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元軍の夢のあと、鷹島へ (2021年4月)

 2021年4月某日、かねてから訪れたかった長崎県松浦市鷹島町へドライブしました。
 目的は松浦市埋蔵文化財センターと元寇の史跡を訪ねること。
 昨夜(2022年7月6日)放送の「歴史探偵」で松浦市埋蔵文化財センターが紹介されたので、その時のことを書きます。

 鷹島肥前大橋を渡るためにしばし佐賀県に出ますが、鷹島は長崎県松浦市になります。

鷹島肥前大橋。橋の手前半分は長崎県、半分は佐賀県になります。
松浦市は現在「アジフライの聖地」として売り出し中です。


 元寇といえば漫画「アンゴルモア」やゲームの「ゴーストオブツシマ」で俄に注目を浴びていますが、ここ鷹島沖では、1281年の弘安の役で押し寄せた4400隻の元の軍船が一夜にして暴風雨で沈んだといわれ、昭和55年から海底の調査が行われていました。平成24年に海底遺跡として初めて「国史跡 鷹島神崎遺跡」に指定されています。

 鷹島にある「松浦市立埋蔵文化財センター」では、海底から引き揚げられた遺物と最先端の技術による資料の保存調査の様子を見ることができます。
(館内撮影可)館内を職員さんが丁寧に説明して下さいました。

 館内に展示されている元軍の遺物。

元軍の鉄冑。
菅軍総把印(レプリカ)。

 「蒙古襲来絵詞」でお馴染みの「てつはう」もありました。感激!

お馴染みの「てつはう」。
元寇船の復元模型。

 引き上げられた木材は最新技術で保存処理されています。

元寇船の大碇と碇石。
敷地内の展望台より海底遺跡を望む。

 ハッキリ言って「もっと早く行けば良かった・・とにかく凄い」一見の価値ありです。

 
 続けて訪れた鷹島にある兵衛次郎の墓、対馬小太郎の墓、元寇記念之碑も以下アップします。

兵衛次郎の墓。文永の役(1274年の1回目の元軍襲来)で戦死した対馬の守護代、宗助国の家臣。助国の命を受け対馬小太郎と共に大宰府へ行き元の襲来を報告。その後転戦し、鷹島で戦死したと伝えられています。


対馬小太郎の墓。兵衛次郎と共に大宰府へ急報。後、弘安の役では少弐景資の配下として奮戦中に重傷を負い自刃。「我が屍を埋るに対馬を望むべき丘陵に於いてせよ」と言い残したそうです。


元寇記念之碑

 
 その後、市街地まで出て買い求めた「てつはう最中」。ピンポン玉位の大きさで、添付の「火薬の素」と名付けられた口中でパチパチ弾ける砂糖菓子を口に入れた後に最中を食べると「てつはう」気分が味わえるかも。
 味は品の良い甘すぎないお菓子でした。

 また、写真はありませんが島の民宿でいただいたお昼ごはんも、新鮮な魚がたくさん使ってあって美味しいのなんの!鷹島に行かれた際には、ぜひ地元の魚料理も味わっていただけたらと思います。

 
 松浦市埋蔵文化財センターのHPはこちら。

松浦市の観光情報はこちら。

「てつはう最中」はこちら。


*この記事は2021年5月15日のFacebookへの投稿を加筆・修正したものです。

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