精神障害者の生活を奪っているのは誰か。
私は精神科の作業療法士である。私の立場から作業療法を批判的に述べるとすれば、精神科作業療法は、その名のもとに入院患者を「病院」へ適応させ、ホスピタリズムや回転ドア現象を助長させる一因になっている。精神科病院は収容所性が高く、作業療法士も病院の外ではできない行為が病院の中ではできてしまう。作業療法士は自らの都合によって支援の形を変えている意識はあるのだろうか。
さらに、私は精神科病院での勤務経験から「非自発的入院」が生活の「連続性」と「機会」を断絶する大きな要因だと考えていた。多くの精神病床を抱える日本では、不調の兆しを客観的に感じた精神保健福祉従事者が、安易に「入院」を選択、強要し当事者の地域生活を剥奪してしまう。それは結果として、長期入院、回転ドア現象を生じさせ、本人がクライシス(危機的状況)と向き合い、乗り越える機会がなくなり、生活能力を奪ってしまう危険性を含んでいる。
我が国の精神保健医療福祉は2004年の精神保健医療福祉の改革ビジョン において「入院医療中心から地域生活中心へ」という理念が示され様々な施策が行われてきた。受入れ態勢が整えれば退院可能な者(約7万人)の社会的入院は病院の機能分化、地域支援体制の強化などで10年後の解消を図るとしたが、成果は出せなかった。その結果、社会的入院という言葉が使われなくなり、また、入院医療中心から地域生活中心への基本転換も進まなかった。日本の精神科病床数は世界の約2割を占める「精神科病床大国」である。そのために、精神保健における生活支援プログラムが欠けており、それは1965年のクラーク勧告から指摘されている。日本の精神保健で施設を出た後の地域プログラムとして先駆的に取り組み、成功をあげたのが「やどかりの里」であった。その他各地のベストプラクティスとしてACTの実践も取り上げられた。しかし未だ多くの病床を保持し続けている日本においては精神医療政策に消極的である。氏家(2018) は「削減すべき病床にかかっている経費と人材を地域に移し,地域精神医療の構築に活用していくのです。この道こそ、当事者や家族、そして国民の期待に応える唯一の道です。そして、精神医療の展望を切り拓く道でもあります。」と述べている。
私は精神医療における差別・偏見は長らく収容所として機能してきた精神科病院に詰まっていると考えてきた。閉鎖的空間により入院患者の生活能力を奪い、脱施設の力を衰退させてしまう。またそこには医療スタッフの内なるスティグマも潜在しており、「服薬が安定しないと退院できない」「住居がないから退院できない」とスタッフ側の諦めや地域での当事者の暮らしぶりを知らない無知無関心も大きく影響しているであろう。しかし、地域精神医療の整備が進んでいない今日、地域移行のみが先行してしまうと、当事者や家族は支援サポートが脆弱な中で地域に放り出されてしまう状況にある。やどかりの里の実践は「ごく当たり前の生活」の視点で、当事者とともに生活支援に取り組んでいた。住居探しから始め、生活を支えるネットワークの形成、就労支援、地域社会の繋がりの形成と多岐にわたる。経済的生活基盤においても、障害年金の受給率は低く、当事者や家族にその権利があることを伝え、それを伴走する支援が必要である。
精神障害当事者が地域で暮らすことの「連続性」と「機会」が担保されるために、生活支援プログラムの構築、それによる制度や支援意識のパラダイムシフトが必要不可欠である。障害年金の例から、制度があっても受給率が低い理由として、本人や家族は様々な文脈の中でそれを知らされていないのだ。保健・医療・福祉・就労などのサービスが縦割りで統合されておらず、断片化されている状況では必要なものが抜け落ちてしまう。そして当事者の生活に大きく関わる存在として「家族」をも包括的に支援する仕組みが必要である。地域の中で福祉と医療を包含した支援が提供できる受け皿がない限り、精神障害という極めて流動的な特性を持つ疾患において、「連続性」と「機会」の担保の実現は不可能である。
精神障害者の生活を奪っているのは、我々医療従事者かもしれない。
【引用文献】
精神保健医療福祉の改革ビジョン(概要)精神保健 福祉対策本部 平成16年9月 http://www.mhlw.go. jp/topics/2004/09/dl/tp0902-1a.pdf.
氏家憲章:精神医療の危機–その背景と新たな道–,やどかり出版,2018,p28
【参考文献】
青木聖久:精神障害者の生活支援–障害年金に着眼した協働的支援– 法律文化社 2013