額記録は、最高評価作品ではなかったが、巨匠アーティスト作品であった。なお7ヶ月前には同じ状況は“悪事”扱いの事件であったという記事。
少し前の過去なら事件、現在なら誇り高き記録、とは皮肉なものだがNFTへの注目から未だ10ヶ月。アーティストは時代のスピード感をしっかり、理解していなければならない。“巨匠”がこの早さ、なのだという現実を。
『 立派なアーティストが置き去られている 』
業界が空洞化している。運営管理の企業が停止し、巨匠が居を移し、混乱の傷跡癒えないマーケットの谷に取り残された“立派なアーティスト”だけが残されている。
けっして革命を唱えてなどいない時代に則して、走る出すことを提案している。アーティストという存在は、現代の常識に新たな文脈を提起するミッションを抱えてはいなかっただろうか。
常識が壊れた今、非常識は新ルールにある。
過去の習慣を遂行しているだけでなく、ただしく外れてみてはどうか。
『 正しい非常識 』
多くの業界は、次の10年先を想定できずにいる。
アーティストにはまた、“ビジョナリー”としての機能が備わっている。道徳的な一般人たちはそれを“理由の無い自信”などと表現するが、褒めすぎだ。アーティストが抱えているのは“自信”などではなく、誰にも邪魔されない興味を味わい尽くす“偏愛”と、そこから過剰なカロリーを削ぎ磨く、徹底的な“暴走”だ。
不安を理解する間もなく突き進むアーティストの暴走は、“非常識”にある。その非常識に感化された一般人が共に進み出した瞬間アーティストは、“ビジョナリー”となる。アーティスト自身に、変化は無いにも拘わらず。
それはまるで、正しい非常識だ。
『 非常識のルール 』
非常識には厳格な“ルール”が存在する。それは思想でも哲学でもなく、自らの暴走を妨害させないための手段だとも言える。
一般人を傷つけてはいけない。
誰がそう決定したのかをどれだけ調べても結論に達することは無いそれを、「自主規制」という。非常識なアーティストだからこそ、自身から最も遠い“常識人”には敏感である。常識人たちは社会のルールの中でしか、生きられない。映画が誕生した126年前にはとっくにアーティストは自主規制の中にあったならばこそ、その歴史を尊重するのも悪くない。
正しくルールを外れ、か弱い一般人を慈しむのもまた、アーティストの使命なのかも知れないのだから。
『 編集後記:』
ローストビーフを仕込む。
牛もものかたまり肉を手に入れたので、脂肪と筋を取り除きながら肉を磨く。などと気取っても意識高い食通話ではなく、ただの安価な業務用を食べやすく下ごしらえしたに過ぎない。気がつけば几帳面な“ブロック”ができあがったので刻むのが惜しくなり、スパイスとハーブで揉んで素焼きし、ラップと厚手のホイルに包み、湧かせた鍋に沈めて放置するだけの手抜きだ。
タマネギと赤ワインでソースを創っているうちに、反省する。なにを楽しんでいるんだ、刻み焼いて塩でかじれ。アーティストの本質を忘れるな。冷やした肉塊をスライスして一口。あぁ、また反省することになる。
撮影という素材を仕込んで濃密な味を描くべく、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。