閑話休題の第2回。あと何回か続けます(笑) さて、H・Gウェルズの経済学書「人間の仕事と富と幸福」(浜野輝訳、鹿島出版会刊)は以前紹介した。この本は数多いウェルズの著書の中でも、たいへんな力作であり、ウェルズ自身「書き上げるのにもっとも苦労した」と書いているほどだ。だから僕にとってもとくに興味深い本なのだが、決してお勧めはしない。なにしろ、上下2巻本で1千ページ近くある大著なのだ。しかも数式や図表などは一切無く、最初から最後まで、文章だけで書かれている。こんな本は、よほどの
仕事が一段落して時間ができたので、生物学的経済学の続きを再開します。といっても、本格再開の前に、閑話休題の話題をひとつ。 もう30年も前に「生物学的経済学」と題して、当時のパソコン通信の経済フォーラムに連像投稿していたことがあることは前に書いた。当時、その最初の書き出しの回を、次の文章で書き起こしたのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さて。。。 自然科学の一分野に、生態学「Ecology:エコロジー」というものがあり、 社会科
少し時間が空いたが、「生物学的経済学」の第2回。 分かりにくいです、面白くないです。でも本人は大真面目なんです(笑) さて、前述のように、あのケインズは「経済学は道徳科学である」と考えていた。彼は盟友であるR・ハロッドにあてた手紙の中に、 「私は、経済学が道徳科学であることを強調したい。(それは)内省と価値判断を使用します。私が付け加えたいのは、経済学は動機と期待と心理的不確実性を取り扱うということです」と書いている。この「道徳科学としての経済学」という彼の主張も、もっとも
もう20年以上前、インターネットが普及する以前。パソコン通信Nifty-serveの経済フォーラム内にある「環境と経済(だったと思う)」という会議室で、「生物学的経済学」と題して半年ほども連続投稿をしていたことがある。 まあ、Niftyの経済フォーラムといっても知っている人はいないだろうが、当時から悪名高かったI田N夫さんが居座っていたことで知られたフォーラムだ(笑)。そのほか経済学系の院生らしき人とか、講師らしき人とか、投資家の人とか、けっこうその筋のひとたちがそろってい
今回の話題は、ほぼ完全に記憶に基づくものなので、記憶違いや思い違いがあるかもしれません。ただ、これも記憶だが、参考文献名は覚えているので、一応、明記しておきました。文献は自宅の押入れ奥に埋蔵されていて、確認のために発掘するのもたいへんな作業なので。 さて、しばらく前のニュースで見たのだが、アフリカでバッタが大量発生して、草木や田畑の作物を食い荒らしながら大移動をし、いまやインドの首都ニューデリー近くまで接近しているのだという。時々アフリカや中国などではこの手のバッタ(イナゴ
だれでも一度くらいは経験したことがあるのではないかと思うのだが、「直観」と呼ばれる突然の認識が生じることがある。「直観」は、ある物事について、それまでとくに考えてみたことさえなかったのに、あるとき「ああ!これは××だ」と突然分かってしまう。無条件に、ときに強い確信を持って理解できてしまう認識現象だ。この直観的認識の経験は、なんの前触れもなく、理由も分からないまま突然生じるので、一種神秘的な霊感とか、第六感とか洞察とか天啓とか閃きといったものとして感じられたりもするのだが、一体
まぁ、本の読み方なんて、人それぞれで、なにが正しい読み方などというものはないのですが。その人なりの読み方をすればよいわけで。 じつは先日、ある方が、今年は自分が今まで読んだことがなかった分野の本を読んでみることにした、というようなことを言っているのを聞いたんですね。それで、思い出したのです。 じつはぼくもずっと昔に同じことを考えて、以来、自分がそれまで読んだことがなかった分野の本を読みまくってきたのです。ただ、小説はほとんど読まないんですけどね。それまでは経済学系の本や哲
新型コロナウィルス(新型肺炎ウィルス)の話題でもちきりです。ぼくの住む横浜でも、豪華客船に3千数百人もの乗船客が足止めされたうえ、感染者が続々と増えている。 この新型コロナウィルスというやつ、考えてみると、ウィルスとしてはなかなかしたたかなやつだと感心する。報道を見る限りでは、感染力がとても強くて、感染しているだけの潜伏期間中に、症状が出ていない状態でも、ほかの人に感染するそうだ。そのくせ、感染はしても毒性や致死率はそれほど強力なわけではないみたいです。これはウィルスの生存
今年に入ってから体調の悪い日が多かった。とくに医者へ行くというほどではないけれど、なんともすっきりしない。胃が重かったり、寝つきが悪かったり、身体がだるかったり。どうも自律神経失調気味かと。そこで「プチ断食」なるものをやってみることにした。よく見るブログの人がやってみたらよかったと書いていたので。 断食というのは、なにか自然治癒力を高めるとか、身体のデトックスに効果があるとか、内臓を休めるとか、宿便を出すとか、いろいろな効果があるみたいで。「断食で治らない病気は医者でも治せ
「ダーウィンの感情論」は以前紹介したことがあるが、今回は関連して「ジェームズ=ランゲ説」という情動学説を紹介しよう。 「ジェームズ=ランゲ説」というのは、19世紀後半にアメリカの心理学者でプラグマティズム哲学者のウィリアム・ジェームズと、デンマークの心理学者 ・ 生理学者のカール ・ ゲオルグ ・ ランゲがほぼ同時に提唱した情動学説である。(じつはウィリアム・ジェームズという人は「進化論的な心理学者」といわれており、とくに、ダーウィンの感情論はジェームズらの先駆をなした理論
岩波新書に「腸は考える」という面白い本がある。我々のお腹の中に納まっている、あのうねうねとした消化吸収器官のことだ。同書によると、腸というのはじつに精密な認識や的確な判断、それに基づく的確な指令を行うなど、食物についてまさに合理的な思考にも似た活動をしていることがよく分かる。しかも、そうした腸の働きは、われわれの意識に上ることなく、遂行されているのである。 ところが、じつは目もやはり考えるのである。さらには、耳も判断をするのだ。このことはカエルの網膜の研究や、コオロギの聴覚
現代の日本人にとって、健康は最大の関心事のひとつといっていいだろう。事実、テレビや雑誌には健康をテーマにした特集がひんぱんに組まれて人びとの関心を惹きつけている。健康によいということでさまざまな食材が紹介され、効果があると喧伝されていろいろな健康法が話題にとりあげられている。世界一の長寿国として知られる現代の日本に、そのような過剰ともいえる健康ブームが生じているのは、現代人のそうした健康願望、健康志向のうらに、健康に対する不安が潜んでいるからではないだろうか。 しかもここで
怒り、悲しみ、不安や恐怖といった様々な「情念」にどう対処したらよいか。いろいろな対処法が提唱されているだろうが、ここでは「理性的な対処法」を紹介しよう。まず、哲学者のデカルトが薦める「恐怖に対する理性的な対処法」から。 デカルトという人は、若いころに無給で自ら進んで軍隊に入り軍人として働いたり、ヨーロッパ中を旅して回ったりという波乱に飛んだ生活を送っていた人である。その彼が自身の体験から出たと思われる、恐怖を乗り越えるための理性的な経験則を提唱しており、次のような方法である
田舎であるほど人口が少なく過疎だが、人間関係は逆に濃密なものになる傾向がある。だれもがだれもの素性を知っているし、ときには家庭内の事情まで知られていたりする。そうしたところでは、むしろ鬱陶しいまでに濃い人間関係になるのである。 そのような場所では、まれに重大な事件が起きることはあるにしても、いさかいや小競り合いが頻発することはあまり考えられないだろう。それにいつも周囲に人の目があるから、世間のうわさになるような下手なこともできない。だれもが村のしきたりや慣習に従って抑制的に
たとえば、もし店員がむっつりした顔つきで近づいてきたら、客はひるんで身構えたりするだろう。だが笑顔を浮かべて近づいてくるのなら、相手が緊張することはないし、身構えることもない。なぜなら、笑顔には対人関係におよぼす効果があり、その効果には目立たないが決定的なものがあるからだ。 じつは笑顔には相手をなだめるはたらきがあり、相手の緊張を解く効果があるのである。だから接客業や営業職の人たちは、職業研修の一環として笑顔の作り方を指導されたりするのである。それがたとえ作り笑いではあって
進化論のダーウィンは、その表情の研究の中で「表情とは感情の言語だ」と言っていることは以前紹介した。つまり感情というものは、表情や身振りとして表現されてくるものなわけだ。ならば、表情をコントロールすることで、感情をコントロールすることが可能になるだろう。表情や身振りを取り繕えばいいわけだ。そして表情や身振りを取り繕うことは、じつは礼儀の一環なのである。 実際、哲学者のアランは、あらゆる民族において礼節は同じものなのだと言っている。それぞれの国や民族で礼式は異なっていても、顔を