生物学的経済学4:閑話休題2
閑話休題の第2回。あと何回か続けます(笑)
さて、H・Gウェルズの経済学書「人間の仕事と富と幸福」(浜野輝訳、鹿島出版会刊)は以前紹介した。この本は数多いウェルズの著書の中でも、たいへんな力作であり、ウェルズ自身「書き上げるのにもっとも苦労した」と書いているほどだ。だから僕にとってもとくに興味深い本なのだが、決してお勧めはしない。なにしろ、上下2巻本で1千ページ近くある大著なのだ。しかも数式や図表などは一切無く、最初から最後まで、文章だけで書かれている。こんな本は、よほどのウェルズ好きでなければ、見ただけで読む気が失せるだろう。
だが物好きのぼくは、この本を3回通読し、その後もちょいちょいつまみ食い的に読み返してきているのである(笑)それくらいお気に入りの本なのだが、その理由をちょっと説明してみたい。
まず、この本が出版されたのが1932年という年だということ。もう100年近く前の本である。そして、前述のように1千ページに及ぶ大著であることである。これだけの分量の本を書くためには、少なくとも執筆に1年はかかっているだろう。いや、いろいろな資料を集めて読み込んだり、専門家から意見を聞いたりといった作業をし、そのほかの仕事などの時間を考えると、2年はかかっていると思われる。すると、この本を書き始めたのは、少なくとも1930年前後だろう。だとすると、このころに世界史的な経済上の大事件が起きていることが思い起こされるのである。
1929年10月24日木曜日、ニューヨークのウォール街で株価の大暴落が起きた。いわゆる「暗黒の木曜日」である。この事件をきっかけにして、アメリカ経済は大恐慌へと転落してゆく。銀行や証券会社はもちろん、あらゆる企業がなだれをうって倒産してゆき、大量の失業が発生する。当時は失業保険制度が無かったから、失業するとたちまち無収入である。街はホームレスであふれ、食料の無料配給所には長蛇の列ができる。このころのアメリカ国民の絶望感がどれほど深刻なものだったかは、スタインベックの小説「怒りのぶどう」に活写されている。
恐慌は農業分野にも波及し、農産物価格が大暴落する。農家は作物が売れないので、売り物のとうもろこしをストーブに投げ込んで暖房にしていたそうである。
そんななか、アメリカの恐慌は世界へと波及し、世界恐慌へと発展してゆくのである。
ウェルズの友人で社会学者のウェッブ夫妻は、同じ年に出した彼らの著書の中で次のように書いている。
「西暦1932年の本年、人間社会は明らかに惨めな状態にある。自称文明国は戦争による定期的な自壊を避けることができないように思える。豊作の年だというのに、ヨーロッパでもアジアでもアメリカでも、何百万という男女、子供が時ならぬ慢性的食糧難に苦しんでいる。あらゆる産業社会に大量の失業があると同時に、巨大な個人的富の蓄積があり、その結果、政治的平等などと口に出すのも恥ずかしくなっている」
ウェルズの母国で当時の超大国イギリスはすでに1931年に金本位制を離脱し、国際決済制度としての金本位制は崩壊へと向かう。ヨーロッパでも輸入関税を大幅に引き上げて輸入を制限する、貿易戦争が始まる。さらに日本が国際連盟を脱退、ドイツではヒトラーのナチスが政権を奪取する。
まさに風雲急を告げる大動乱の世界情勢の中で、ウェルズはこの本を書いていたのだった。ウェルズは「預言者的な思想家」と呼ばれる人だが、彼は世界が破滅に向かうことを予見しながらこの本を書いていたのかもしれない。1937年にサンディ・クロニクル誌に寄稿した記事のなかで、彼はアメリカのルーズベルト大統領と会談したときの模様を次のように書いているのだ。
「われわれは、世界戦争の危機は1939年と40年の間に最高潮に達するであろう、ということで意見が一致した」
そして事実、1939年9月にドイツはポーランドに侵攻。直ちに英仏はドイツに宣戦布告し、ここに第二次世界大戦が始まったのである。以降は40年に日独伊三国同盟、41年の日本による真珠湾攻撃へと続いてゆくのだった。
(つづく)
(参考文献)
・H・G・ウェルズ「人間の仕事と富と幸福」(浜野輝訳、鹿島出版会刊)
・H・G・ウェルズ「世界の頭脳」(浜野輝役、思索社)
・シドニー&ビアトリス・ウェッブ「社会調査の方法」(川喜多喬訳、東京大学出版会)
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