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父の眼、父のカメラ

去年僕は父になり、そして父を亡くした。
なかなかもう話すことが難しい状況だったけれど、父親になるってどういう日々だったのかもっと話せたらよかった。

父が、父親をやろうとしていたことは色々と覚えている。
自販機で缶ジュースを買ったら、毒味のために一口まずは飲んでいたこと。
車のメンテナンスと洗車を欠かさず、また親子で出かけると楽しそうな場所をガイドブックを買って探していたこと。
そして、母と結婚する前からガチめな趣味でやっていたカメラで、僕ら家族の写真を撮ったこと。

妻のお腹の中に新しい命が芽生えたと知って、僕は数年ぶりにスマートフォンを買い替えた。
その時、二番目にカメラ性能が高い機種にして、自分の分身とも言えるスマホでいつ何時たりともシャッターチャンスを逃さないようにしたかった(一番いい機種は、本体のサイズ的にも財布へのダメージ的にも大きすぎた)。

父が亡くなって遺品を整理するなかで、長いこと使っていなかったカメラが出てきた。
多分四半世紀は使っていないだろう。
これをどうしようかという話になり、僕が貰い受けたいと家族に強く頼み込んだ。

きっと趣味を受け継ぎたかったのだろう父は、小六の僕の誕生日プレゼントにペンタックスの一眼のエントリーモデルを買ってくれた。
当時の僕に高性能すぎたプレゼントは使いこなされることはなく、中で電池が溶けてもう使うことはできない。
でも、今度は受け継ぐことができる。
父がそうであったように、家族の姿をカメラで残していける。特にこだわりがなかったのか、他の家族も受け入れてくれた。

父はそのカメラで、祖父母を、そして僕たち家族を見てきた。そして撮ってきた。
Nikon F2のファインダーは、長らく父の眼だった。
今度は父親になった僕が、父と同じ眼で子どもを、父にとっての孫を見ていく。
自分の気持ちを高めるには、これ以上ないストーリーのはずだった。

20年。
対してしっかりメンテナンスもせずに蓋も半ば開いたカメラバッグに、カメラもレンズも入っていた。
当然、レンズは劣化し、カメラもいたんでいる。
とりあえずいつかレンズを修復した時に備えて、ミラーレスの一眼をニコンで買った。家族を撮りたいと思って買ったスマートフォンには、父のレンズをつけられない。まあこれは、新年だしちょっと大きな買い物したかったから父のカメラをダシにした側面の方が強い。たぶん、7割8割くらい。
変換マウントもいずれに備えて買わなければいけないが、さてさて。

今年の抱負、というわけでもないけれど。
まずは父の眼をしっかり覗けるようにする。それを一年かけてやる。
夏ぐらいまでにどれかレンズを一本直して、年末までにはF2を使えるようにして。
そうして、父が見た景色を僕も覗けるようにできたなら。

今年はそんな一年にしていきたい。

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