初投稿

ご覧になられた方、はじめまして。
立命館大学体育会硬式野球部アナリストの田原鷹優と申します。

タイトルにもある通り、今回は、アナリストになったことについてを簡単に書いてみようと思います。

アナリストって?

 まず、はじめに”アナリスト”という言葉自体知らない方もいらっしゃるかもしれません。アナライザーとも言ったりしますが、要するに分析をする人です。
 私が実際におこなっている野球はもちろん、他の競技でも様々な機器が開発され、知りたいと思ったことを数字として可視化することができるようになってきました。こうして得られた数字を分析し、どのような傾向があるのか、それに対して、どのような対策・工夫をすることができるのか、を考えます。

なぜアナリストになったのか

 僕が野球をはじめたのは8歳です。地元の少年野球チームに入団しました。選手として野球を続けたのは大学2年までです。当然のようにプロ野球選手になることを夢見てプレーしていました。
 選手を辞めることになった一番の理由はケガでした。腰椎分離症という腰のケガです。大学野球部のレベルは非常に高くついていくのでやっとだったということもあり、このタイミングでの決断に至りました。
 しかし、すぐにアナリストへの転身を決意したわけではありませんでした。大学の大先輩で記者として活躍されている方、高校野球時代の監督、家族…多くの方に話をしたり、話を聞いたりしてようやく決めました。加えて、数学が得意だったことも1つの要因になりました。
 僕の場合は野球ですが、どのスポーツでも、このような関わり方があることを知ってほしいなと思っています。運動自体苦手な子でも、自分がする以外でスポーツに関わることができるのです。スポーツってっ素晴らしい、よくできたものだなとつくづく感じます。

「新しいこと」に挑戦するということ

 およそ100年続いた立命館大学体育会硬式野球部には、データ分析班がありませんでした。アナリストになろうと考えたところで、データ分析をする部門がなかったのです。監督・コーチと相談の上で、データ分析班の創設が実現しました。僕と先輩と同期の3人でのスタートになりました。
 いざ、スタートすると、右往左往。まず何からすればよいのか、という段階です。チームには、「データ」に関する理解が、全くなかったわけです。選手は、データを見るという習慣もなければ、どんなものかもわからない。指導者は、批判的。肩身はとても狭かったです…(笑)
 高校時代、硬式野球部創設にキャプテンとして関わった経験がありました。軟式野球しかなかったのですが、思い通じて硬式野球部の創設に至りました。何かをスタートさせるには、思い続け、地道に頑張ることで何とかなると思っていました。しかし、そういうわけにもいかなかったのがこの時でした。地道に頑張ることは前提なのですが、取り組んでいることがどういうものなのか丁寧に説明をし、確かなものであることを証明すること必要があると考えるようになりました。
 何をするにも初めてのことになるので、苦労が絶えませんが、何よりも楽しいです。楽しくできることが頑張れる秘訣なのではないでしょうか。

最後に

今回の投稿は、アナリストになった経緯についてざっくり書いてみました。今後も更新していきますので、良かったらご覧ください。

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