【二兎追える時代】2つ以上のプロジェクト、同時進行で価値成立
単純な“シナジー”の話だと想ったらもう古い。マーケットに則した“作品単位”が消滅しようとしている。このトピックでは、「現代作品のあるべき姿」を、知ることができる。動画を撮る写真家に圧倒されて慌ててカメラを構えるもそもそもに目的を見失っているアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 マルチハイフネーションを、観る。 』
“マルチハイフネーション”とは、ハイフンで区切るかのごとく“複数の本職”を駆使する現代流の働き方である。留意すべきはそれが“副業”とはことなりどちらも正しく、プロフェッショナルであるということ。
プラットフォームを駆使してインフラを泳ぐマルチハイフネーションは、ストレスを回避しながら、世界一時停止以降の現代で輝きを増している。
ではその活動、観たことがあるだろうか。
一見すればそれは“掛け持ち”であり、時にAタイプ、時にBタイプを生きているように観える。当人から観れば実のところ、そこに差違は無い。マルチハイフネーションが目するその先には、的確な近未来が存在している。
それ、“業界”が提唱してきた作品やプロダクトの“単位”を凌駕する、最先端事情である。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:ボグダン ジョージ アペトリ監督、“2作の映画を同時”に撮影することについて語る
まったく同時に2つの映画を作ることを想像してみてほしい。
ルーマニア出身でニューヨーク在住のボグダン ジョージ アペトリ監督は、まさにそれを実現。ヴェネツィアでワールドプレミア上映され、チューリッヒ映画祭の長編コンペティションで上映された「Miracle」と「Unidentified」がその映画だ。
ルーマニアで撮影された両作は、アペトリ監督が脚本・演出を手がけた作品だ。両方とも自己完結型のストーリーであり、多くの同じキャラクターが登場し、同じルーマニアの町とその周辺で撮影されている。「文字通り、1つの映画では3日間、もう1つの映画では2日間撮影しました 。ある日は昼食まで『Unidentified』を撮影し、その後『Miracle』を撮影しましたが、その逆もありました」アペトリ監督が語る。
ニューヨークのコロンビア大学で映画監督を教えているアペトリは、「40日間の撮影は、クレイジーで強烈な体験でした」と言う。「DoP(※
Director of Photography:撮影監督)のオレグ ムツは素晴らしかった。彼は、人生で二度とやらないと言っていたけどね。でも、内心は楽しんでいたと思いますよ」どちらの作品も高い評価を得ている。
アペトリ監督は、この作品を2つの章からなる映画と表現している。「鏡の構造のようなものです」と彼は説明する。「一見、つながっていないように見える2つの部分。鏡の構造のようなものです。それはプロットによって支えられています。単なる芸術的な接続方法ではありません。プロットやストーリー的にはとてもシンプルです。広くではなく、深くを目指したのです」。
長時間の撮影は、彼が映画を作るためにそうしたかったからであり、特定の映画製作の哲学に固執したかったわけではないと言う。 - OCTOBER 03, 2021 VARIETY -
『 ニュースのよみかた: 』
注目の新鋭映画監督が“2作品同時の映画撮影”を成功させて、好評を獲得。その仕組みはシンプルながら、旧来の映画製作方法に固執したくなかったためだという記事。
映画の製作方法は、進化している。旧来の製作法、ドラマツルギーは選択肢の一つとなり、現代の手法とプラットフォームを活用しなければ実現できない映画も増え続けている。“2作品同時”、実はとても合理的な解だ。わたしを含む多くの国際映画監督が現在、複数作の同時製作を基本としている。
本作の監督は一般的に、“2作品を同時に創った”と観えている。しかし本作のプロデューサーと監督は意図的に、このカオスを演じている。そもそもに数百カットからなる映画を撮影、編集している映画人が、たった“2本”で混乱するはずが無い。
わたしはかつて、クエンティン タランティーノ監督の「Kill Bill」という映画を手伝っていた。スタジオの食堂で会議を重ねた監督の手元にあったのは、“1冊”の準備稿SCRIPT(映画脚本)だった。シーンが複雑化して予算が肥大していた状況の中で同席していたプロデューサーは帰り際、わたしに言った。「50%の理解でいてください。」わたしは当時、“話半分に聞け”という指示だと理解した。しかし同作は、半分に分割され、「Kill Bill: Volume 1」と「Kill Bill: Volume 2」、2作品の大長編映画プロジェクトへと進化した。作品の輝きを削ぎ落とすのではなく、分割して2倍に仕上げてしまったわけだ。それ、“現代の最先端”である。
『 企業が真似できない“プロジェクトの2倍化”とは 』
ウォルトディズニーはかつて建造中のディズニーランドを前に報道カメラに向かい、「ディズニーランドが完成することはない。 世の中に想像力がある限り進化し続けるだろう。」という名言を残した。本当は、建造途中で借り入れ予算が途絶えただけだ。新たな投資を獲得するためのスタンドプレーである。
だがいま、それは現実になった。
ディズニーランドに限らず、完成している作品になど誰も興味を持たない。情報検索力に長けた現代の一般人たちは、どこかの天才が生み出した傑作よりも、どこの誰かもわからない天才たちが“育て続け”ているオープンソースに価値を観る。実際のところ、大企業のプロダクトはもう、投げ銭を得るスタートアップのスピードと冒険には、手も足も出ない。「そんなことはない!大企業に勝ったスタートアップがいるものか!」などとあおって貰えれば好都合。SpaceXもBlueOriginも、国家事業のNASAを飲み込んだスタートアップだ。TESLAとAmazonがそもそもに、マルチハイフネーションであることは明白だ。コングロマリットとは、経緯が異なる。
『 単位、消滅。 』
「現代作品のあるべき姿」とは、綿密な計画をコミュニティに対して開示し、全方位からのアドバイスを経て学び、たった一つの解を得ることにある。さらに“マルチハイフネーション”の先には、「複数のコミュニティを連携する」という目的がある。全く異なる企画やプロダクトも、企画者や発案者が同じであるなら必ず、リンクさせることができる。
現代のマルチハイフネーションたちは、複数のコミュニティを生きている。
もう一度だけ、忠告しておく。“兼業ではない”。
全方位にプロフェッショナルであるためには、“器用”であってはいけない。たった一つの目的に人生を賭す徹底した不器用を、“複数生きる”のだ。この矛盾をコミュニティが溶解させ、作品から商品まで、あらゆるプロジェクトの“単位”を消滅させる。
『 編集後記:』
ブラッド ピットを担当している写真家に、支援しているアーティストの肖像を撮影して貰った。4×5の向こうでデジタルバックを操り写真家は確かにシャッターを切っていたのだが、仕上がってきた画に驚嘆した。“画”であった。あれは写真ではなく、写真家というアーティストがカメラを駆使して描いた“画”だ。
画家には写真を模写する選択肢がある。選ばない権利もある。
模倣と学びの違いを見誤ることなく正直を選び、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。
■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記