紙の本に家賃を払うのは悪なのか。

こんにちは、taicchanです。

最近、表題の件について思うところがあり、いい機会なので考えを文章にしてみたいと思います。

小金持ちになろうと謳う本が、Amazonのランクで今年1位を取りました。僕もその本を買いましたし、その著者のYouTubeチャンネルも拝見しています。
なるほど、と膝を打つようなお話も多く、日々の生活を見直す上で貴重な情報や経験をいただいています。

そんな中で、一つ気になったことがあります。この著者・両学長に限らず、紙の本を手放すことを推奨する傾向を、いろんな暮らし提案の本で目にします。

スマホにタブレット、電子書籍リーダーの市場も成熟しつつあり、確かにこの論調は立てやすい、進めやすいものになってきているのでしょう。

では、本当に紙の本は手放さなくてはいけないようなものなのか。
自分の読書体験をもとに、ちょっと振り返ってみたいです。

電子書籍だからこその体験:3つの優位性

タイトルがタイトルなので僕は紙書籍派なのか、というと必ずしもそうではありません。

事実僕は『お金の大学』はKindleで購入し、雑誌は楽天マガジンで購読しています。また、多くのコミックスは電子書籍で購入しています。

電子書籍がいいところは、文字通り本の保管に場所を取らないこと。
そして、本の管理や閲覧が一気通過でできることです。

電子書籍には、背表紙が焼ける心配や落胆を持つこともなければ、そもそも本棚のために場所を取る必要がありません。
僕はONE PIECEも名探偵コナンもNARUTOも大好きなのですが、これらの作品はどれも100巻クラスの大長編。もし紙の本で持とうとしたら、本棚がいくつあっても足りません。

雑誌に関しても同様で、低価格で様々な雑誌を取り扱っているサブスクサービスが今や当たり前の世の中になりました。
一冊の雑誌を購入する金額で、何百というラインナップを毎月楽しめる生活が来るなんて、僕は想像もしていませんでした。

仕事上必要なテック系の雑誌も、梓央里として嗜んでいる短歌等に関わる文芸系の雑誌も、僕はサブスクのサービスで十分に賄えています。

そして何より、今のパンデミックの中で外出せずに読みたい瞬間にそれを読めるというのは何よりも安心です。
誰が手に取ったかもわからない書籍に触れることなく、自分しか触れていないスクリーンの中で読書体験ができるというのは、想定こそされていなかったとは思いますが便利さを超えて安心の提供につながっていると思います。

①管理が簡単
②読み方が柔軟
③即時性という安心

この3つは、紙の本では得られなかった読書体験です。
これからも僕は、電子書籍での読書体験を継続し、それを楽しんでいくのだと思います。

ただ、だからといって読書体験を電子書籍のみに移行するのかと考えると、きっとそうではないだろうなと思うのです。
その理由も、改めて考えてみます。

紙の本だからこその体験:「ちょい読」という読み方

電子書籍で購入して後悔をした本があります。

短歌を詠む上でボキャブラリーを増やしたいと考えていた時、Kindleのフェアでポイント還元率が向上していて手を出した一冊です。

実際に購入し読んでみて、すぐに失敗したと感じました。
電子書籍だからこそ、パラパラとめくりながら本を読むことができないのです。

読書にはいろんな方法があります。
・頭からしっかり読み込んでいく精読。
・流れ通りではあるものの、ざっくりと情報をつかんでいく速読
・読みたい箇所だけをピックアップするちょい読(勝手に命名)

この三つのうち、ちょい読だけは電子書籍の構造上不可能なのです。

辞典であったり、あるいは小説や詩集などで好きな場所を読みたい時、紙の本であればパラパラとめくって探すことが容易です。
電子書籍でもキーワード検索ができますが、紙の本であればキーワードすらうろ覚えの状況でもめくることで自分の目当てと出会えます。

この「めくる」という身体的な行為は、積極的に読書をしていくという体験につながり、あくまでも個人の感想なのですが記憶への刻まれ方が電子書籍のそれとは異なってきます。

自分の部屋の部屋にある本を見た時、
コミックス:料理マンガ、ラブコメ、同人誌
文芸:ノンフィクション、FGO(スマホゲーム)の推しを描いた小説や解説書、詩集、歌集
学術:哲学書、辞典
雑誌:映画パンフレット、写真集、スポーツ、旅行誌、暮らし提案

こうしたものが並びました。
どれも自分の生活を形作っている「推し」にまつわる書籍たちです。

自分の生活をより深めたい、具体性を持たせたいと思った時、僕はこうして手元に持っている本たちを都度読み返します。
電子書籍で持っている本も読み返すのですが、記憶の残り方が違うというのは先述したとおりです。

Kindle Unlimitedという読み放題サービスで、いくつかダウンロードして読もうとした本がありましたがうまくいかず、購入したものもあります。
そうした本たちは、ディスプレイではなかなか読み進められないのに、紙になった途端に自分の頭に入ってくるんです。

自分の読書体験の中に「ちょい読」があり続ける限り、そして、身体性を伴った読書体験が影響し続ける限り、僕はこれからも紙の本を読んでいくんだと思います。

紙の本に家賃を払うのは悪なのか。

表題に返ります。

僕のケースで言うと、家賃軽減やスペース確保のために本を手放し切ると言う選択は、どうやら取れそうにありません。

自分の読書体験が様々な方向に伸びていることから、利便性や経済性のみを理由に電子書籍にのみ移行すると言う選択は、どうやら取れないみたいです。

10人いれば、10人の読書体験があります。
本なんて読まない、学校の教科書だってまっぴらだったと言う人もいらっしゃるでしょう。

なので、あくまでも僕個人に限った話にはなるのですが、
「紙の本は手放さなくてもいい」+ただし+「なぜその本を買うのか、どんな読みをしたいのか、慎重に選ぼうね」
これを結論にしたいです。

これからも僕は紙とデータ、どちらの書籍も購読していきます。
どちらから得られる知識や経験を、しっかり自分の血肉にしていきたいです。

#読書の秋2021

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