科学は飲んでも科学に飲まれるな⑤中島みゆき『誕生』について
中島みゆきに『誕生』という曲がある。彼女の詩魂が滲み出ている名曲だと思う。
しかし厚かましくも、私はずっと、上記に引用した一節である「帰りたい場所がまたひとつずつ消えていく」という部分に違和感を持ってきた。
できることならば、「帰りたい場所がまたひとつずつ増えていく」としたほうが、より歌い手の哀しい感情が伝わるのではないかと感じたからだ。
「消えていく」というのは、ある意味でその通りなのだが、あまりにも客観的すぎ、それゆえに歌い手の主観的な哀しさを表現する力に、欠けているのではないかと感じたからである。
だが中島みゆきともあろう人が、ここの部分をあえて「消えていく」としたことには、かならず何か深い意味があるはずだと思い、私はその意味するところを5年、10年と長らく考えてきた。
そしていまは私は思うのである。中島みゆきは、歌い手の哀しさなどという小さなものを歌っているのではないのだと。彼女は、世の中の無常そのものを歌っているのである。
そして、むしろこの「誕生」という曲の真意は、帰りたい場所が次々に消えていく無常の世の中にあって、その場所を守る唯一の方法の声高な主張にあるのだ。
それこそ、Remember、思い出すことである。
誰かが思い出したことは、決して消え去らない。私たちは記憶の中で、帰りたい場所にいつでも帰れる。たとえその場所が物理的にはもう存在しないとしても。
物理的に存在することは確かなことか?それは記憶の中より確かなものか?誰がそう決めたのだ?
世の中が無常だとしても、思い出すたびに、私たちはその場所へいつでも帰れるのだ。
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