アサーティブとは何ぞや?【随想】
2週間に1回の割合で高齢者施設に入居する母の面会に行くが、今日は大量の洗濯物を部屋干ししてあって、少し機嫌が悪い。
「いつも来てくれるヘルパーさんがよりにもよって2回続けて休んだので洗濯機を自分で回した。」と言う。「代わりに来た新人のヘルパーさんが何もしなかった。」と愚痴を言っている。
「お母さん、初めて来た人には、ちゃんと自分から何々をお願いします、と言わないとわからないし、伝わらないよ。」と言うと「そんなこと言えない。」と言う。
ああ、いつものこと、もうゲンナリだ。もしこのことを施設の人に伝えても「○○さん(母の名)から何もしなくていい、と言われました。」と言われるだけだから、施設の人にはもう黙っていた。
いつまでもお嬢さんであるまいし、自身の要望はきちんと言葉で伝えてほしいともどかしい思いで一杯になる。もう80才を過ぎて今更性格は変えられないにしても、だ。せめて辛くなるから、私に愚痴を言わないで欲しい。言うなら「初めての人で緊張しちゃってうまく言えなかった、アハハ。」くらいにして欲しい。
子どもの頃から母には「これは言うな、あれは言うな。」「それはするな、あれはするな。」ととかく言動を制限されてきた。「我慢が美徳」と教えられて育ってきた。長じるにつれ、さすがにこれはおかしい、とやりたいことは事後承諾をとる形で意志をつらぬくようになった。だが行動はできても、自身の気持ちや要望を話し言葉で伝えることは苦手だったりする。これは話すより書くことの方が得意なこともあるが、相手の気持ちを考えるあまりに、言いたいこと上手く言えず我慢してしまうことが多い。まさに「我慢が美徳」と言われ育ったことの弊害のように思う。
最近「アサーティブ」という言葉を耳にする。自分の気持ちや意見を、相手の気持ちを尊重しながら「誠実に」「対等に」伝えることだという。それは相手と対等な関係を築くことであり、自分を大切にすることでもある。
数年前、理不尽なパワハラを受けパート先を退職したことがあった。思えば、裸の王様的な責任者の機嫌を損ねまいと、言いたいことも言えずひたすら我慢を重ねていた。同じパートの身ながらハッキリと自己主張をする同僚がいたが、彼女に対しては、かの責任者も強く出られないところがあった。当時、同僚をちょっと変わった人だと見ていたが、彼女は自分を大切にしていたのだと思う。
思いがけず再び仕事をすることが決まった。正直、数年間家庭にいたため
社会に出ることが怖くなっていたが、今度はアサーティブな振る舞いができるのかどうか、試されているように思う。相手を尊重し誠実に、自分を大切に正直であることを心がけていきたい。
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